第2節 仕掛けが生む驚異——歌舞伎の舞台機構
見世物小屋と同じ時代、江戸にはもう一つの「驚異の装置」があった。
歌舞伎だ。
歌舞伎と見世物小屋は、同じ盛り場に並び立つ娯楽として江戸の人々に親しまれた。しかし両者の間には、決定的な違いがある。見世物小屋が「日常の秩序の外にあるものを見せる」装置だとすれば、歌舞伎は「現実にない出来事を舞台の上で起こす」装置だった。その違いを生み出したのが、歌舞伎が18世紀以降に発展させた精巧な舞台機構だ。
三つの仕掛けを見ておきたい。
一つ目は「セリ」だ。舞台の床の一部を上下に動かす仕掛けで、地面の下から人物や大道具が出現する演出を可能にした 。花道に設けられた小型のセリは「スッポン」と呼ばれ、幽霊や妖怪、人間に化ける狐といった非現実的な存在の登退場に使われた 。地の底から何かが召喚される——その視覚的な衝撃は、言葉で「鬼が現れた」と語る神話の伝達とは、根本的に異なる。
二つ目は「廻り舞台」だ。舞台の床を円盤状にくり抜き、地下の奈落で人力によって回転させる仕掛けで、観客の目の前で場面が瞬時に転換する 。
この技術を現在の形に工夫したのは18世紀大坂の狂言作者・並木正三とされる 。廻り舞台について松竹の解説は「いま目の前の現実が『つくりごと』であることを明かしつつ、同時に夢のような世界を実現する」と述べている 。仕掛けであることを隠さない。しかしその仕掛けが観客を別の現実へと連れ去る——この逆説は、歌舞伎の舞台機構の本質を鋭く言い当てている。
三つ目は「宙乗り」だ。ワイヤーで吊られた俳優が花道付近から上昇し、客席の上空を移動する演出で、空を飛ぶ存在——天女、妖怪、神通力を持つ者——を舞台に出現させるために用いられた 。享保年間(1716〜1735年)に歌舞伎の舞台に屋根がつけられて全蓋式になったことで、宙乗りや暗闇の演出が本格的に可能になったとされる 。
この三つの仕掛けに共通するのは何か。
「様式化」ではなく「驚異の実現」だ。
歌舞伎には確かに様式的な美学がある。隈取り、見得、型——これらは「現実をそのまま再現する」のではなく、様式によって感情や状況を表現する技法だ。しかし舞台機構は、様式化とは正反対の方向を向いている。セリは「地底からの出現」を実際に起こし、廻り舞台は「場面の転換」を観客の目の前で実現し、宙乗りは「空を飛ぶ存在」を舞台空間に出現させる。これらは「空を飛ぶように見える動き」を様式で表現するのではなく、物理的な仕掛けによって「実際に空を飛ぶ存在」を出現させようとする試みだ。
ここに、見世物小屋と共鳴する構造がある。
宙乗りを見る観客は、俳優がワイヤーで吊られていることを知っている。廻り舞台が人力で動かされていることも知っている。しかしそれを知りながら、観客は驚く。頭では「仕掛けだ」とわかっていても、目の前で起きていることが身体に直接働きかける。これは第1節で見た見世物小屋の観客構造——「知っているが、信じたい」——と同型の体験だ。
この「知っているが驚く」という逆説は、特撮の観客が体験することと構造的に同じだ。着ぐるみと分かっていても怪獣が怖い。ミニチュアと分かっていても都市の崩壊に息を呑む。「嘘だと知りながら本物の感覚を覚える」——この体験の構造は、歌舞伎の舞台機構がすでに作り出していた。
ただし、断絶もある。
歌舞伎の舞台は、同一空間の身体的な共同体験だ。俳優と観客は同じ空気を吸い、宙乗りの風切り音が客席に届き、廻り舞台の回転が床の振動として伝わる。観客は「見る」と同時に「その場にいる」。しかし実写のカメラを基盤とした映像は、これとは異なる「実在性の感覚」を持つ。カメラのレンズを通じて映し出される映像は、「これは現実に起きたことだ」という感覚を、舞台では届かない深さで呼び起こす。第1章で論じたように、この質的な差異こそが「前史」と「特撮」を隔てる断絶だ。
歌舞伎の舞台機構は、その断絶の手前で、できる限りのことをした。仕掛けによって驚異を実現し、観客を「知っているが驚く」という状態に導いた。特撮がカメラによって達成することを、歌舞伎は舞台という空間の中で追い求めていた。
注釈・参照文献・ウェブサイト
国立劇場「歌舞伎への誘い——舞台の機構」https://www2.ntj.jac.go.jp/unesco/kabuki/jp/stage/index.html
立命館大学「舞台機構と楽屋——見る・読む・知る歌舞伎と劇場」
https://www.arc.ritsumei.ac.jp/lib/exhibition/2010/kabuki/1/post_1.html
松竹「歌舞伎と劇場——廻り舞台」https://www.shochiku.co.jp/play/enjoy/kabukikou/vol6/
国立劇場「宙乗り」https://www2.ntj.jac.go.jp/unesco/kabuki/jp/production/performance2.html
国立劇場「歌舞伎への招待」https://www2.ntj.jac.go.jp/unesco/kabuki/jp/stage/stage1.html
「劇場・舞台」『新版 歌舞伎事典』
