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第2節 意味を失った王――平成ゴジラの迷走

ウルトラシリーズが二度の死を経験していた同じ時期、ゴジラは対照的な
軌跡をたどっていた。死んではいない。むしろ興行的には安定した人気を
保ち続けていた。しかし、その安定の内側で、ゴジラという存在が背負う「意味」そのものが、じわじわと希薄化していったというのが、本節で検討する見立てである。

1984年の『ゴジラ』[i]による復活以降、1989年の『ゴジラvsビオランテ』[ii]を第1作として、1995年の『ゴジラvsデストロイア』[iii]まで、6作にわたる「平成VSシリーズ」が製作された。キングギドラ[iv]、モスラ[v]、メカゴジラ[vi]、スペースゴジラ[vii]、デストロイアと、毎回新たな対戦相手を迎えるこの構成は、シリーズに安定したフォーマットを与えた一方で、初代『ゴジラ』が背負っていた核兵器への恐怖という単一で切実な主題は、対戦相手ごとに異なる意匠――遺伝子操作、人工兵器、宇宙生物、増殖生命体へと分散し、次第に見えにくくなっていった[viii]

もっとも、この「迷走」という評価を、興行的な失敗の物語と混同してはならない。シリーズ最終作『vsデストロイア』は配給収入20億円を記録し、翌1996年の邦画配給収入上位に位置づけられている[ix]。「迷走」とはあくまで思想的・主題的な評価であり、興行的な数字が示すのはむしろ逆の事実――ゴジラというブランドが、この時期を通じて安定した集客力を保ち続けていたという事実である。両者を混同して「迷走イコール失敗」という単純な図式に落とし込むことは、本稿が避けたい単純化にほかならない。

同様の留保は、個々の作り手の仕事についても必要である。特技監督・川北紘一は、『vsビオランテ』から『vsデストロイア』まで、84年版を除く平成ゴジラシリーズすべてで特技監督を務め続けた[x]。彼が確立した、爆発的でスピード感のある戦闘描写は、シリーズを特徴づける美学として一貫していた[xi]。「迷走」を主題面の話に限定するなら、この技術的な一貫性と達成は、そこから独立して評価されるべきものである。

監督についても同じことが言える。『vsモスラ』(1992年)、『vsメカゴジラ』(1993年)、そして『vsデストロイア』(1995年)と、シリーズ後半の主要作品の多くを大河原孝夫が手がけており[xii]、例外は大森一樹が脚本・監督を務めた『vsビオランテ』(1989年)・『vsキングギドラ』(1991年)の2作と、スタッフを一新して製作された『vsスペースゴジラ』(1994年、監督・山下賢章、脚本・柏原寛司)である[xiii]。つまり平成VSシリーズは、しばしば「作家不在の量産体制」として語られがちだが、実際にはシリーズの背骨の部分に、大河原という一人の監督による一貫した演出の手が通っていた。

第1作『vsビオランテ』が背負っていたテーマ的野心は、この点でとりわけ見落とされやすい。本作は一般公募で選ばれた原案をもとに、大森一樹が脚本・監督を兼務するという、それまでのゴジラ映画にない布陣で製作された[xiv]。物語は、遺伝子工学の権威である白神博士が、テロで喪った娘の細胞をバラの花に組み込み、そこにゴジラ細胞を融合させて怪物ビオランテを生み出してしまうという筋立てで、バイオテクノロジーと、死者を蘇らせようとする個人的な狂気とを結びつけた、意欲的な題材だった[xv]。核兵器の
恐怖という初代の主題を、遺伝子工学という1980年代末の科学的関心に置き換えて継承しようとする試みであり、単なる「迷走」の一言では片づけられない野心をここに見出すことができる。

そして、シリーズを締めくくった『vsデストロイア』における「ゴジラの死」という決断もまた、単なる息切れではなく、シリーズが自らの限界を自覚した上での、意図的な区切りとして読むことができる。本作でゴジラは、体内の核エネルギー暴走によるメルトダウンの果てに絶命する。それは初代『ゴジラ』以来、実に41年ぶりに描かれた「ゴジラの死」であった[xvi]
スーツアクター・薩摩剣八郎にとって、本作が最後に演じたゴジラ作品となったことも、本作が単なる1エピソードの終わりではなく、一つの時代そのものの終幕として設計されていたことを裏づけている[xvii]。ハリウッド版ゴジラの製作を控え、「日本のゴジラ」を一度きちんと終わらせておくという判断が、この決断の背後にあった[xviii]

