見出し画像

宝の話をしよう。 #古賀コン8

 ×××……無駄のない動きでたからが×印を書き込んだ。
「ベタ」
 宝はこちらを見もせずに左手で原稿を差し出す。俺はすかさずそれを受け取り、墨をつけた筆先を丁寧に、でも素早く動かして、×印の上をベタ塗りする。
 宝とは、高一の頃から寮のルームメイトだ。そろそろ付き合いも二年になる。
 俺の居住スペースは宝に侵略されていた。二台あるベッドの間の貴重な空間に折りたたみ机を三つ並べて、宝はひたすらに漫画を描いていた。インクの乾いていない原稿が床にも広がっていて、足の踏み場もない。
 同室になった初日からずっと、俺は宝の漫画の手伝いをしている。同じ部屋で暮らしているので、忙しそうにしているのをみると、ついつい手伝ってしまうのだ。

 宝は高校の学費も生活費も漫画で稼いでいた。連載は三年続いており単行本も出ている。宝の日々の努力を見れば、そうした結果は当然のように思えた。いやむしろ、もっと評価されてもいいくらいだと俺は思っていた。
 でも、ある日唐突に、宝は漫画を描くのをやめた。
 折りたたみ机を畳んだまま、一週間。授業受けて、ラーメン食べて、寝る。それだけ。
「どうしちゃったんだよ……」
道端みちはたはさぁ、『だってそれは果物みたいに』読んだ?」
「何かの賞をとった漫画だよね」
「作者の天海Qあまみきゅう、先週イギリスから帰ってきたんだ」
「知り合いなの?」
「うん……」
「なに、仲が悪い?」
「むしろ良い。今日、会う約束してるんだよ」
「漫画描かない理由と関係あるの?」
「天海Qと俺は対照的な作家なんだ。天海は自分のために描くアート寄りの作家だ。でも、『だってそれは果物みたいに』は不思議とエンタテインメントとして成立している。影響を受けるのが嫌だから、描いてない。自分の中から、抜け切るのを……待ってる」
 宝は天海Qと会うためにファミレスへ行き、三時間後、戻ってきた。
「描く」
 宝は折りたたみ机を広げて、また漫画を描き始めた。天海Qとどんな会話をしたのか、聞くことはできなかった。

「天海Qってどんな人?」
 俺はベタを塗らずに部屋の隅でジュースを飲んでいた。隅にいるのは原稿にこぼすと宝の怒りを買うからである。
 キャラの頭にシャシャシャ……と線を引きながら、宝は言う。
「漫画のことしか考えてない人」
「宝じゃん」
「俺は読者のことを考えてる。天海は、漫画のことしか考えてない」
「天才なんだ」
「道端がそれをどんな意味で使ってるのか知らんけど」
「生まれつき頭が良くて、その賢さが何かに発揮されてる人」
「俺は天才ってのは、後天的な努力と、環境に恵まれることで、結果として生じるものだと思う。その観点で見ても、天海は天才だな。努力家だし、家は金持ちだし、家族の理解もある」
 宝が漫画で稼ぎながら高校に通っている経緯を、俺は知らない。尋ねる気もない。
 漫画を描いている間、宝は楽しそうだ。唸ったり、泣いて鼻水垂らしたり、床に転がってジタバタしていても、原稿が完成すれば瞳を輝かせて笑う。
 宝が天才なのかは分からない。でも、俺は宝の描く漫画が好きだ。
 いつか、宝がもっと評価されて、天才と呼ばれる日が、来るかもしれない。

 三月。期末試験が終わったその日。未曾有の大災害が起こり、宝はその時描いていた漫画を全て、没にした。
 ネームを読んで楽しみにしていた俺はがっかりした。
「どうして?」
 鼻の頭に皺を寄せて、宝は紙束をゴミ箱へ押し込んだ。
「これじゃダメなんだよ。道端はさ、漫画で世界を救えると思う?」
「無理、かな」
「そうだ。無理だ。戦争をなくすことも、テロを防ぐことも、火事や地震を止めることもできない。でも、だからこそ、非現実では現実でできないことをする。できるって信じたいんだよ、物語の中だけでも」
 宝はいつだって必死に、命を削るようにして漫画を描いていた。

