第3節 着ぐるみの内側――過酷な現場と、それぞれの意味づけ
古谷敏が最初に袖を通したウルトラマンのスーツは、品質の悪いラテックス製で、裏地すらない代物だった。体に密着するように作られていたため、
滑りを良くするベビーパウダーを全身に塗らなければ着ることすらできず、4、5人がかりでも着用に40分を要したという[i]。完成したスーツは、格闘家の前田日明が後年「合計約120キロ」と概算したように、俳優自身の体重(約70キロ)にスーツの重量(50キロ以上)を上乗せした重さがあり、
しかもダイビングスーツと同じ素材で作られていたため、体にぴったりと
張りついて皮膚呼吸ができなかった[ii]。ここにスタジオの照明の熱が加わる。手袋やシューズの内側には汗が溜まり、軽い熱中症を起こすこともしばしばで、撮影の合間には人目につかない場所で胃の中のものを戻すことも
珍しくなかったという[iii]。
この過酷さは、ウルトラマン役に抜擢される以前、『ウルトラQ』のケムール人役の時点ですでに古谷を苦しめていた。あまりの過酷さに「もう二度とスーツアクトはやらない」と心に決めたにもかかわらず、別現場で世話になったスタッフからの依頼を断り切れず、続く海底原人・ラゴン役を引き受けている。しかも当時の現場には、撮影後に海水で濡れた体を拭くタオルや
着替えの下着すら、スタッフ側から用意されていなかったという[iv]。
中島春雄もまた、水中撮影における危険な経験を証言している。海への飛び込みシーンの撮影中、水中で逆立ちするような体勢のまま身動きが取れなくなり、スタッフの救助が来るまでじっと動かず息を止めて待っていたという[v]。
これらの証言を並べたとき、興味深いのは、同種の危険と苦痛を前にした
二人の意味づけの違いである。古谷は、こうした極限状態を、俳優としての葛藤や屈辱の記憶とともに語る傾向が強い。実際、彼はウルトラマン役の
オファーを受けた際、「ぬいぐるみに入る役」と知って一度は断っており、当時のスーツアクターという立場そのものへの抵抗感を隠していない[vi]。
一方、中島の証言からは、同様の危険と隣り合わせの環境を、工夫のしがいのある職人仕事として語る調子が強く感じられる。もっとも、この違いを
二人の資質の差として片づけるべきではないだろう。古谷もまた、当時
「体型維持のため太っても痩せてもいけない」という要求に応え続け、それでも常に笑顔を絶やさなかったと自ら語っている[vii]。過酷さへの向き合い方は、苦痛の記憶と職業的な矜持という、一見相反する二つの層が同じ一人の証言者の中に同居しうるものであり、単純な対比には収まらない。
[i] 大石七里「スーツアクターも絶賛!海洋堂ウルトラマンフィギュアの"スペシウム光線"ポージング」GoodsPress Web、2019年1月16日。
[ii] 「《放送開始60年『ウルトラマン』特別対談》スーツアクター・古谷敏氏が明かす"ウルトラマンの戦いの動き"」NEWSポストセブン、2025年10月2日。
[iii] 田近裕志「第40回:ウルトラマンのスーツアクター・古谷敏」CHEWING OVER、2013年4月25日。古谷敏の自伝『ウルトラマンになった男』(小学館、2009年)を典拠とする。
[iv] 「地上波放送60周年!令和にスーツアクター・古谷敏から明かされる『ウルトラマン』シリーズ制作現場の裏側」TOWER RECORDS ONLINE、2025年11月25日。古谷敏・やくみつる・佐々木徹『60年目のスペシウム光線』小学館、2025年からの引用。
[v] ウィキペディア「中島春雄」。この記事は、中島春雄『怪獣人生 元祖ゴジラ俳優・中島春雄』洋泉社、2010年、162-166頁を典拠としている。
[vi] 「ウルトラマン55周年記念コイン連動企画 スーツアクター 古谷敏さん 特別インタビュー」泰星コイン公式サイト、2021年7月21日。
[vii] 河崎実「第二章 過酷な撮影現場 ウルトラマンのポーズ」古谷敏『ウルトラマンになった男』小学館、2009年、81--83頁。
