宝の話をしよう。その3
小学生の頃、求ちゃんは日本人じゃない、と言われた。父はイギリス系アメリカ人だが、そのルーツはドイツにある。母はフランス人と日本人のダブル。血筋のほとんどが外国由来ではあるものの、雨宮求は、日本国籍を持つ日本人である。
そのことを説明したかったが、日本語が苦手で上手く話せなかった。世話係のジャンヌがフランス語話者だったため、当時は英語とフランス語で生活していたからだ。
言葉が通じなくても友達を作る方法はあっただろうに、小学校に通うのをやめて、家で絵ばかり描いていた。家庭教師が来てくれるので勉強が遅れることはなかった。父も母も兄も、求がしたいようにすればいい、と言って甘やかしてくれた。必要なもの、全てを与えてくれたのだ。友達以外は。
小学校二年生の時にイギリスの学校に転校した。日本と比べたら過ごしやすかった。両親の都合に合わせて、アメリカやオランダで生活した時期もあった。不登校ではなくなったが、転校が多いので、付き合いの長い友達を作ることはできなかった。
暇つぶしにスポーツを始めてみたら、気づいた。長く日光に当たると、目や皮膚が痛くなる。室内で出来ることをした。ヴァイオリンを弾いたり、石を削ったり、油絵を描いたり……。
スコットランドに住んでいた頃、ルノワール、モネ、北斎、魁夷の画集の模写を終えた。
「次は何をしよう?」
兄に相談すると、日本からわざわざ漫画を持ってきてくれた。兄は妹が大好きなのだ。
その頃は主に、欧州の詩集、小説などを読んでいた。漫画を読むのは初めてだった。
最初は漫画特有の日本語が難しかったけれど、すぐに慣れた。兄におねだりして、日本から毎月、漫画雑誌と単行本を箱に詰めて送ってもらった。
そして出会ったのだ、『カラルダドゥン』という少年漫画に。
それは、壮大なファンタジー世界を舞台にしたアクション漫画だった。複数の魅力的なキャラクターが個々の問題を抱えながらも闘い、世界の終末に立ち向かう。王道のはずなのに、今までに読んだ漫画とは何かが違った。
「お兄ちゃん、この作者のほかの漫画があったら全部送って!」
兄に電話して、雑誌のバックナンバーも送ってもらった。掲載誌のコメントをくまなく読んでいると、作者が自分の一歳年上だと分かった。はっきり年齢が書かれているわけではないが、複数の情報を組み合わせて計算すれば明らかだ。
「宝瑛来……十四歳!!」
宝瑛来は信じられないことにPNを変えて少女誌でも連載をしていた。絵柄も作風も全然違う。作風の根幹にあるものは確かに同じだと感じられるが、使うペンをGペンから丸ペンに変えただけでは、これほど大きな違いは出せないだろう。雑誌の傾向を研究して自分の絵柄を極限まで寄せている。
さらに調べていくと、青年誌でも時々読み切りが掲載されていた。ここでも絵、ストーリー共に、ほかの雑誌で描いている作風とは大きく異なった。それでいて、読み比べれば確かに、同じ作者のものとしか思えないのだった。
複数の名義を使い分けて漫画を描き続ける宝瑛来に興味を持ち、約一年かけて徹底的に調べた。
最新の宝瑛来の人物像。
「全寮制カトリック系高校在学、男子、低身長、両親は不在もしくは不仲、放送部か演劇部、演劇コースのどれかに在籍、過集中、情熱的、交友関係は狭い」
結婚したいくらい宝瑛来の漫画が好きだ。どうしたら宝瑛来と結婚できる?
