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ベルトルト・ブレヒト著『ユリウス・カエサル氏の商売』の解説を公開します

『三文オペラ』など、現在でもその作品が度々上演される劇作家ベルトルト・ブレヒトによる『ユリウス・カエサル氏の商売』は、彼の作品としてはあまり多く残されていない長編小説のひとつです。古代ローマに生きるユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)を、英雄としてではなく、投資に失敗し借金を抱え経済的に困窮するが故に、周囲に翻弄される、血筋だけがいい政治家として描いています。そんなカエサルは、ある集団の思惑で担ぎ出され、独裁者になっていくのですが、残念ながら、本小説は未完で、カエサル譚として有名なガリア戦記のところに至ってはいません。それでも、カエサル以降にどうしてローマ帝国が、つまりなぜ共和制から独裁国家が誕生したのかは明示されており、「(未完でも)その意味ではこの小説の構想はすでに明らか」(本書訳者解説より)にされています。
本書巻末には訳者岩淵達治氏による解説と、演劇学が専門の平田栄一朗氏の解説が掲載されており、前述の内容についてさらに詳しく書かれていますが、ここでは、平田栄一朗氏の解説を全文掲載します。少し長いですが、本小説に興味をもたれるきっかけになれば嬉しいです。


『ユリウス・カエサル氏の商売』のアクチュアリティ

平田栄一朗

ブレヒトの未刊の小説『ユリウス・カエサル氏の商売』(1938・39年頃執筆)は、二十一世紀も四半世紀が経つ現在、私たち読者にどのような示唆をもたらすだろうか。本書を手に取られた方は、この問いを立てずして本格的に読み進めることはないだろう。というのも、小説に描かれる政治と経済の混迷は、執筆時から八十年以上経った現在、形を変えて再び勢いを増しているからである。私たちは現在、この小説から知恵を授かりたいと思うほどに政治と経済が―本来ならばどちらも多くの人々に豊かな生活を保証するべきなのに―世界中の人々の生活を不安定にし、それがいつ安定に変わるのかが見通せない「暗い時代」に生きている。以下にこの小説が参考になると思われる解釈の一例を提示するつもりだが、その前に基本的な前提事項を二つほど確認しておきたい。

第一に、ブレヒトが描く古代ローマは一時的な独裁期を経た後の帝政時代ではなく、共和政時代であったことである。ブレヒトは、非常に限定的ではあるが民主主義的な制度を取り入れていたローマ共和政の時代、カエサルが共和主義を独裁主義に変えようとした過程を―未完ゆえ結末までに至らなかったが―描こうとした。ブレヒトの見立てでは、この移行過程が、民主主義と共和政を取り入れたワイマール共和国がナチスの独裁制へと移行した時期に通ずるものであった。二つ目の前提事項として、『ユリウス・カエサル氏の商売』は虚実綯い交ぜの特徴を生かそうとした歴史小説である点が挙げられる。この小説は伝記物のような体裁を取る一方、厳密な歴史研究を踏まえてカエサルと共和政ローマの時代を描写しているわけではない。むしろブレヒトがカエサルという史実上の人物とその時代を題材にした寓話と考えたほうがよい。本書には、政界を裏で操る、現在のロンドンの金融地区を彷彿させる財界「シティ」や株式市場、労働組合が登場するが、これらが古代ローマの時代に実在したのかという疑問は、古代ローマ史に必ずしも精通しない読者にもすぐに浮かんでくるはずだ。この点からしてもこの小説が虚実綯い交ぜから成る寓話であると考えられる。

歴史上の人物がその実像を反映しているようで、実像と異なる架空の存在でもあるようにして描かれることで、時代状況を浮き彫りにする虚実混合は、カエサルを描いたシェイクスピアの『ジュリアス・シーザー』などの史劇をはじめとして演劇ではしばしば用いられる手法である。演劇人として活躍したブレヒトがナチスドイツを追われてデンマークやスウェーデンに亡命中、この小説を手がけた際、歴史をある程度踏まえつつ、現代の状況を見通せる譬え話を描こうとしたのは想像に難くない。