こうして見ると、平成ゴジラの「迷走」とは、対戦相手を消費し続けると
いう構造そのものの限界であって、個々の作り手の力量や誠実さの欠如ではなかったことが分かる。

次節では、ゴジラが自らの主題を希薄化させていくのとほとんど同じ時期に、まったく対照的な仕方で――ゴジラそのものへの批評として――自らの主題を先鋭化させていった、もう一つの怪獣シリーズに目を向ける。ガメラである。



[i]ゴジラ」映画.com。
[ii]ゴジラVSビオランテ」映画.com。
[iii]ゴジラVSデストロイア」映画.com。
[iv]ゴジラVSキングギドラ」映画.com。
[v]ゴジラVSモスラ」映画.com。
[vi]ゴジラVSメカゴジラ」映画.com。
[vii]ゴジラVSスペースゴジラ」映画.com。
[viii]【ゴジラ】あなたが好きな、『平成ゴジラシリーズに登場した怪獣・メカ』はなに?」ねとらぼ(ITmedia)、2021年2月10日。キングギドラ、モスラ、メカゴジラ、スペースゴジラ、デストロイアなど作品ごとに異なる対戦怪獣が登場し、ベビーゴジラがリトルゴジラ(『vsスペースゴジラ』)を経て、核分裂の放射能によってゴジラジュニア(『vsデストロイア』)へと成長していく経緯が、東宝公式サイトの記載に基づいて解説されている。
[ix] 一般社団法人日本映画製作者連盟「過去興行収入上位作品」。1996年公開作品の配給収入ランキングにおいて、『ゴジラVSデストロイア』が配給収入20億円(2,000百万円)の東宝配給作品として掲載されている。
[x] 氷川竜介ほか『日本のメディア芸術の潮流と表現の変遷に関する調査』文化庁、2013年、46頁。1970〜80年代の中野昭慶に続き、1990年代の東宝特撮を牽引したのは円谷門下生の川北紘一であったと位置づけられている。個々の作品での特技監督としての参加は、「ゴジラvsビオランテ」「ゴジラVSキングギドラ」「ゴジラVSモスラ」「ゴジラVSメカゴジラ」「ゴジラVSスペースゴジラ」「ゴジラVSデストロイア」各映画.comページで個別に確認できる。
[xi] プロデューサー富山省吾へのインタビュー「プロデューサー・富山省吾が語るゴジラと『平成・VSシリーズ』の世界」TVガイドWebを参照。同記事は、川北特技監督による表情豊かな特撮描写を「快挙」と評している。
[xii] 「ゴジラVSモスラ」映画.com。監督は大河原孝夫と記されている。「ゴジラVSメカゴジラ」映画.comも参照。「ゴジラVSデストロイア」映画.comも参照。大河原孝夫の監督作品一覧(映画.com)でも、上記3作が監督作として掲載されている。
[xiii] 「ゴジラVSキングギドラ」映画.com。脚本・監督は「満月(1991)」の大森一樹と記されている。大森一樹の監督作品一覧(映画ナタリー)でも、『ゴジラVSビオランテ』『ゴジラVSキングギドラ』の2作が監督作として掲載されている。プロデューサー富山省吾へのインタビュー、前掲。『vsスペースゴジラ』(94年)でスタッフが一新され、監督は山下賢章、脚本は柏原寛司が務めたことが述べられている。
[xiv]ゴジラVSビオランテ」新文芸坐・作品解説。原案が公募で選ばれ、監督も東宝社外から大森一樹を起用したことが記されている。 「ゴジラVSビオランテ」映画.comも参照。
[xv] 新文芸坐・作品解説、前掲。死んだ娘の遺伝子をバラの細胞に組み込んだ白神博士が、そこにゴジラ細胞を加えてビオランテを生み出してしまうという筋立てが記されている。
[xvi] 太田サトル「『ゴジラ、死す』90年代のゴジラ映画シリーズを振り返る」エキサイトニュース。1954年公開の第1作を除けば、それまでゴジラが死んだ描写は一度もなかった旨が記されている。
[xvii]特撮ばんざい!第31回:さようならミスター平成ゴジラ 追悼・薩摩剣八郎さん」モノ・マガジンweb(ワールドフォトプレス)、2023年12月27日。薩摩剣八郎が1984年『ゴジラ』から1995年『ゴジラVSデストロイア』まで7作品でゴジラを演じ、本作が最後に演じたゴジラ作品となったことが記されている。
[xviii] プロデューサー富山省吾へのインタビュー、前掲。『ゴジラVSメカゴジラ』(93年)の解説の中で、ラドンが登場したのはハリウッドゴジラに向けてシリーズ終了が予定されていたためだと述べられている。

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