兄に電話して、漫画道具を一式、日本から直送してもらった。兄は妹のためならなんだって手配してくれるのだ。ありがとう、お兄ちゃん。ごめんね、お兄ちゃん。
宝瑛来と結婚するために漫画を描きます。
我ながらどうかしている、と思いつつも、真剣に漫画を描いた。宝瑛来に認められるには、否、見初められるには、宝瑛来とは違うタッチを目指す必要がある。二番煎じではダメだ。
絵は得意だから、画力を活かすようなコマ割りにしよう。描きたいストーリーも決まっている。今回は、少年漫画よりも少女漫画のほうが良さそうだ。有名な少女漫画を二百冊集めて研究した。古典的な技術と流行りの画風を融合する。いくつかのパターンを試した結果、自分の描きやすい画風に辿り着いた。
これなら描ける。
使える時間の全てを費やして、漫画を描いた。
宝瑛来が連載している出版社の賞に漫画を送った。
とある大きな賞の受賞連絡を受けた。それほど驚きはなかった。私は漫画が描ける。宝瑛来と並ぶ、いやそれ以上の漫画家を目指しているのだから。
イギリスから日本に帰った。兄が日本で暮らしているから、住む家には困らない。
受賞パーティーでは、ずっと宝瑛来を探していた。編集さんに、宝瑛来の大ファンだから是非とも会いたいとお願いしてある。
見つけた。間違いない。
低身長の若い男の子が、会場内を観察している。人や服や靴や料理をじーっと見て、色や形を覚えている。周りの言葉を聞いてネタを探している。歩きながら漫画のことを考えている。
宝瑛来。
日本人によくある茶髪。まったく外に出てない感じの色白な肌。テキトーに買ったのがわかる真新しいスーツはサイズが少し大きくて皺が寄っている。
「たから……宝先生ですか?」
興奮して心臓が口から転び出そうだった。
振り向いた宝瑛来は、きらきらした大きな茶色の目をしていた。
結婚したい。
顔を見た瞬間に本気でそう思った。その目には意志があった。作家の目だ。何者も彼の衝動を止めることはできない。
好きが溢れすぎて、パニックになりながら喋った。
「初めまして。ぼくは天海Qです! ぼくは宝先生の大ファンです! お会いできて光栄です!」
日本語を喋る機会があまりなかったので、漫画好きの外国人感が出てしまった。ぼくって。もういいや、そういうキャラでいこう。
「はじめまして」
宝瑛来が喋った。私のために喋った。
嬉しくて何を喋ったか覚えていないけど、編集者が近づいてきて、席に案内してくれた。
宝瑛来は社交辞令で受賞をお祝いしてくれた。テンションがハイになっている私は妙なプライドを見せる。
「ありがとう。ぼくは漫画を描いただけ。それを読んだ人がどう思うか、それほど興味がない。誰かがたまたま気に入ってくれたら嬉しい。それだけなんです」
何言ってるんだよ。宝先生に読まれたいだろうが。興味大有り、巨大蟻。
緊張しているのか口が勝手に動く。
「ぼくの漫画、読んでくれました?」
「いや、すみません、まだ……」
そうでしょう。そうでしょうとも。そんなこともあろうかと持ってきました。備えあれば嬉しいな、違う、備えあれば憂いなし。
漫画を差し上げて、今ここで読むようにお願いした。絶対読んでもらいたかった。
この漫画を、『だってそれは果物みたいに』を、宝瑛来がつまらないと思ったなら、結婚するのは諦めよう。イギリスに帰ろう。湖水地方に行こうかな。ポターに思いを馳せながら、湖の絵でも描いて穏やかに暮らそう。
宝瑛来は真剣に漫画を読みはじめた。速い。編集者みたいな速度で集中して読んでいる。
「本当に漫画始めて一年?」
コメントも編集者みたいだ。面接? 試されている?
「漫画はそのくらいです。絵は昔から」
「それにしても上手いな……」
そうでしょう。すごく勉強したんだから。負けないよ。宝瑛来にも負けない。あなたを倒して、私の配偶者にしてやるのだ。かかってこい、宝瑛来。
「すごく良かったです。面白かった」
超シンプルに褒めてもらえた。それだけ? それだけなの?
でも、嬉しい!!!!!!!
喜びに体がぷるぷる震えた。漏らしそう。
「嬉しい! 宝先生に褒められた! ぼくの漫画好きですか、ぼくのこと好きになりましたか」
本音が出てしまった。もう、なんとでもなれ。
ドン引き中の宝瑛来に向かって愛を伝える。
「その漫画、宝先生の漫画が好きすぎて、漫画家になって、宝先生と結婚するぞ!と思って、一生懸命、描いたんです!」
優しい宝瑛来も流石に顔が引き攣っている。怖がらせている。初対面の女に告白されてさぞかし不気味であろう。
それから、自分が今まで読んできた漫画の話をした。どんな研究をしてきたのか。宝瑛来の漫画のどこが好きなのか。話しているうちに警戒も多少は解けたらしい。
連絡先、ゲットだぜ!
宝瑛来との結婚計画、悪くない滑り出しである。