それでは果たしてこの小説は2025年の現在、示唆に富んだアクチュアル性を帯びているのだろうか。小異を捨てて拡大解釈すれば―虚構を交えた歴史小説である以上、自由な解釈は許容されるだろう―十分にアクチュアルと言える。例えば、ブレヒトのカエサル像は民衆寄りの民主主義者のように見えるが、実はそうではないという点において、現代で言えばポピュリストと解釈できるだろう。カエサルは、作品の前半に描かれる急進派の政治家カティリナと同様、ローマ政治を表と裏で牛耳る貴族階級から成る元老院に対抗し、貧困に苦しむ民衆を味方につけようとする姿勢が見られる。またその姿勢が中途半端だったがゆえに、その半端さを見抜いて不満に思った急進派の民衆からカエサルは暴力すら受けたが、それでも彼の民衆寄りの姿勢は崩れないようにも見える。また当時のローマは対外戦争を積極的に仕掛け、征服した地域の住民を奴隷にして強制労働をさせた―それには元老院も財界も、そして奴隷を買って働かせることができた民衆すら「共犯者」のようにして加担していた―が、カエサルは民衆が戦争を望まないのであれば、戦争はしないと考えて民衆の意向を理解しようとする姿勢において、真っ当な民主主義者に見える。

しかし他方で彼は執政官としてローマ統治に乗り出す際、財界から選挙資金を取り付けるために民主主義的な政治は行わないと約束して執政官の選挙に出ようとする。未完のため、選挙後の様子は小説から読み取ることができないが、カエサルは資金援助のため財界の言いなりになり、対外戦争にも積極的に乗り出す好戦的な姿勢も描かれており、民衆寄りの政治家に見えながら、実際にはそのような政治を行わなかった点で、現代のポピュリストに近いと言えるだろう。

この小説が進歩的と思えるのは、作者ブレヒトが、カエサルと当時の社会状況を語る語り部の役割を(元)奴隷という人物像に委ねて、社会階層の底辺から古代ローマの共和政治を浮き彫りにしたことである。小説の大部を成す日記は、カエサルに仕えたとされる奴隷の秘書ラールスによるものであり、その日記を保管していたのはカエサルの資金管理を行っていた富裕な金融業者スピケルだが、彼も解放奴隷である。ローマを統治する政治家や財界といった上層部の様子は、それと対極に置かれていた奴隷出身の二人によって語られるのである。またその他の、実に多種多様な奴隷の様子は、ラールスが見聞きした出来事や、カエサルの死後二十年経って伝記を書こうとする「わたし」とスピケルとの対話などを通じて具体的に描かれる。戯曲『三文オペラ』(1928年)で都会の片隅に生きるホームレスの叛乱を描いたブレヒトが、古代ローマ社会の底辺に位置する人々の視点を加味してカエサルの生きた古代の共和政社会と二十世紀前半の世界を浮かび上がらせようとしたのは確かであろう。

古代ローマ研究の解釈と異なるかもしれないが、『ユリウス・カエサル氏の商売』では政界や財界という支配層と、貧困にあえぐ一般大衆という被支配層の緊張関係だけでなく、被支配階者どうしの「分断」も巧みに描かれている。ローマの多くの民衆は働いても日々の生活が成り立たない貧困と直面しているが、彼らの仕事や収入を奪うと思われているのが、属州からローマに連れて来られて黙々と働かされる奴隷である。ローマ市民は数名の奴隷を買い取り、自分の商売や農業に従事させることができたのだが、それでも日々の生活は成り立たない。すると民衆のなかには、批判の矛先を政治家など支配層ではなく、自分よりも格下とされる奴隷に向ける者たちが現れ、被支配者層の内部に対立が生じてしまう。支配される無辜(むこ)の民が支配層に抗うには、小異を超えて連帯するのが効果的であるが、被支配層は分断されて不毛な対立関係に置かれるのである。

