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第4節 シリーズを支える書き手たち――「シリーズ構築者」という系譜

上原と佐々木が、それぞれ固有の出自と経験に根ざした社会批評という主題を追い続けたとすれば、荒川稔久、曽田博久、小林靖子、井上敏樹の四人は、また別の種類の持続力によって特撮というジャンルを支え続けた。彼らに共通するのは、先行する神話創造者たちが築いた枠組みの中で、数十年・数百話という規模で物語を回し続けるという仕事である。ただし、この四人を一様に「シリーズ構築者」という言葉で括ることもまた、性急にすぎる。その内実は、構造への忠実さから、個人の刻印がほとんど作品そのものに
溶け込んでしまう極端な例まで、大きな幅を持っている。

荒川稔久は1964年、愛知県名古屋市生まれ。1987年、脚本家の山田隆司の紹介で『仮面ライダーBLACK』に参加し、第28話「地獄へ誘う黄金虫」を
含む計3本の脚本を執筆したことが、東映特撮におけるクレジット上のデビューとなった。この後いったん東映との関係は途切れるが、1991年、『鳥人戦隊ジェットマン』のメインライターだった井上敏樹に声をかけられ、川崎ヒロユキとともに手を挙げたことで、スーパー戦隊シリーズに初参加する。当初は提出したプロットの大半がボツとなったが、第10話「カップめん」の回でようやく軌道に乗ったという[i]。以後20年以上にわたって数多くのスーパー戦隊シリーズに参加し、『仮面ライダークウガ』『爆竜戦隊アバレンジャー』『特捜戦隊デカレンジャー』『海賊戦隊ゴーカイジャー』ではメインライターを務めている。

荒川を特徴づけるのは、「シリーズ構築者」という仕事に対する、ある種の禁欲的なまでの自覚である。戦隊メンバー全員が力を合わせ、各人の役割
分担を明確にするという構成を繰り返し用いることについて、荒川はそれ
こそが「スーパー戦隊」というジャンルの本質なのだと述べている。もっとも、荒川自身がもともと熱心なファンだったのはウルトラシリーズの方であり、子供の頃から自らを「円谷派」と位置づけていたという。東映の特撮
作品についても、参加する以前は「安上がりにどんどん作る」一段下のジャンルだと侮っていたが、実際に『仮面ライダーBLACK』でプロデューサー
吉川進の薫陶を受けたことで、その認識をあらためたと振り返っている[ii]。自分の趣味や出自とは異なる場所に自らを置き、それでもなおジャンルの
構造的な要件を誰よりも厳格に守り抜く。荒川の仕事ぶりは、シリーズ構築者という職能が、個人の嗜好とは独立した、一種の職業的規律であり得る
ことを示している。

曽田博久は1947年生まれ。大学時代は新左翼の学生運動に身を投じていたが、後に脚本家・松浦健郎に弟子入りする。1973年、松浦の後押しで『非情のライセンス』の脚本を2本手がけたことがライターとしての第一歩となり、この縁を通じて東映プロデューサーの吉川進と出会い、『キカイダー01』などの特撮脚本にも携わるようになった[iii]。スーパー戦隊シリーズには1975年の第1作『秘密戦隊ゴレンジャー』からサブライターとして参加し、1981年の『太陽戦隊サンバルカン』まで多くの回を執筆。1982年、宇宙刑事シリーズに移った上原正三の後を受けて『大戦隊ゴーグルファイブ』からメインライターに就任し、プロデューサー鈴木武幸とのコンビで以後長く
シリーズを支え続けた。

学生運動を経験した曽田にとって、スーパー戦隊という現場は、その政治的な真剣さをそのまま持ち込める場所ではなかった。曽田がメインライターを務めた時期を含め、同シリーズは変身・怪獣出現・アクション・巨大化・ロボット戦・エピローグという「型」を毎回厳格に守り続けることを前提としており、評論家・宇野常寛はこれを「徹底した児童向けの番組として形式化」された、政治性や物語性の乏しいジャンルだと評している[iv]。荒川が
自らの趣味と切り離してジャンルの型を守ったとすれば、曽田は自らの生真面目さを型の内側に押し込め、政治的な経験や気質をそのまま脚本に持ち込むのではなく、あらかじめ定められた「型」の内側で処理する書き手だったと言える。