 俺と宝は、大学生になった。
 猛暑の夏。変な夢を見た。遠州七不思議に見立てた連続殺人事件が起こり、その犯人は宝だった。
 目が覚めたとき、汗で背中がびしょびしょになっていた。
 宝に話すと、真顔で叱られた。
「漫画のために人を殺すわけがないだろう」
 宝は大きく息を吸った。
「いいか?」
 やばい。俺は覚悟を決めた。
 宝の早口が始まる。
「創作ってのは、自分の内側にあるものを外に出す、他人に見える形にするための行動だ。少なくとも俺は他人のために描いてる。現実にない出来事を非現実から引っ張ってきて、現実で手に取れる形にする。
 現実から何かを失わせることで現実を非現実そのものにしようとすることは創作ではなくて迷惑行為だ。犯罪にしか、ならない」
 大きな身振り手振りと共に喋り終えると、宝はまた漫画を描き始めた。
「あー、腰が痛い」
 折りたたみ机で漫画を描いているので、宝は腰痛持ちになっていた。ちゃんとした机と椅子を買え、と進言してやったのに、床に座る方がしっかりした線が引けるとか主張して、いつも背中を丸めて描いている。
 宝は急に顔を上げた。
「ところで、遠州七不思議に見立てた事件って?」

 大学を卒業して、俺は会社員になったが、宝はやっぱり漫画を描いていた。仕事が忙しいので、手伝うことができなくなったけれど、死んでいないか、時々様子を見ることにしていた。
 宝は、六畳の部屋でぶっ倒れていた。
 俺が大声を出して駆け寄ると、「痛い……体の全部が」とつぶれた声で言う。俺はすぐさま救急車を呼び、宝はそのまま入院となった。宝は癌になっていた。
 宝が自主的に健診なんか受けるわけないのだから、俺が無理にでも行かせるべきだった。
「俺、癌家系なんだよ。両親共に癌だった。でもさ、癌って今は治る病気だから、頑張ってみるよ」
 病院のベッドに埋もれて、宝は目を閉じたまま言う。
「道端はさぁ……ベタもトーンも上手いけど、自分の漫画って描いたことないよな。描いてみたら?」
 こんな時にも漫画の話か。
 そうだよな。宝だもんな。

 俺は会社を休んで、宝の部屋で漫画を描いている。
 この漫画で、宝の話をしよう。
 今まで言われたことを思い出す。
 体全体を使って描く。手首の角度を意識。筆圧を調整する。一定の間隔とスピードで引く線と、音楽のようにリズミカルな抑揚ある線を使い分ける。
 表情を豊かに。街にも、風にも、空にも、地面にも、温度があって質感があって情感がある。
 創作で人の命は救えない。
 それでも描く。
 宝は言っていた。
「無力な俺が、何かを変えることを信じて、祈っている。それが俺にとっての、漫画を描くってこと」
 俺は今、宝が漫画を描き続けてきたわけを理解した。宝には両親がいない。一人で漫画を描き続けてきた。それが宝を生かしてきたんだ。

 懸命に手を動かす。
 宝は、ずっとこんな気持ちで漫画を描いていたのか?
 違う。
 宝は楽しんでいた。
 俺も楽しまなくちゃ。楽しいって何? 面白いって何?
 この漫画、宝は面白いって思うかな。

 部屋の中に誰かいた。玄関の鍵を閉めていなかった。
「手伝う」
 俺の向かいに座り、ペンを走らせる。
 天海Q。その洗練された手つきで察した。
「私は自分のために漫画を描くの。でも、あの人は違う。誰かのために描く。道端くんは?」
「俺は……宝のために描いてる。たった一人のために……」
「それでいい」
 天海Qは言った。
「作家としての私は、自分のためにしか描かない。自分の思うものを、思う通りにしか、描きたくない。これが私だ。これが私の漫画なんだ。分かりやすくなんか、してあげない。我儘で自分勝手な剥き出しの自分をそのまま曝け出すの。でも、祈ってる。届けって誰よりも祈りながら描く。ぐしゃぐしゃで、難解で、下手くそで、だけど誰か一人でいい、届いてくれたらって思うの。私一人きりの世界に、誰かがアクセスしてくれて、あなたの世界、好きだって、言ってくれるのを、待っている」
 祈りながら漫画を描く。それって、宝みたいだな。

「届け」

 枠を引く。背景を描く。人物を入れる。ベタを塗る。トーンを貼る。

「届け」

 デジタルにすれば、って言ったのに、宝は絶対手描きがいいって譲らなかったな。自分の手で描き込む時間が好きだって。

 線を細かく入れる。表情豊かに、仕上げをする。


 届け。

#古賀コン8  #孤高の天才未満

いいなと思ったら応援しよう!