第3節 比較という試練——蛇は悪か、神か
怪物が社会の産物だとするなら、異なる社会が生み出した怪物を比較することで、何が見えてくるか。
比較神話学はこの問いに長く取り組んできた。そしてその成果の一つとして、「英雄と怪物の対決」という構造が世界中の神話に繰り返し現れることが確認されている。英雄が怪物を倒し、共同体を救う——この物語の型は、ギルガメシュからベーオウルフまで、古事記からギリシャ神話まで、確かに存在する。
しかしここで立ち止まらなければならない。
「形が似ている」ことと「機能が同じ」ことは、別の話だ。
一つの問いを立ててみよう。世界中に「蛇型の怪物」が存在する。これは何を意味するか。蛇は実際に人間にとって危険な生き物であり、その普遍的な脅威が怪物として形象化された——これが最も単純な説明だ。しかしこの説明は、すぐに壁に突き当たる。
蛇型の存在を、四つの文化圏で比べてみよう。
日本のヤマタノオロチは、前節で見たように退治される。スサノオに酒で眠らされ、切り刻まれる。しかしその尾から草薙の剣が出てくる——怪物は悪でありながら、聖なるものを内包している。
インドのナーガは、退治されない。ナーガは蛇神であり、水・豊穣・知恵の守護者だ。寺院に祀られ、仏陀を守る存在として描かれ、王権の正統性を保証するとされる。インド亜大陸において蛇は恵みの雨をもたらす存在であり、その象徴的意味が神話の中でナーガという形を取った。
北欧のヨルムンガンドルは、世界の海を取り囲む巨大な蛇だ。神々の黄昏(ラグナロク)において、雷神トールとヨルムンガンドルは互いに相手を倒す。英雄が怪物を「征服」するのではない。二者は相打ちになる[i]。ヨルムンガンドルは宇宙的な秩序の一部であり、その死は世界の終わりと一体のものとして語られる。
中国の龍は、さらに複雑だ。龍は西洋のドラゴンとは根本から異なる。西洋のドラゴンが破壊と混乱の象徴であるのに対し、中国の龍は皇帝の権威・天の意志・水と豊穣の象徴だ。龍は宮殿の壁画に描かれ、旗に刻まれた。退治される怪物どころか、権力そのものの象徴である。
四つの蛇型存在を並べると、こう整理できる。
日本では退治される聖なる怪物、インドでは崇拝される神、北欧では英雄と相打ちになる宇宙的存在、中国では権威の象徴。「形は同じ、機能は全く異なる」——これが蛇型怪物の比較から見えてくる事実だ。
では、英雄と怪物の物語はどうか。「英雄が怪物を倒す」という構造は、文化を超えて本当に「同じ」と言えるのか。
ここでアルバート・ベイツ・ロードの研究が参考になる。ロードはベーオウルフ・ギルガメシュ叙事詩・ホメロスの叙事詩を比較分析し、複数の神話的パターンがこれらの作品に共通して見られることを示した[ii]。英雄が怪物を倒し、続いて別の脅威と対決し、仲間の死を経て自らの死すべき運命を悟る——この連鎖は確かに三つの叙事詩に共通する。
しかし、ロードの分析が同時に示すのは、その「共通構造」の中に刻まれた文化的差異だ。
ギルガメシュ叙事詩では、英雄ギルガメシュは怪物フンババを倒した後、友人エンキドゥの死に直面し、自らの死への恐怖から不死を求めて旅に出る[iii]。怪物退治は物語の出発点に過ぎず、主題は「死すべき人間の運命とその受容」だ。オデュッセイアでは、ポリュフェモス(一つ目の巨人)という怪物との対決[iv]は英雄の帰路に散りばめられた試練の一つであり、主題は「知恵による帰還」だ。
ベーオウルフはどうか。グレンデルとの戦いに勝利したベーオウルフは、続いてグレンデルの母と戦い、最後に老いてドラゴンと戦って死ぬ。構造はギルガメシュに似ている。しかし、両者を並べると一つの違いが浮かび上がる。ベーオウルフでは「怪物を倒すこと」が、ほぼ疑いなく善の行為として描かれる。ギルガメシュにおいては、友人エンキドゥの死が英雄の行為の帰結として影を落とし、物語に倫理的な陰影を与えていた。ベーオウルフにその種の陰影は薄い——英雄は共同体の守護者として一貫して称えられる。この違いの背景にゲルマン社会の戦士文化やキリスト教的な善悪観があると指摘する研究者は多いが[v]、詳細な検討は本章の範囲を超える。
このように、「英雄が怪物を倒す」という外形は同じでも、その意味は全く異なる。
ギルガメシュにとって怪物退治は「死への旅の出発点」であり、オデュッセウスにとっては「帰還の途中の試練」であり、ベーオウルフにとっては「共同体のための犠牲的使命」だ。怪物を倒すことが何を意味するかは、その社会の死生観・共同体観・善悪観によって根本から変わる。
比較神話学の成果を否定する必要はない。「英雄と怪物の対決」という構造が世界中に存在することは事実だ。しかしその構造を「普遍的機能」と呼ぶことには慎重であるべきだ。比較から見えてくるのは「同じ構造」ではなく、「同じ外形を持ちながら異なる意味を担わされた物語群」だ。そしてその意味の違いこそが、それぞれの社会の秩序観・世界観・人間観を映し出している。
ここで、本章の中心命題に戻ろう。怪物の「形」と「機能」は、その社会が何を「秩序」とし、何を「秩序の外」に置くかによって決まる。蛇型怪物の比較はこの命題を実証する。英雄神話の比較もこの命題を実証する。
では、「怪物を退治する英雄」という物語の型そのものを問い直すとしたら、どうなるか。次節ではその問いに向かう。
参照文献・ウェブサイト
[i] 『詩のエッダ』第55〜56連。The Poetic Edda, Internet Sacred Text Archive.
[ii] Albert Bates Lord, "Interlocking Mythic Patterns in Beowulf," Epic Singers and Oral Tradition, Cornell University Press, 1991, Chapter 8.
[iii] Spar, Ira. "Gilgamesh." In Heilbrunn Timeline of Art History. New York: The Metropolitan Museum of Art, 2000–. (April 2009)
[iv] ホメロス『オデュッセイア』第9巻。Homer, Odyssey, Book 9. Perseus Digital Library.
[v] J.R.R. Tolkien, “Beowulf: The Monsters and the Critics” (1936)
これはベーオウルフのキリスト教的文脈と怪物の文学的意義を論じた先駆的研究として参照されることが多い。
