見出し画像

第1節 2度の却下——「十字仮面」から「骸骨」を経て「バッタ」へ

外から来る神と、内から変身する人間。前章の最後に本書が置いたこの対照は、しかし、まだ答えではない。それは問いの入り口にすぎない。

仮面ライダーは、なぜ「変身」しなければならなかったのか。より正確に
言えば——なぜこのヒーローは、初めから怪物の姿を宿していなければならなかったのか。

ウルトラマンは、M78星雲からやって来て、地球の危機が去ればまた宇宙へと帰っていく。怪獣と戦う力は、ウルトラマン自身のものであり、科学特捜隊の隊員たちが後から借り受けるものではない。しかし仮面ライダーの力は、そもそもの出自からして、人間のものではない。本郷猛という一人の
青年は、悪の秘密結社ショッカーによって改造され、バッタの能力を持つ
怪人にされかけた者である。仮面ライダーは、怪物になりかけた人間が、
怪物のままヒーローを演じ続ける物語なのだ。

この対照をもう少し具体的に言い換えてみよう。第1章で見た神話の多くは、怪物への向き合い方として、「退治する」(ヤマタノオロチ、ベーオウルフ)か、「共存する・鎮める」(インドのナーガ、日本の荒魂)かという二つの型を示してきた。仮面ライダーは、そのどちらでもない。この作品のヒーローは、怪物を外から倒すのではなく、自分自身が怪物にされてしまった者であり、しかも怪物になったまま、怪物を送り込んでくる側ではなく、人間を守る側に踏みとどまろうとする。「怪物を退治する」でも「怪物と共存する」でもなく、「怪物自身が人間の味方であり続けようとする」——この第三の型を、仮面ライダーは日本の特撮史に持ち込んだ。

本書は第1章で、こう問うた——なぜ仮面ライダーは、怪物に改造された
人間なのか、と。この問いは、そこで宙づりにされたまま、ここまで持ち越されてきた。

しかし、この選択肢は、最初から明確な設計図として存在していたわけではない。本章がこれから辿るのは、一人の漫画家の企画が二度却下され、主演俳優が事故に遭い、その場しのぎの判断が積み重なった末に、「怪物に改造された自分自身をどう引き受けるか」という普遍的な問いへの、一つの答えが偶然のうちに姿を現していく過程である。

まず、その出発点——仮面ライダーという「顔」がどのようにして決まったのか、というところから始めよう。

第1節       2度の却下——「十字仮面」から「骸骨」を経て「バッタ」へ

仮面ライダーの企画は、思想から始まったのではない。それは、1本の番組枠を埋めるという、きわめて実務的な依頼から始まっている。

1969年から70年にかけて、大阪の毎日放送から東映に新番組企画の依頼が
もたらされた[i]。この依頼は1969年の新番組制作の打診から始まり、正式には1970年6月、東映テレビ部テレビ企画営業部長の渡邊亮徳が、毎日放送
映画部長・庄野至から翌1971年春の新番組提案を求められることになる[ii]。

渡邊は、プロデューサーに平山亨を起用し、石森章太郎(後の石ノ森章太郎)のマネージャーで企画プランナーだった加藤昇を交えて企画を練り、『月光仮面』のような仮面のヒーロー物を毎日放送に提案した[iii]。

平山が最初に考えた企画は、仮面の等身大ヒーロー「マスクマンK」だった。次いで脚本家の伊上勝・市川森一・上原正三も加わって企画をブラッシュアップし、「仮面天使 マスクエンジェル」と改題。さらに毎日放送側からの「オートバイに乗ったヒーロー」という要望を受けてリライトされたのが「クロスファイヤー(十字仮面)」の企画だった[iv]。つまり、「仮面ヒーロー」という枠組み自体は、石ノ森が持ち込んだのではなく、東映側がすでに用意していた器であり、石ノ森はそこにデザインと物語を注ぎ込む役割として参加したことになる。この時点で石ノ森に求められていたのは、神話や思想ではなく、まず「顔」だった。

石ノ森が最初に完成させた「クロスファイヤー」のデザインは、赤い十字の付いたフルフェイスヘルメットにライダースーツというもので、毎日放送側からも好感触を得た[v]。しかし石ノ森自身が「インパクトが弱い」として、このデザインを自ら却下した[vi]。

ここに、最初の逆説がある。制作サイド・放送局側が満足していたデザインを、原作者自身が葬り去ったのだ。

石ノ森が次に再提案したのは、その約1年前に読み切り漫画として発表していた『スカルマン』を下敷きにした、髑髏をモチーフとする「仮面ライダー スカルマン」だった[vii]。石ノ森にとって、新しいヒーロー像とは、一見
すると反体制的にも見える、気味の悪い「異形の者」でなければならなかった[viii]。

だが、この案もまた却下される。今度は石ノ森自身の意志によってではなく、テレビ局側の判断によってだった[ix]。ドクロをモチーフにしたキャラクターが却下された理由については、文献によって説明が分かれている。マグミクスの記事は、夕方の食事どきに骸骨の怪人を映すことへの抵抗感を理由として挙げている[x]。他方、二重作論文では、骸骨というモチーフが、当時のスポンサー企業の年配幹部たちの嫌悪感を招き、スポンサー離れを引き
起こすことへの危惧が理由とされている[xi]。どちらも「テレビ的な体面」を懸念する点では共通しているが、想定されている懸念の対象――視聴者の
家庭か、スポンサー企業の上層部か――は異なっており、現時点でどちらが実際の主要な理由だったのかを確定することはできない。

