ドイツの文学状況など:その1 ゲオルク・ビューヒナー賞について
SNSなどで、いろいろな方とやりとりをしている中に、「ドイツでいま何が読まれているか、全然情報がない」という意見がありました(そのやりとりの過程はともかく)。目から鱗が落ちる、とはまさしくこのことで、せっかくドイツ語文学の翻訳出版社を標榜している身としては、いまのドイツの文学関連を日本に広めるのも役目のひとつだと強く思い、これまでは自社関連のことしか書いてこなかったnoteに、現在のドイツの情報を載せていこうと思います。本来は、最新のドイツの文学作品を翻訳・出版しながら、その本の紹介の一環で、こういったことが出来ればいいのですが、正直、現在のうち(小社)の経済力、人的ソースでは、話題の作品の版権を取得して新刊本として刊行するのは難しく、せめてもの方法としてnoteを活用してみます。
さて、「ドイツでいま何が読まれているか」ということには、例えば、ドイツのどこの本屋でも掲げられている週刊誌Der Spiegel(デア・シュピーゲル)のベストセラーランキングや、つい先日発表されたライプツィヒ書籍見本市賞を紹介するなどの方法があるのですが、ともかく最初なので、ドイツ語文学でもっとも権威があるといわれているゲオルク・ビューヒナー賞とその受賞者を紹介します。これがドイツ語文学の主流ということではないかと勝手に思っています。
ゲオルク・ビューヒナー賞について
日本と同様、あるいは日本以上に、ドイツには文学賞があり、ドイツ語文学の作品の邦訳が稀に刊行される際に「〇〇賞受賞」と帯や紹介文に書かれているのですが、邦訳されるような(話題の)作品だと、これだけ賞がたくさんあるので、何かしらは受賞しているだろうという印象です。さて、その数多ある賞の中で、最も権威があるとされているのが、ゲオルク・ビューヒナー賞です。ゲオルク・ビューヒナーとは、19世紀の劇作家で、23歳で亡くなり、4編の作品だけを残しています。七月革命後のパリに留学し、その革命思想とともに帰国、当時の公国の悪政を暴き、打倒を目指すも失敗し、国外逃亡。そして亡命中に病死した、夭折の劇作家、といったところです。その名を冠する文学賞が、権威あるものになった理由のひとつは、このビューヒナーの持つイメージからきていると言われています。
当時のドイツ社会を告発し、亡命の地で夭折した革命家。「説明しがたい現代性」を備えた文学作品を残した天才詩人。なんらかの形で常に社会と対峙しつつ、新しい表現を探求する必要に迫られた戦後ドイツの文学状況において、ビューヒナーの名は不滅の輝きを帯び、作家たちが自らの立場を確認するひとつの拠りどころとなりました。
紹介文(大阪大学言語文化学会図書紹介1996年5月 山本佳樹)より
ゲオルク・ビューヒナーのイメージからでは、素人には中々わかりにくいですが、もうひとつ権威があるとされている理由はその主催団体です。文学賞も、作品に与えられるものと創作者個人を対象とするものがあり、ゲオルク・ビューヒナー賞は後者になります。この賞も最初から権威ある文学賞だったわけではなく、開始当初の1923年から50年までは、主催は、ヘッセン州やダルムシュタット市で、対象も州・市に関連する芸術家でした。この期間の受賞者にはアンナ・ゼ―カースもいるのですが、他は画家や彫刻家、作曲家になります。ところが、1951年から主催団体にドイツ言語文化アカデミーが加わります。対象もドイツ語文学の創作活動に貢献した芸術家と限定され(このあたりの事情はわりません。すみません)、さらにドイツ連邦政府も加わって、現在のように権威ある賞となりました。
ここまでは賞全般の紹介ですが、本題はこれからです。ドイツ語文学の主流と勝手に呼んだゲオルク・ビューヒナー賞については、歴代の受賞者をみていただくのが一番です。以下、受賞者のうち、有名なところを列挙します。