小説には「ローマの市民〔≒民衆〕は今も飢えているが、奴隷がぜんぜん働かなくなってしまったら、簡単に飢え死にしてしまうだろう」と記されており、貧困の民衆と奴隷は依存関係にある。またローマ住民の多数を占める両者が連帯すれば、少数であるが金と権力を牛耳る元老院(貴族)や財界の支配を覆せるかもしれない可能性も小説にはわずかながら示唆されている。
分断状態に置かれている民衆と奴隷が連帯できる可能性と困難は、奴隷ラールスの私的な関係からも読み取れる。彼は―これもまたアクチュアルなテーマであるが―性的少数派に属し、彼が心を寄せて逢瀬を重ねる相手は、カエビオという男性である。カエビオは奴隷ではなく、ローマ自由市民の身分であるが、仕事が安定せず貧困に苦しんでいる。ラールスはカエサルに仕えるかたわら、カエビオの境遇を案じ続け、自分で稼いだ金で、彼が店を持てるように画策するが、首尾よくいかない。そうこうするうちにカエビオは失業し、民兵軍に入隊してしまう。その軍を指揮するのは、カエサルと同様、民衆寄りの政治家に見える一方、武装蜂起によってローマ政界の中心に上り詰めようとする急進派のカティリナである。カティリナは財界から資金を受けて武装蜂起を起こして―真意ははっきりしないが―奴隷解放を目指すような大変革の機会を伺っているところ、事態は急変して金融界から見放され、謀反の首謀者として政界を追われ、彼の軍は、政敵であるアントニウスの民兵軍と戦闘状態に巻き込まれる。そのさなかカエビオは消息不明となる。未完ゆえ彼の安否は分からないが、カエビオは戦闘中に命を落とした可能性も十分に考えられる。ラールスは、カエビオの消息が不明ゆえ絶望するのが手記に読み取れるが、それを最後にして、カエビオについての記述も立ち消えとなる。

このように密やかな私的な関係においてではあるが、民衆側と奴隷が「分断」を乗り越えて、共に生き延びられる可能性は奴隷のラールスによって画策され、その可能性が潰えるところまでが描かれる。この私的な関係は奴隷と貧困市民とのあいだの同性愛のつながりである。この秘められた関係から、奴隷、貧困市民、性的少数派といった社会的に不利に置かれた人々どうしの連帯の可能性が垣間見える。

ラールスとカエビオの関係に見られるように、『ユリウス・カエサル氏の商売』はカエサルなど歴史的人物以外の名もなき人々が断片的に描かれる。彼らは労働者、娼婦、貧困や不当な支配をきっかけとして氾濫を起こす暴徒や奴隷など、歴史資料にほとんど記録されることのなかった民衆か、小説ゆえの架空の人物であるが、彼らは政治経済的には無力の状態に置かれながら、それでも解放を目指して行う政治的な発言や行動には何らかの意味があるように小説では示唆されている。彼らの言動は、カエサルを中心とした大きな物語の傍に入り込むようにして描かれるが、そのような語りや行動は小説のところどころに断片のようにして散りばめられている。『ユリウス・カエサル氏の商売』は、歴史に基づく大きな物語展開に小さな出来事が散りばめられることで、物語全体としては統一感を欠いており、小説としての完成度が高いとは言えないだろう。しかし一方で、断片的な出来事を数多く含むがゆえ、読者がみずから紡ぎ出させる解釈の幅は広い。この広い幅のなかに、政治と経済が多くの人々にとって重荷となっている現在の状況を真っ当な方向へと変える糸口が見つかるはずだ。筆者が述べた解釈は僅かな例に過ぎず、読者の多様な関心に合うモチーフやテーマがこの小説から数多く引き出させるだろう。ブレヒトの『ユリウス・カエサル氏の商売』を読んで現代の状況と照らし合わせる読者の試みには、政治経済的には微力かもしれないが、それでも解放の糸口を模索する意味があるように思えるのである。
(平田栄一朗 慶應義塾大学文学部 主な研究分野は演劇学、ドイツ演劇)


ユリウス・カエサル氏の商売
ベルトルト・ブレヒト著 岩淵達治訳 平田栄一朗解説 発売中