なぜ石ノ森は、わざわざ骸骨などという不吉なモチーフに向かったのか。
一つの仮説として、この変更申し出は、三島由紀夫が自衛隊市ヶ谷駐屯地で決起を呼びかけ自決した、いわゆる三島事件(1970年11月25日)の影響を
受けたものだとされる[xii]。ただし、これは石ノ森自身が「骸骨案は三島事件から着想した」と明言した一次資料に基づくものではなく、時期的な近接から導かれた、後年の一つの解釈に過ぎない[xiii]。したがって本書では、これを確定事実としてではなく、根拠の薄い仮説として扱う。

スカルマン案の後に選ばれたのが、バッタだった。石ノ森は「パンチが
欲しい」との思いから、骸骨によく似た昆虫であるバッタをモチーフとした「仮面ライダー ホッパーキング」を新たに考案した[xiv]。そのデザインの決め手は、子供向けの昆虫図鑑だったという[xv]。数あるデザイン案の中
から最終的に選ばれたのは、当時5歳だった石ノ森の長男の選択だったと
伝えられている[xvi]。

バッタというモチーフの採用は、単なる思いつきではなく、造形上の必然も伴っていた。バッタは人間の顔と比べると目の位置が高いため、バッタらしさを残しつつアレンジされた結果、仮面ライダーの目は顔の高めの位置に
配置されることになった。このデザインの特徴的なベースは、現在の仮面
ライダーたちにも踏襲されている[xvii]。

石ノ森が描いた異形のヒーローへの放送局側の不安に対しては、平山が丁寧な説明を重ねて説得にあたり、最終的に「仮面ライダー」という短いタイトルでの制作が決定した[xviii]。十字仮面、骸骨、そしてバッタ——3案を経てようやく行き着いたこの顔は、後に半世紀以上にわたって東映ヒーローの
基本文法を形づくることになる。

ここで、企画段階の紆余曲折を、単なる裏話として片づけるべきではない。テレビ局が拒んだのは「骸骨」という死の象徴であり、テレビ局が最終的に許容したのは「バッタ」という、身近でありながらどこか無害に見える虫だった。人間の顔とは異なる目の位置を持ちながらも、骸骨ほど直接的に死や恐怖を想起させない——この「ちょうどよい異形」の水準にたどり着くまでに、二度の却下と、社内での粘り強い説得が必要だったのである。仮面ライダーの顔は、最初から「怪物であり、かつ愛されるヒーローである」という二律背反を体現するようにデザインされたのではない。むしろ、その二律
背反ぎりぎりの境界線を、テレビ局と原作者・制作陣の間の攻防が、結果的に探り当てたのだ。

顔が決まったところで、次に問うべきは、その顔の下にいる人間の物語である。悪の組織に改造されながら、なぜ本郷猛は悪に従わなかったのか。次節では、この問いに向かう。


[i] 二重作昌満「[B01]『仮面ライダー(1971)』シリーズ発現の真実の検証と歴史のアーカイブ化」『デジタルアーカイブ学会誌』第9巻s2号、2025年、57-60頁。https://doi.org/10.24506/jsda.9.s2_s57
幕田けいた「理解者だった姉の死、時代を先取りした設定で打ち切り……早熟の天才・石ノ森章太郎がヒットを生み出すまで」Pen Online、2023年3月18日(『Pen』2023年4月号『シン・仮面ライダー徹底研究』より抜粋)。
[ii] 「創立70周年特別寄稿『東映行進曲』第4章 行け行け東映・積極経営推進」東映株式会社公式note、2024年4月3日。1970年6月、東映テレビ部テレビ企画営業部長の渡邊亮徳が、毎日放送映画部長・庄野至から翌1971年春の新番組企画提案の依頼を受けたことを、当時の裏番組(朝日放送『部長刑事』、TBS『お笑い頭の体操』)との視聴率競争という背景とともに記す。
[iii] 同上。
[iv] 同上。
[v] 幕田、前掲。東映株式会社公式note、前掲。LUIS FIELD「初代『仮面ライダー』はTV放送前にデザイン変更されていた? 原型となったダークヒーローとは」マグミクス、2023年6月25日。
[vi] 幕田、前掲。
[vii] 幕田、前掲。東映株式会社公式note、前掲。FIELD、前掲。
[viii] 幕田、前掲。
[ix] 幕田、前掲。東映株式会社公式note、前掲。
[x] FIELD、前掲。
[xi] 二重作、前掲。同論文は村枝賢一『仮面ライダーをつくった男たち 1971・2011』(講談社、2011年)を典拠として、却下理由を「死期の近いスポンサーの上層部から嫌悪され、番組にスポンサーがつかなくなること」への危惧としている
[xii] FIELD、前掲。
[xiii] FIELD、前掲。
[xiv] 東映株式会社公式note、前掲。「"カッコいい"を飛び越えるヒーローデザイン」石森プロ公式サイト、2023年2月28日。
[xv] 幕田、前掲。
[xvi] 幕田、前掲。
[xvii] 石森プロ公式サイト、前掲。
[xviii] 東映株式会社公式note、前掲。

いいなと思ったら応援しよう!