ゴットフリート・ベン、エーリッヒ・ケストナー、マックス・フリッシュ、パウル・ツェラン、ノサック、エンツェンスベルガー、インゲボルク・バッハマン、ギュンター・グラス、ハインリヒ・ベル、トーマス・ベルンハルト、エリアス・カネッティ、ペーター・ハントケ、クリスタ・ヴォルフ、マルティン・ヴァルザー、ペーター・ヴァイス、ハイナー・ミュラー、ムシュク……
日本でも知られている作家が連なります。ということで、ドイツ語文学といえば、まずはこの賞の受賞者から読んでみれば、と薦められればよいのですが、どうも2000年くらいから、日本では馴染みのない作家が占めるようになっています。これは、ドイツ語文学の残念な傾向なのか、日本でのドイツ語文学受容の衰えなのか、その両方なのか、そこは今回のテーマとはしません。けれでも、最近はまた少しずつ、受賞者の作品の邦訳が刊行されるようになってきました。以下、直近10年ほどの受賞者、新しい順です。何かドイツ語文学でも読んでみたいという時に、参考にしてもらえると嬉しいです。(下記の書名はこちらで適当につけたものです。参考程度に)
ゲオルク・ビューヒナー賞 最近の受賞者紹介
2025年 ウルズラ・クレーヒェル Ursula Krechel (1947~) ドイツ
◆劇作家。詩・小説・戯曲・ラジオドラマなどで活躍
◆主な作品:三部作小説 Geisterbahn『幽霊列車』2018、Landgericht『地方裁判所』2012(ドイツ書籍賞2012)、Shanghai fern von wo『どこからも遠い上海』2008
◆邦訳はなし
2024年 オスヴァルト・エガー Oswald Egger (1963~) イタリア・南チロル
◆現代ドイツ語圏で最も個性的で独創的な詩人の一人として高く評価されている。1980年代から1990年代にかけて南チロルの文学界の形成に貢献。作品は詩、散文、そして学際的なプロジェクトに及び、数多くの言語に翻訳され、その功績により数々の賞を受賞している。
◆主な作品:Val di Non(詩とも散文とも?イラストとともに)
◆邦訳はなし
2023年 ルッツ・ザイラー Lutz Seiler (1963~) ドイツ
◆詩人、小説家
◆主な作品:短編小説 Turksib『トゥルクシブ』2007(インゲボルク・バッハマン賞)、小説 Die Zeitwaage『時の天秤』2009(フォンターネ賞)、長編小説 Stern111『星111』2020(ライプツィヒ書籍見本市賞)
◆邦訳:『クルーゾー』Kruso(長編小説、白水社2023、ドイツ書籍賞)
2022年 エミネ・セヴギ・エヅダマ Emine Sevgi Özdamar (1946~) トルコ出身
◆1970年代半ばにベルリンとパリに移り、女優や舞台監督として活動。1982年から戯曲、小説、短編小説を執筆。
◆主な作品:短編小説 Das Leben ist eine Karawanserei hat zwei Türen aus einer kam ich rein aus der anderen ging ich raus『人生は隊商宿、二つの扉がある、私は一方の扉から入り、もう一方の扉から出てきた』1992(インゲボルク・バッハマン賞)、短編小説 Seltsame Sterne starren zur Erde『奇妙な星たちが地球をみつめている』2003(クライスト賞)、小説 Ein von Schatten begrenzter Raum『影に囲まれた空間』2021
◆邦訳:『母の舌』(短編集、白水社2024)
2021年 クレメンス・J・ゼッツ Clemens J. Setz (1982~) オーストリア
◆大学在学中から翻訳や詩、短編小説を執筆。2007年に長編小説 Söhne und Planeten『息子らと惑星たち』を発表以来、長編小説、短編小説、詩、戯曲など、多岐にわたるジャンルで積極的に活動。
