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第1節 1989年からの空白――そして「単発の復活」という例外

前章の末尾で触れた通り、仮面ライダーは1989年9月24日、『仮面ライダーBLACK RX』の最終回(全47話)をもって、定期的なテレビシリーズとしての歩みを一旦止めた[i]。この最終回が訪れたのは、奇しくも元号が昭和から平成へと切り替わった後のことである[ii]。『BLACK RX』は昭和と平成の
両方にまたがって放送された作品でありながら、後年『仮面ライダークウガ』(2000年)以降を指す「平成仮面ライダーシリーズ」という括りには
含まれていない。制作年代ではなく、作品の設計思想そのものが昭和側に
属しているという扱いは、この10年余りの空白が単なる時間の経過ではなく、一つの時代の切れ目として認識されていたことを示している。

次にテレビシリーズとして仮面ライダーが帰ってくるのは、2000年1月の『仮面ライダークウガ』である。東映公式サイト「仮面ライダーWEB」の
作品ガイドは、クウガについて「前作『仮面ライダーBLACK RX』の最終回から約10年4ヶ月ぶりのテレビシリーズ」であると明記している[iii]。「10年余り」でも「12年」でもなく、この「約10年4ヶ月」という数字を採用するのは、単なる精度へのこだわりからではない。後述するように、この期間には複数の「単発の復活」が挟まっており、その存在を踏まえたうえでなお「10年4ヶ月ぶり」と言い切る公式の姿勢にこそ、この空白がどう位置づけられていたかが表れているからである。

この空白の背景には、仮面ライダー1作品だけの事情には収まらない、業界全体の地盤沈下があった。1969年から20年にわたって春夏の風物詩であり続けた「東映まんがまつり」は、1989年7月をもって幕を閉じ、翌年からは
テレビアニメの劇場新作のみで構成される「東映アニメフェア」へと衣替えする。この移行に際して、まんがまつりの興行から実写作品――特撮――が丸ごと除外されたことは象徴的である[iv]。すでに見たウルトラシリーズの15年に及ぶ苦闘と重ね合わせるなら、1989年前後は、東映・円谷という二大
特撮スタジオが、ほぼ同時に「テレビの定期枠」という足場を失っていった時期だったということになる。

もっとも、この10年余りを文字通りの「空白」――何も作られなかった期間――として語ることは正確ではない。実際には、この間に3本の単発企画が世に送り出されている。これらを「例外」として素通りするのではなく、
積極的に位置づけ直すところから、本章は始めたい。

最初の1本は、1992年2月20日に発売されたオリジナルビデオ『真・仮面
ライダー 序章(プロローグ)』である。仮面ライダー生誕20周年を記念して企画されたこの作品のタイトルに込められた含意について、プロデューサーの白倉伸一郎は「これは序章だね、ここから先に本当の物語っていうのがあるよね、という意味合いだったと思います」と証言している[v]。この作品は、生体改造兵士としての生々しい変身過程や、昆虫と人間の中間的な造形を突き詰めたデザインによって、「大人向け」を強く意識した仮面ライダー
作品として、シリーズ史上でも異色の位置を占めている[vi]。象徴的なのは、劇中で主人公がついに変身ベルトもバイクも手にしないまま物語が終わる点だろう。タイトル通り、これはあくまで「序章」であり、本当の意味での
仮面ライダーになる一歩手前で完結してしまった作品だった。この「大人向け」という一語は、のちに本章第5節で改めて論じる、平成ライダーと大人の視聴者という主題の、思いがけず早い先駆けとして記憶しておきたい。

2本目は、1993年4月17日に公開された劇場作品『仮面ライダーZO』である。「東映スーパーヒーローフェア」の一作として公開された本作は、東映とバンダイが提携した最初の仮面ライダー映画であり、監督とキャラクターデザインを雨宮慶太が務めた[vii]。『真・仮面ライダー』の生々しさから
一転して、バッタの能力を持つ改造人間としての「原点回帰」を掲げたこの作品もまた、それ単体でシリーズを再起動させるには至らなかった。

3本目の『仮面ライダーJ』(1994年)は、ライダーとしてシリーズ史上初めて巨大化するという新機軸を打ち出した作品であり、ここに登場する
「Jスピリット」と呼ばれるバックルは、『ZO』の続編案で構想されていたベルトの発想を引き継いでいると見られている[viii]。監督・キャラクター
デザインは、ここでも雨宮慶太が務めた。

