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第2節 戦争の死者という読み——皇居だけが無傷である理由をめぐって

 前節の終わりに残した疑問を、もう一度確認しておきたい。ゴジラが核
そのものの身体化であるなら、なぜこの怪獣は核を生み出した当事国では
なく、日本を、東京を目指すのか。

 この問いに対し、文芸評論家・川本三郎は一つの大胆な仮説を提示した。
 川本は1983年の論考「『ゴジラ』はなぜ『暗い』のか」で、『ゴジラ』を単なる戦災映画としてではなく、第二次世界大戦で、とりわけ海で死んで
いった兵士たちへの鎮魂歌として読み解いた[i]。海から現れ、海へ消えて
いくゴジラの軌跡そのものが、戦没兵士たちの軌跡と重なる、というのが
川本の論旨である。

 この読みには、見過ごせない含みがある。
 第1章の図式では、怪物は秩序の「外」にあるものを可視化し、それを
恐れ、排除せよと命じる存在だった。しかし川本の読みに立つなら、ゴジラはその図式の外側に立つ。ゴジラは秩序の外からやってきた異物ではなく、秩序の内側——日本社会自身——が生み出し、見送り、そして忘れようと
した自国の死者だからだ。排除すべき敵ではなく、迎え入れられずにいる
身内。この読みが正しいなら、ゴジラに「これを恐れよ、これを排除せよ」と命じることは、自分自身の死者についてそう命じることに等しい。

 この読みを支える、作品内の一つの事実がある。
 劇中でゴジラは、田町付近から銀座、国会議事堂周辺まで東京の広範囲を破壊するが、皇居には一度も被害を与えない。放射能を帯びた熱線で通過
する場所をことごとく焼き尽くすゴジラの破壊力からすれば、この迂回は
不自然にも見える。

 川本はこの不自然さに、一つの説明を与えた。戦争で死んでいった者たちが、いまだ天皇制の呪縛のなかにあるがゆえに、ゴジラは皇居だけは破壊できない——川本はこの読みを「ゴジラの思想的不徹底」だと批判する者を、天皇制が持つ暗い呪縛力を理解していない者だと評した[ii]。

 民俗学者・赤坂憲雄は1992年の論考でこの読みを引き継ぎ、さらに踏み
込んだ。皇居を前にして突然向きを変え、海へ還っていくゴジラの姿に、
赤坂は痛ましさを見出した。戦争で南方の海に散った若き兵士たちの霊魂と、彼らを送り出しながらいまや魂を鎮める力を失ったこの国の祭祀者とが、声もなく対峙する光景が、この場面の基層に沈められている——赤坂はそう論じた[iii]。

 しかし、この読みには見過ごせない難点もある。
 戦争映画研究者で作家の永田喜嗣は、「ゴジラ戦死者説」に内在する矛盾を指摘している。ゴジラが、国家に命を奪われた兵士たちの怨念であり、
国会議事堂を襲うことで戦争を遂行した国家の責任を追及しているのだとすれば、なぜその怒りは、何の責任もない一般市民——兵士たち自身の家族が含まれているかもしれない人々——にまで及ぶのか[iv]。
1954年の『ゴジラ』の原作者・脚本家・監督がそこまで意図していたとは
考えにくい、と永田自身も認めている[v]。だが、「戦死者説」を読みの一つとして採用するなら、この矛盾は避けて通れない。

 もう一つ、これらの象徴的な読みとは系統の異なる対抗説がある。ゴジラの進撃ルートが、東京大空襲の際の実際の爆撃ルートと重なっているという指摘に基づき、皇居が無傷なのは象徴ではなく、空襲という歴史的記憶の
単純な再現にすぎない、とする見方だ[vi]。

 しかしこの説には、史実上見過ごせない限界がある。1945年3月10日の
東京大空襲、いわゆる下町空襲では、皇居は爆撃区域の外にあったため確かに被害を免れた。だが同年5月24日から25日にかけての山の手大空襲では、皇居も被害を受けている[vii]。「皇居は空襲によって一度も被害を受けなかった」という前提そのものが、史実としては成立しない。しかも、鹿野瀬の論考で指摘されているように、ゴジラの進撃ルートはB-29の爆撃ルートと
地理的に一致していない[viii]。