◆主な作品:長編小説 Die Frequenzen『周波数』(2009)、作品集 Die Liebe zur Zeit des Mahlstädter Kindes『マールシュタットの子ども時代への愛』2011(ライプツィヒ書籍見本市賞)、長編小説 Die Stunde zwischen Frau und Gitarre『女とギターの間の時』2015(ヴィルヘルム・ラーベ賞)、長編小説 Monde vor der Landung『着陸前の月』2023(オーストリア書籍賞)など
◆邦訳:『インディゴ』Indigo 2012(長編小説、国書刊行会2021)、『丸いもののもつ慰め』Der Trost runder Dinge 2019(短編集、国書刊行会2026)
2020年 エルケ・エルプ Elke Erb (1938~2024) ドイツ
◆作家・編集者・文学評論家。主に詩、散文、エッセイを執筆。ロシア語文学等の翻訳家としても活躍
◆主な作品:散文 Kastanienallee『カスタニーエン・アレー』1988
◆邦訳なし
2019年 ルーカス・ベアフス Lukas Bärfuss (1971~) スイス
◆戯曲を中心に活動する劇作家、小説家。
◆戯曲 Das Zeug einer Heiligen『聖なるがらくた』2005、長編小説 Koala『コアラ』2016
◆邦訳なし
2018年 テレツィア・モーラ Terézia Mora (1971~) ハンガリー
◆ハンガリー生まれ、1990年からベルリン在住の作家、脚本家。ハンガリー語からの翻訳家。
◆主な作品:脚本 Die Wege des Wassers in Erzincan『エルズィンジャンの水の道』1997、短編小説 Durst『渇き』1997、短編小説 Der Fall Ophelia『オフェリアの場合』1999、長編小説 Alle Tage『日々』(ライプツィヒ書籍見本市賞)、Das Ungeheuer『怪物』2013(ドイツ書籍賞)、
◆邦訳:『よそ者たちの愛』Die Liebe unter Aliens 2017(短編小説集、白水社2020)
2017年 ヤン・ヴァーグナー Jan Wagner(1971~)ドイツ
◆詩人。エッセイスト、批評家、編集者、英語詩の翻訳家。
◆主な作品:詩集 Regentonnenvariationen『雨水樽の変奏曲』2014(ライプツィヒ書籍見本市賞)
◆邦訳なし
2016年 マルセル・バイアー Marcel Beyer (1965~) ドイツ
◆作家、詩人。エッセイストや編集者、またウィリアム・S・バロウズなどの翻訳家としても活動。
◆主な作品:Kaltenburg『カルテンブルク』2008(クライスト賞)、詩集Graphit『黒鉛』 2014、詩集 Dämonenräumdienst『悪魔を取り除く者』2020(Peter Huchel Prize)
◆邦訳:『夜に甦る声』Flughunde 1995(小説、三修社1997)
2015年 ライナルト・ゲッツ Rainald Goetz (1954~) ドイツ
◆作家、戯曲家、エッセイスト。ウェブサイトで作品の制作過程や日々の記録を発表した、ドイツでの文学ブロガーの先駆け。
◆主な作品:小説 Irre『狂人』1983、ネット日記(のちに書籍化)Abfall für alle『みんなのゴミ』1998/1999、戯曲 Krieg『戦争』1986、作品集 Heute Morgen『今朝』1998-2000(Abfall für alle含む5部作)
◆邦訳:『ドイツ現代戯曲選23 シェフ・クーンズ』Jeff Konns(Heute Morgenを構成する1作品、戯曲、論創社2006)
最後に。受賞者にハンガリー出身の作家がいるように、ゲオルク・ビューヒナー賞の大賞は、ドイツ語で創作活動をする作家なので、多和田葉子も候補者です。ノーベル文学賞を受賞したヘルタ・ミュラーがまだ、受賞していないように、受賞以外にも素晴らしい作家はたくさんいます。また、受賞者の紹介内容は、出来るだけドイツの出版社などの紹介文を参考にしましたが、もし、とんでもない誤りがあればご指摘いただけると、修正しますので助かります。
