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第1節 江戸の驚異市場——見世物小屋という装置

  第1章では、怪物を「見せようとする」衝動の起源を辿った。神楽の演者がオロチの姿に変容し、影絵師が光と影で神話の怪物を召喚し、見世物師が「人魚のミイラ」を観客の前に差し出した——これらはいずれも、「現実にないものを現実のように見せたい」という衝動の実践だった。しかし同時に、その衝動がどれほど強くても、実写のカメラを持たない時代には越えられない限界があることも見た。神楽の舞台でオロチを演じる者は人間であり、影絵のスクリーンの向こうには人形遣いがいる。「嘘だと知りながら本物の恐怖を感じる」という逆説を完全な形で成立させるためには、まだ発明されていない技術が必要だった。

 では、その技術が生まれる直前の日本で、人々はどこで「驚異」を体験していたのか。
 本章はその問いから始まる。
 第1章で取り上げた神楽は、共同体の祭祀として怪物を見せる儀礼的な装置だった。演じる者も見る者も、同じ共同体に属する。神楽の場は信仰と共同体の秩序に支えられており、そこで体験される驚異は、神事という文脈の中に埋め込まれていた。
 しかし江戸から明治にかけての日本には、これとは異なる「驚異の装置」が発展していた。対価を払う観客に、驚異を商品として売る装置——見世物小屋であり、歌舞伎であり、幻燈機だ。儀礼ではなく商業として、共同体の祭祀ではなく都市の娯楽市場として、「現実にないものを見せる」行為が組織化されていった。
 この商業的な驚異の文化は、後に映画という技術と出会うことになる。そして映画は、それまでのいかなる「見せる」装置も達成できなかった何かを観客にもたらした。本章ではまず、その「出会い」の前夜を辿る。江戸の見世物小屋から明治の幻燈興行まで——特撮誕生の土壌となった、日本独自のスペクタクル史を。

第1節 江戸の驚異市場——見世物小屋という装置

 江戸の盛り場には、小屋があった。
 浅草・両国・深川——寺社の境内や川沿いの空き地に、仮設の小屋が立ち並んだ。木戸銭を払って中に入ると、そこには日常では決して目にすることのできない何かが待っていた。籠で編んだ巨大な関羽像、生きているように動く精巧なからくり人形、遠い異国から連れてこられたラクダやゾウ、宙を舞う軽業師——これらが「見世物」と呼ばれた 。
 見世物小屋は、江戸後期に大きく発展した大衆娯楽の装置だ。その内実は現代のイメージとはやや異なる。見世物の中心は精巧な細工物と曲芸・演芸であり、珍獣の展示がそれに続いた。見世物は特定の階層だけが楽しむ娯楽ではなく、武士から町人まで広く開かれた都市の文化だった 。

 では、見世物小屋とは何をする場所だったのか。
 一言で言えば、「日常の秩序の外にあるものを見せる」場所だ。遠国の珍獣、職人技の極限、人体の可能性の限界——見世物が提供したのは、観客が日常生活では知覚できない何かとの出会いだった。その意味で見世物小屋は、日常の秩序に亀裂を入れ、その外側を一時的に覗かせる装置だったと言える。

 ここで注意しておきたいことがある。
 見世物小屋の展示物の中には、身体に障害を持つ人間や異形と見なされた人々が含まれていた 。「珍しいもの」「ふだん目にしないもの」を売り物にする見世物の論理は、人間をも商品として陳列する方向へと向かいうる。この事実を回避したまま見世物を浪漫的に語ることはできない。見世物の享楽性と暴力性は、分かちがたく結びついていた。「驚異を売る」という行為が、誰かの尊厳を消費することによって成立していた——その構造的な問題は、後に本書が論じる特撮における「怪物の表象」の問題とも、無関係ではない 。

 しかし同時に、見世物小屋が江戸の人々に提供したものの中に、本書にとって重要な何かがあることも確かだ。
 それは「現実にないものを、目の前で見る」という体験の構造だ。
 見世物小屋の観客は、ある種の了解の上で小屋に入った。「人魚のミイラ」が本物の人魚かどうか、観客は確信を持てない。からくり人形が「生きているように見える」のは職人の技であって、本当に生きているわけではない。それを観客も薄々知っている。しかし木戸銭を払い、小屋に入り、目の前の「何か」と向き合うとき——観客は知識としての「これは作り物だ」と、知覚としての「これは本物だ」という感覚の間で宙吊りになる。

 この宙吊りの状態こそが、見世物の体験の核心だったのではないか。
 「本物かどうか確かめたい」という欲望と「本物であってほしい」という欲望が、観客の中で同時に働く。見世物師はその欲望を巧みに操った。断定しない。しかし否定もしない。観客が自ら「本物かもしれない」と思い込む余地を、丁寧に残した。
 この構造——「知っているが、信じたい」——は、後に映画という技術と出会ったとき、全く異なる形で蘇ることになる。


注釈・参照文献・ウェブサイト
川添裕「見世物絵の世界へようこそ」RAKUGO.COM http://www.rakugo.com/library/intro-g.html
「見世物」文化デジタルライブラリー https://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/contents/learn/edc15/jidai/bunka/bu6.html
川添裕「見世物は何処へいく」RAKUGO.COM http://www.rakugo.com/library/future.html
川添裕「見世物を考えるための統計データ」RAKUGO.COM
http://www.rakugo.com/library/geinoushiken.html
川井ゆう「江戸時代から現代において人形師はどんな等身大人形を作ったのか」『デザイン理論』1999, 38, p. 21-23.
https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/53085/jjsd38_015.pdf
川添氏の文献では「因果物」、川井氏の文献では「奇形」または「不具者」(現在ではともに使用を避けるべき単語)と呼ばれている。
怪物・異形の表象をめぐる倫理的問題については、第26章「ヒーローと暴力の倫理学」および第27章「特撮とジェンダー」で改めて論じる。


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