第1節 伊福部昭とゴジラのテーマ――「発明」か「転用」か
『ゴジラ』(1954年)の"ドシラ・ドシラ"と下降する主題は、日本の映画
音楽としてはおそらく最も広く知られた旋律である。この主題が怪獣の重量感そのものを聴覚的に作り上げているという理解は、半世紀以上にわたって特撮ファンのあいだで定説として共有されてきた。しかし、この旋律は当初からゴジラ自身のために書かれたわけではない。第1作『ゴジラ』の劇中において、この主題はゴジラそのものではなく、ゴジラに立ち向かう防衛隊の登場に伴う音楽として使われていた。1954年の初代『ゴジラ』で使われた
のち、次にこの旋律が明確に使われたことが確認できるのは、1975年の
『メカゴジラの逆襲』においてである。同作でゴジラの登場シーンの音楽として編曲・再録音されるなかで、インパクトの強さと覚えやすさから、いつしか「ゴジラのテーマ」として定着していったのである[i]。
この主題の来歴は、さらに遡ることができる。同一の音型は、『ゴジラ』
公開と同じ1948年に公開された松竹映画『社長と女店員』にも使われている[ii]。この旋律は、伊福部の純音楽作品『ヴァイオリンと管絃楽のための協奏曲』(1948年、発表時はこの題であった)の第1楽章にも見られるが、これは1948年の初版そのものが備えていたものではなく、後年の改訂を経て『ヴァイオリンと管絃楽のための協奏風狂詩曲』という題に至った版で加わったものである[i]。
そして、この主題にはさらに源流があった。1945年、満州国の依頼で作曲
された管弦楽曲『管絃楽の爲の音詩「寒帯林」』の楽譜は、戦後長らく封印されていたが、伊福部本人の遺品から下書き稿が発見され、2010年にオーケストラ・ニッポニカによって蘇演された。その第3楽章「山神酒祭樂」に、「ゴジラのテーマ」と同一のモチーフが確認されている[iii]。つまり「ゴジラのテーマ」は、水爆実験の恐怖を語るために新たに発明された旋律ではなく、満州の森林を音にした戦中の作品が、防衛隊の音楽を経て、最終的に
怪獣そのものの記号として定着していった、転用と再文脈化の産物だった
ことになる。
この旋律をめぐってはもう一つ、広く知られた指摘がある。モーリス・ラヴェルの『ピアノ協奏曲ト長調』(1931年)第3楽章との類似である。この
類似はクラシック音楽の聴き手のあいだでも古くから意識されており、
伊福部の楽曲とラヴェルの同曲を並べて演奏するコンサートプログラムが
組まれることもある[iv]。
「巨大さを聴覚的に構築したオリジナルの発明」という語りと、「複数の
先行作からの転用の産物」という事実は、一見すると矛盾する。しかし
伊福部自身の発言を重ねると、この矛盾は単純な優劣の物語には収まらない。1952年の随筆で伊福部は、自作が他者の作品に似ていると評されることほどの屈辱はないという趣旨を書き残している一方[v]、1984年に発表した
随筆「守破離」では、芸の修道は伝統を厳格に守る段階を経て自己の力で
それを破る段階へ進み、最終的にはその自我からも離れる境地に到達しなければならないとしたうえで、T・S・エリオットの「芸術の完成は個性の脱却にある」という言葉を引きながら、個性を追い求めること自体への懐疑を
示している[vi]。
両者は必ずしも整合しない。むしろ、若い時期の伊福部が模倣と評される
ことに人一倍敏感だった一方で、実作においては生涯を通じて自作・他作を問わず多くの旋律素材を転生させ続けたという事実こそが、彼の中で「独創性」という概念がどのように変化していったかを示す一つの手がかりと言える。少なくとも、複数の先行作をたどってもなお、出力された結果はいずれも一聴して「伊福部らしい」と分かる何かを備えている。旋律そのものの
独創性ではなく、リズムの扱い方や、同一音型をしつこいまでに反復する
オスティナータ書法、そして低音楽器を厚く重ねるオーケストレーションにこそ、この作曲家の個性の核があったと考えるのが妥当だろう[vii]。
もっとも、この評価が最初から確立していたわけではない点にも触れておく必要がある。怪獣映画の仕事が続いた時期には、クラシック音楽の側から「ゲテモノ、キワモノ」という非難を浴びたこともあったという[viii]。
伊福部の音楽が正当な評価を受け始めるのは、1970年代後半のサウンド
トラック・レコードのブームによって、特撮映画音楽そのものへの再評価が始まって以降のことである[ix]。今日の「巨匠」としての評価は、こうした
