第4節 「着られるデザイン」という仮説――成田亨の三原則とその限界
『ウルトラマン』の企画段階において、当初のヒーロー像は烏天狗のような怪獣的なデザイン(「ベムラー」の名で呼ばれていた案)だった。しかし
企画がヒーロー路線へと転換される中で、文芸部の金城哲夫は成田亨に主役デザインを依頼し、「これまでにないヒーローの形を」という注文をつけたという[i]。
この依頼に応える形で、成田は自らに三つの原則を課したとされる。手足や首が増えたような妖怪的な怪獣は作らない、動物をそのまま巨大化させただけの怪獣は作らない、身体が破壊されたような気味の悪い怪獣は作らないという三原則である[ii]。この三原則のもとで生み出された初期のウルトラ怪獣たちは、恐怖と愛着とが同居する独特の存在感を獲得し、後年まで「成田
怪獣」と呼ばれる強い作家性を刻みつけることになった[iii]。
しかし、この三原則を、特撮怪獣デザイン全体を貫く普遍的な規範として
一般化することには、慎重でなければならない。三原則はあくまで、金城
哲夫という特定の脚本家が特定の企画意図のもとで成田亨という特定のデザイナーに課した、一つの作品・一つの時代の様式選択だったからである。
後続の作品、特に成田がデザイナーとして関わらなくなって以降のシリーズでは、まったく異なる方向性のデザインが模索されていくことになる。
この三原則の限界がもっとも早く露呈したのは、成田自身が現場で直面した対立においてだった。『ウルトラセブン』のスペル星人のデザインをめぐり、監督の実相寺昭雄は「戦争で片腕を失った復員兵」を思わせる姿を成田に求めたとされる。これは、身体が破壊されたような気味の悪い怪獣は作らないという成田自身の三原則、そして戦争体験者としての彼自身の感覚に反するものだった。成田はこの指示を拒み、十分なデザイン画を描かないまま、造形家の高山良策に実相寺の注文通りの制作を依頼したという[iv]。
ここで注目すべきは、対立の構図が単純な「芸術家 対 現場の無理解」ではなかった点である。実相寺の要求は、むしろ成田の理念とは異なる種類の
表現意図――怪獣を美しい他者としてではなく、戦争の傷跡そのものとして描こうとする意図――に基づいていた。三原則は、あらゆる演出意図と両立する普遍的な美学ではなく、特定の作家の特定の価値観の表明であり、それゆえに、異なる価値観を持つ演出家とは正面から衝突しうるものだったのである。
三原則をめぐるもう一つの対立軸は、それを実際に立体化した高山良策自身の哲学との間に見出せる。高山は、映画用の着ぐるみよりも軽くて動きやすい着ぐるみを一貫して志向し、ラテックスやウレタンといった素材を組み合わせることで、TV撮影の現場に適した軽量な造形を確立していった[v]。
この方針は、しかし万人に歓迎されたわけではない。重い鉄骨とゴムでできた初代ゴジラのスーツを着こなすほどの体力を誇った中島春雄は、高山の着ぐるみについて「軽すぎて、少し物足りない」」という感想を残している[vi]。また、東映の『キングコングの逆襲』でゴロザウルスの着ぐるみ制作を依頼された際には、高山の作りの軽さに不満を持った特殊技術者・安丸信行と意見が対立し、この話自体が破談になっている。安丸はその後、「TV特撮と映画特撮の着ぐるみは違う」という認識のもとで、自らの手で初めての
怪獣造形を完成させたという[vii]。
ここには、成田対実相寺とは異なる、しかし構造的には似た対立が見られる。高山の「着られるデザイン」――着る側の安全性と運動性を最優先する実用本位の哲学――もまた、映画特撮という異なる文脈に置かれたとき、
迫力不足という別の基準から批判の対象になりえた。着る側の負担を軽く
することを優先した造形が、なぜ時に、迫力という点では物足りないと評価されてしまうのか。この問いは、したがって一つの正解を持たない。TVと
いう媒体と映画という媒体、それぞれの現場が要求する「美しさ」の基準
そのものが、そもそも異なっていたのである。
成田自身にとっても、「着られるデザイン」の理想と現場の妥協との緊張は、決して他人事ではなかった。完成した特撮ステージでの視界不良に対応するため、ウルトラマンのマスクには、成田の意図しない形でドリルによる覗き穴が追加されるという事態が生じている。この経緯について、成田は