3本に共通するのは、いずれも制作規模も上映形態も一つ前の作品とは異なり、明確な連続性を持った「シリーズ」として設計されてはいなかったという点である。オリジナルビデオから劇場公開へ、単発から単発へと、東映は毎回異なる器を選びながら、仮面ライダーというブランドを絶やさぬ程度の間隔で世に送り出し続けた。だが、いずれも週間放送という定期的な枠を取り戻すことはなかった。事実、この3作は制作年代こそ平成にありながら、公式には『仮面ライダークウガ』以降の「平成仮面ライダーシリーズ」ではなく、「昭和仮面ライダーシリーズ」に分類されている[ix]。この区分をどう読むかは解釈の余地があるが、筆者としては、東映がこの10年間を「平成ライダーの助走期間」としてではなく、あくまで「昭和という時代の残響」として扱っていたことの表れではないかと考えたい。

つまり、1989年からの空白とは、創造的な営みが完全に途絶えていた期間ではない。むしろそれは、東映が仮面ライダーというブランドの再起動を、
一度に大きく賭けるのではなく、OVA、そして劇場映画という、テレビシリーズよりもリスクの小さい器で、慎重に、そして散発的に試し続けた10年間だったと言うべきだろう。3本の作品は、いずれも次の一歩には直結しなかったが、その一つ一つが、後に平成仮面ライダーシリーズが本格始動する際の土壌――大人向けの生々しさ、原点回帰への欲求、そして雨宮慶太という作家の存在――を、知らず知らずのうちに耕してもいた。

この10年に及ぶ試行錯誤に終止符を打つことになるのが、2000年1月に放送を開始する『仮面ライダークウガ』である。次節では、この作品が、それまでの単発企画とは何が決定的に異なっていたのかを見ていく。



[i]仮面ライダーBLACK RX【公式】作品ガイド」東映公式サイト「仮面ライダーWEB」。1988年10月23日から1989年9月24日まで、全47話が放送された。
[ii] 平成への改元は1989年1月8日、BLACK RXの最終回は同年9月24日である。
[iii]仮面ライダークウガ作品ガイド」東映公式サイト「仮面ライダーWEB」。同ガイドは、『仮面ライダークウガ』について前作『仮面ライダーBLACK RX』の最終回から約十年四ヶ月ぶりのテレビシリーズであると明記している。
[iv] 浅野俊和「〈長編漫画映画〉の誕生と終焉――『東映まんがまつり』の社会史」『中部学院大学・中部学院大学短期大学部研究紀要』第5号、2004年、57-65頁、特に63頁。同論文によれば、実写特撮作品は1989年7月公開『機動刑事ジバン』を最後にプログラムから外れ、1990年3月「東映アニメまつり」、同年7月「東映アニメフェア」へと興行名称が改められた。
[v]ヒーローは境界線上の存在 平成仮面ライダーのプロデューサー白倉伸一郎氏の語る石ノ森章太郎からの問いかけ」coki、2026年2月10日。同記事内で白倉伸一郎は、『真・仮面ライダー/序章』のタイトルについて「これは序章だね、ここから先に本当の物語っていうのがあるよね、という意味合いだったと思います」と証言している。
[vi]『GARO』雨宮慶太の仮面ライダー!真・ZO・Jがブルーレイボックスに!」シネマトゥデイ、2015年9月14日。『真・仮面ライダー』はライダー史上初めて「大人向け」を意識して製作された作品とされ、生物的な変身過程やグロテスクな描写が話題を呼んだ。雨宮慶太はスーパーバイザーとして参加。
[vii]仮面ライダーZO」映画.com。東映とバンダイの第一回提携作品として、〈東映スーパーヒーローフェア〉のメイン作品で公開。1993年4月17日劇場公開。監督は雨宮慶太。  なお、雨宮が本作のキャラクターデザインも兼ねたことについては、「『GARO』雨宮慶太の仮面ライダー!真・ZO・Jがブルーレイボックスに!」シネマトゥデイ、前掲。
[viii] 「『GARO』雨宮慶太の仮面ライダー!真・ZO・Jがブルーレイボックスに!」シネマトゥデイ、前掲。『仮面ライダーJ』はシリーズ史上初のライダー巨大化という設定を採用した。
[ix]仮面ライダー年表」仮面ライダーWEB【公式】、東映。同ページは、仮面ライダーシリーズを「1971年4月3日〜」(仮面ライダー第1作から真・仮面ライダー序章・仮面ライダーZO・仮面ライダーJまで)と「2000年1月30日〜」(仮面ライダークウガ以降)という区分で掲載しており、『真・仮面ライダー序章』『ZO』『J』の3作が、制作年代にかかわらず前者のグループに含まれていることが確認できる。なお「昭和仮面ライダーシリーズ」という呼称そのものについては、講談社が刊行するムックシリーズが同3作を収録した号を「仮面ライダー 昭和 vol.12」と題し、クウガ以降を扱う別シリーズ「仮面ライダー 平成」と区別して展開していることからも確認できる。「仮面ライダー 昭和 vol.12 真・仮面ライダー 序章、仮面ライダーZO、仮面ライダーJ」講談社。

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