毀誉褒貶の歴史を経た結果であって、最初から自明だったわけではない。
こうした音の技術的な蓄積が後世まで生き延びた背景には、地味だが重要な技術史的事実がある。『ゴジラ』は、それまでの東宝作品のように編集済みフィルムの音声トラックへ直接録音するのではなく、音楽を独立した音声
記録用テープに収録した最初の東宝作品だった[x]。
この録音方式の刷新によって、1954年に録音されたマスターテープが今日
まで保存されることになり、1980年代初頭のサウンドトラック・ブームでの再評価はもちろん、2016年の庵野秀明総監督『シン・ゴジラ』において、
いくつかの重要な場面で伊福部の過去作のオリジナル音源がそのまま使用
されるという判断も可能になった[xi]。
満州の森林を音にした戦中の作品が、防衛隊の音楽を経て、令和の観客の耳にまで届き続けている。この音がなぜこれほど長く記憶に残り続けるのかという問いに答えるには、伊福部一人の仕事だけでは足りない。彼と並行して、特撮の音を作り続けたもう一人の作曲家――宮内國郎――に目を向ける必要がある。
[i] 河内春香「伊福部昭の創作活動における映画音楽――音楽作品との関係に着目して」東京音楽大学、2025年3月13日公開。同論文は、《管絃樂の爲めの音詩「寒帯林」》(1944-45年)第3楽章の旋律が『社長と女店員』(1948年)を経て『ゴジラ』(1954年)のメインタイトルおよび自衛隊の車両が進むシーン、自衛隊の戦闘機がゴジラと対峙する場面等に用いられたことを自筆譜の照合により示している。トヨタトモヒサ「【シン・ゴジラ連載Vol.11】『シン・ゴジラ』に見る伊福部音楽」ウォーカープラス、2016年10月22日。同記事は、『メカゴジラの逆襲』(1975年)の「ゴジラ登場」の楽曲を「有名な『ドシラドシラ』のテーマ」と明記する一方、『キングコング対ゴジラ』(1962年)の「ゴジラの恐怖」は「複数作品で使われてきたゴジラのライトモティーフ」であり別系統の旋律であるとしている。
[ii] 同上。
[i] 岡田友弘「ラヴェルに『ゴジラ』の影を見た!・・・ラヴェル『ピアノ協奏曲』と伊福部昭」新日本フィルハーモニー交響楽団note班、2023年。
[iii] 河内、前掲。
[iv] 岡田、前掲。
[v] 伊福部昭「プロコフィエフ」『藝術新潮』1952年7月号、139-144頁(のち一時間文庫『現代人のための音楽』新潮社、1953年、81-92頁に所収)。新潮社の諒解のもと、伊福部昭公式ホームページに全文が掲載されている。
[vi] 伊福部昭「守破離」『北海道新聞』1984年6月25日夕刊。伊福部昭公式ホームページに全文が掲載されている。
[vii] この解釈は本書独自のものだが、伊福部昭「アイヌ族の音楽」『音楽芸術』1959年12月号、16-21頁における、アイヌの舞踊音楽の短小な動機の執拗な反復について「反復すること其れ自体に重要な意味がある」と述べた発言を、一つの手がかりとしている。同論文は音楽之友社の諒解のもと、伊福部昭公式ホームページに全文が掲載されている。
[viii] 伊福部の映画音楽プロデューサーを務めた岩瀬政雄は、円谷特撮映画の音楽を手がけることについて「ああいうゲテモノ映画はやめた方がいいよ」と作曲家仲間から言われた経緯があったと証言している。「【伊福部昭 特集】岩瀬政雄 インタビュー(後編)」SOUND FUJI、キングレコード。同様に、岩瀬は特撮映画が当時「子ども向け、あるいはゲテモノと見なされる傾向にあった」と述べている。岩永昇三「2024年はアニバーサリー・イヤー ゴジラ生誕70年&伊福部昭生誕110年 いまこそ伊福部昭の音楽世界を堪能しよう!」Ontomo、音楽之友社、2024年11月3日。
[ix] 元・東宝ミュージック代表取締役社長の岩瀬政雄は、1976年に開始した『日本の映画音楽』シリーズ(東宝レコード)の一環として1978年に発売した『伊福部昭の世界』『ゴジラ』の2枚のLPが大ヒットしたことを、「伊福部音楽の魅力を世に知らしめた、いわば『第一次伊福部ルネサンス』」の起点として証言している。岩永昇三、前掲。
[x] 「【伊福部昭 特集】岩瀬政雄 インタビュー(後編)」、前掲。
[xi] トヨタトモヒサ「【シン・ゴジラ連載Vol.11】『シン・ゴジラ』に見る伊福部音楽」ウォーカープラス、2016年10月22日。