後年「デザイナーとしては失格だったよ」と、自身の造形が現場での実用に耐えなかったことへの複雑な心情を吐露しているとされる[viii]。芸術家としての一貫した美学を追求した成田自身が、まさにその美学の担い手である
現場の身体――スーツアクターの視界という、もっとも基本的な実用上の
要請――によって、自らのデザインの修正を迫られていたことになる。
成田と円谷プロとの緊張関係は、彼の死後も終わっていない。成田は生前、円谷プロを相手取り、著作権をめぐる民事訴訟を起こしている。この訴訟は判決を待たずに原告側の取り下げによって終了しているが、円谷英二の孫にあたり自身も円谷プロの経営に携わった円谷英明は、自著の中で、単純な
敗訴可能性の判断による取り下げではなく、円谷プロ幹部が成田に接触し
次回作への参加を条件に訴訟取り下げを持ちかけたとの見方を紹介している。
ただし、この見方を裏づける記述は裁判記録や成田自身の著書には見当たらず、成田はその後も円谷プロの仕事には関わっていない[ix]。もっとも、成田の死後は状況が変化し、2014年の回顧展図録『成田亨作品集』や、庵野秀明監修による複製画事業では円谷プロとの共同クレジットが用いられるようになり、2022年の映画『シン・ウルトラマン』でも遺族の協力のもとで成田の絵画がデザインコンセプトの原点として公式に位置づけられるなど、実務上の緊張は近年緩和されつつある[x]。この経緯の詳細な真偽を本稿が判定することはできないが、第12章で見たスーツアクターのクレジット・処遇問題と同じ構造の緊張が、造形家というもう一つの職能をめぐっても反復されていることになる。
以上を踏まえると、「着られるデザイン」という特撮固有の造形美学は、
成田亨という一人の作家の理念に還元できるものではなく、脚本家の意図、演出家の要求、造形家自身の実用哲学、スーツアクターの身体的必要、
そして没後にまで及ぶ権利関係という、複数の力学がせめぎ合う場として
理解されるべきだろう。
続く第5節では、こうした職人的な技術・造形の体系が、デジタル技術への移行の中で何を失い、何を意識的に継承しようとしてきたのかを、光学合成技師たちのその後のキャリアや、『シン・ゴジラ』における制作判断を手がかりに検討する。
[i] テレビマガジン編集部「ベムラーが正義の味方? 『ウルトラQ』『ウルトラマン』誕生の奇跡」TELEMAGA.net、講談社、2022年6月28日。青森県立美術館「成田亨」。
[ii] 「成田亨とは?ウルトラマン・怪獣デザインの裏側と生涯について詳しく解説」This is media、2022年6月6日。
[iii] 「成田亨」東文研アーカイブデータベース、東京文化財研究所。
[iv] 成田亨『成田亨画集 ウルトラ怪獣デザイン編』朝日ソノラマ、1983年、97頁。なお成田は1984年出版のインタビュー(『被爆星人の逆襲』)では「デザインは僕がやった」という趣旨の発言も残しており、証言には年による幅がある。
[v] 「ウルトラマン世界を創造した美術・造型スタッフ 高山良策」『ウルトラマンシリーズ大解剖 ウルトラQ・ウルトラマン・ウルトラセブン編』三栄〈大解剖シリーズ サンエイムック〉、2022年7月1日、45頁。
[vi] 同上、45頁。
[vii] 「ゴジラを造った男たち 安丸信行」『GODZILLA GRAPHIC COLLECTION ゴジラ造型写真集』ホビージャパン、2017年7月29日、115頁。安丸信行本人へのインタビューに基づくとみられる。
[viii] 古谷敏『ウルトラマンになった男』小学館、2009年、55-58頁、73頁。
[ix] 円谷英明『ウルトラマンが泣いている 円谷プロの失敗』講談社現代新書、2013年、119-120頁。
[x] 成田亨『成田亨作品集』羽鳥書店、2014年の権利表記による。複製画事業については「庵野秀明プロデュース『成田亨 複製絵画』受注制作販売のお知らせ」アニメ特撮アーカイブ機構(ATAC)、(著作権表記「©Narita/TPC」)。『シン・ウルトラマン』については同作公式サイトの説明による。https://shin-ultraman.jp/about/