 したがって、ゴジラが皇居だけを最後まで避け続けるという描写は、空襲の記憶を忠実に再現したものとは言いがたい。むしろ史実の一部だけを選び取り、別の論理によって組み立てられたものである可能性のほうが高い。

 さらに、これとは別に、より単純な可能性も残されている。皇居への被害が描かれなかったことに、深い理由はなく、単に設定や演出上の事情から
たまたまそうなったにすぎないとする説がある。「ゴジラは光に反応するという習性からすれば、森に覆われた皇居に関心を示すとは思え」ないし、「そもそもゴジラが皇居を襲ったところで、巨大建造物があるわけではないので、インパクトのある映像にはならない」というものだ[ix]。また、東宝という会社が社会的な問題を引き起こすことを単に避けた結果にすぎない、という見方もある[x]。

 戦死者の亡霊か、史実の選択的な再構成か、演出の結果か、製作上の配慮か、あるいはその複数が重なり合った結果か。
 この問いに、本稿は決定的な答えを出さない。むしろ、一つの事実に対して複数の説明が拮抗し続けているという状況そのものが、ゴジラという作品の性質を物語っている。
 そしてこの「複数の説明」は、戦争の記憶だけにとどまらない。次節では、もう一つ別の角度から——ゴジラを「恐竜」として読む系譜から——
同じ怪獣に向き合うことにしたい。


[i] 川本三郎「『ゴジラ』はなぜ『暗い』のか」『新劇』第30巻第11号、白水社、1983年、25頁。同論考は川本三郎『今ひとたびの戦後日本映画』(岩波書店、2007年)に収録されている。
[ii] 同上25-28頁。
[iii] 赤坂憲雄「ゴジラは、なぜ皇居を踏めないか?」『映画宝島 怪獣学入門!』宝島社、1992年、13-17頁。
[iv] 永田喜嗣「『GMK・大怪獣総攻撃』の解読 太平洋戦争と戦争責任(前編)」note、2024年8月21日。
[v] 同上。
[vi] 東京大空襲再現説(B-29ルート一致説)が広まったのは、次の記事が大元と思われる。木走正水「ゴジラが皇居を襲わなかった本当の理由〜何もわかっちゃいない産経コラム」木走日記、2006年2月10日。
https://kibashiri.hatenablog.com/entry/20060210/1139557622
木走氏は『円谷英二 生誕100年記念』(KAWADE夢ムック 文藝別冊)(河出書房新社、2001年)に収録されている木原浩勝の文章を根拠に東京大空襲再現説を唱えた。ところが、鹿野瀬「ゴジラの襲撃ルートと東京大空襲の爆撃ルートが同じ話に関して、木走正水氏に質問とお願い」ARTIFACT@はてブロ(2017年11月19日)で書かれているように、木原氏はゴジラの進撃ルートがB-29の爆撃ルートと地理的に一致するとは書いていない。さらに、ゴジラは東京大空襲で最も被害を受けた下町の木造住宅密集地域を通っていないのだから、この点でも一致していない。なお、被害地域を含む東京大空襲の詳細については、Bryan R. Swopes, “9–10 March 1945: Operation Meetinghouse,” This Day in Aviation – Important Dates in Aviation History, March 9, 2026.
[vii] 「爆撃で被害を受けた皇居」昭和館デジタルアーカイブ
[viii] 鹿野瀬「ゴジラの襲撃ルートと東京大空襲の爆撃ルートが同じ話に関して、木走正水氏に質問とお願い」ARTIFACT@はてブロ、2017年11月19日。 なお、この論考が東京大空襲再現説(木走説)に対する批判として提示された経緯については注viを参照。
[ix] 近藤正高「ゴジラはなぜ皇居を襲わないのか——『シン・ゴジラ』はこの問題にどう答えたか」excite.ニュース、2016年8月31日。
[x] 酔生夢死「ゴジラと皇室」アティーカ通信、2022年2月28日。


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