小林靖子は1965年生まれ。1993年、『特捜ロボ ジャンパーソン』第40話でデビューし、『星獣戦隊ギンガマン』で初めてメインライターを務めた[v]。自身のキャリアの転機になったと語るのが、2002年から翌年にかけて放送された『仮面ライダー龍騎』である。プロデューサー白倉伸一郎、監督田﨑竜太とのこの仕事を通じて、小林は長期シリーズのドラマの作り方を体得したという[vi]。以後、『仮面ライダー電王』『仮面ライダーオーズ/OOO』『侍戦隊シンケンジャー』『烈車戦隊トッキュウジャー』など数多くのシリーズでメインライターを務め、2020年には特撮の枠を超えてドラマ『岸辺露伴は動かない』の脚本でギャラクシー賞を受賞している。

小林を「シリーズ構築者」の系譜に位置づけることには、実は一つのねじれがある。小林自身、キャラクターづくりについて、口癖や好物といった記号を外部から当てはめていくのではなく、彫刻のように少しずつ人物を彫り
出していくものだと語っている。「この人の許せない一線はここなんだ」という核が一本定まってはじめて、そこから先の展開が動き出すのだという。実際『仮面ライダー龍騎』では、主要な設定や登場人物の枠組みが早い段階で固まった後も、それをどう一つの物語としてまとめるかという工程にこそ苦労したと振り返っており、ストーリーの組み立てはキャラクターが確定
した後についてくるものだったことがうかがえる[vii]。シリーズ構築者の
本分が、あらかじめ定められた構造にキャラクターを従わせ、何十話という物量を回し続けることにあるとすれば、小林はその前提そのものに抵抗し
ながら、それでもなお長期シリーズを書き続けてきた書き手だということになる。

井上敏樹は1959年、埼玉県生まれ。父はすでに第2節で見た伊上勝であり、娘の井上亜樹子も脚本家として活動しており、祖父・父・娘と三代にわたって脚本家を輩出する家系である[viii]

井上の仕事ぶりを特徴づけるのは、シリーズという枠組みの内部に、自分
自身をほとんどそのまま書き込んでしまう傾向である。井上自身、キャラクターづくりについて、突飛な人物ではなく「どこかにこういう人間はいるんじゃないか」と思わせる人物を書くようにしていると語り、その基準として「俺が書いていて楽しい人物でなきゃ」という一点を挙げている[ix]。主役よりも脇役に情が移るという述懐も含め、登場人物の造形が井上自身の好悪や関心のありかに強く規定されていることがうかがえる。『仮面ライダー555』では全50話の脚本を一人で書き切り[x]、最終話には工事現場の監督役としてカメオ出演もしている[xi]。シリーズという構造を支えるはずの書き手の個性が、ここでは構造そのものを突き破って、作品の表面にまで浮上してしまっている。

荒川の職業的規律から、曽田の抑圧された生真面目さ、小林の構造への抵抗、そして井上における個人の刻印の氾濫まで、「シリーズ構築者」という一つの言葉の内側には、これほど幅のある働き方が同居している。神話創造者とシリーズ構築者という二分法は、この四人を見る限り、きっぱり二つに分かれるものではなく、その間に無数の濃淡があるものとして捉え直す必要があるだろう。次節では、脚本家から離れ、本編監督と特技監督という、
二重の演出体制を見ていく。



[i] トヨタトモヒサ「『仮面ライダークウガ』脚本・荒川稔久、25周年で新発見 『超クウガ展』オダギリジョーの音声ガイド秘話」シネマトゥデイ、2025年6月13日。
[ii] トヨタトモヒサ、前掲。
[iii] 曽田博久「有馬記念と師匠の銀座ホステス馬券」曽田博久のblog、2016年12月20日。
[iv] 平侑子「スーパー戦隊シリーズにおける『正義』と『悪』の変遷」『Sauvage:北海道大学大学院国際広報メディア・観光学院院生論集』8号、2012年3月、71-81頁(引用は73-74頁。宇野常寛『リトル・ピープルの時代』幻冬舎、2011年、208-209頁の評言を含む)。
[v] 「小林靖子さんのような脚本家、特撮ライターになるには」シナリオ・センター。https://www.scenario.co.jp/online/20018/ ↩ 
[vi]小林靖子③ドラマの作り方が体得できた『仮面ライダー龍騎』」Febri。
[vii] 「小林靖子③ドラマの作り方が体得できた『仮面ライダー龍騎』」Febri、前掲。
[viii]新戦隊『ゴジュウジャー』井上敏樹の娘・井上亜樹子が脚本執筆 演出は田崎竜太、東映・松浦大悟が初プロデュース」シネマトゥデイ。
[ix] トヨタトモヒサ「『アギト-超能力戦争-』井上敏樹、悩まず執筆した25年後の物語 氷川誠ら登場人物に強い愛着」シネマトゥデイ、2026年4月29日。 
[x]仮面ライダー555」仮面ライダーWEB【公式】|東映。
[xi]現場監督」仮面ライダー図鑑|東映。

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