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幸せのモノサシってなんだ?比べて落ち込む日々から、自分らしい生き方のヒントが見つかる方法

こんにちは、pieni(ピエニ)です。

前回は「ふらふら揺れても大丈夫。自己対話で見つけるわたしだけの幸せな生き方」という記事を書きました。

その記事の公開翌日、とある対話をテーマにした企画の中で、ひとつの「問い」に出会ったんです。

「あなたの幸せのモノサシを教えてください」

まるで「もっと自分の幸せや生き方を深掘りしてみなさい」と見えない天の声から促されたようで…。
そこから数日間、この問いについて考えてみました。

結果として、長年抱えてきた不安や苦しさの正体に気づくことになったのです。
今回はそんな「幸せのモノサシ」をめぐる私の内省をお届けします。

この記事が、比べることに疲れている人にとって、少しでも気持ちを軽くするヒントになれば嬉しいです。


自分の「幸せのモノサシ」に愕然とする

最初は「幸せのモノサシ」という言葉そのものが分からず、しばらく「?」となっていました。

けれど、そのテーマをもとに繰り広げられる対話を聞き、こう受け取りました。

自分が「幸せ」と感じることや「不幸」と感じることを、なぜそうジャッジしているのか。
何と比較してそう思うのか。
それこそが「幸せのモノサシ」ではないか、と。

そこから「私の場合はどうだろう?」と考え始めました。

考え続けて、ようやく気づきました。
私の幸せのモノサシは「他者」だったのです。

正直、かなりショックでした。
自己理解や自己対話をしてきたつもりだったのに、まだこんなに他人基準で生きていたのだと...。

私はかなりの嫉妬の女王。
SNSや地域の新聞で、身近な人の輝かしい姿を目にすると、つい比べてしまいます。

「あの人はこんなにできているのに、私は何もできていない」
「あの人はフォロワーが多いのに、私は少ない」
「あの人は言ってるけれど、わたしがこれを言ったらどう思われるんだろう」

比べることで落ち込み、行動できず、さらに自己嫌悪へ…。
友人や家族からも「人と比べすぎ」とよく言われます。

じゃあ、この“他者をモノサシにする自分”はどこから始まったんだろう?
思い返すと、そのルーツは子ども時代にありました。

私は「褒められたい」「認められたい」という気持ちがすごく強い子どもでした。

小学生の頃は、その気持ちのままに行動していました。
賞をもらったら嬉しくて自慢げにしていたし、児童会の役員に立候補して「すごいね」と言われるのが嬉しかったりしたんです。
とにかく他者に「見てもらいたい」「褒められたい」という思いでいっぱいだった気がします。

しかし、中学生になると空気が変わりました。
「目立つとよくない」
「みんなに合わせていないと仲間に入れない」
そんな感覚を心の奥でつかんでしまったのです。
それからは、人と比べて自分をジャッジしたり、本当はやりたいこともまわりに合わせてやめたりすることが増えていきました。

こうして、きっと私の中では子どもの頃から「他者を基準にするモノサシ」が少しずつ形づくられていたのだと思います。

でも、他人のモノサシも悪いことばかりじゃない

私は子どものころから他者のモノサシを持っていました。でも実はそれは、他者と関わりながら生きている限り、多くの人が持っているものではないかと思います。

例えば仕事なら
「同期が昇進したのに、自分はまだ」
「友人は転職してキャリアアップしているのに、私はなにも変わっていない」

家庭や生活では
「同年代の友達はもう結婚しているのに、私は…」
「子どもが有名校に合格したあの人はすごいな。それに比べてうちは…」

SNSの世界でも
「フォロワーの数や“いいね”の数が少ない自分はダメなんじゃないか」
「キラキラした投稿を見て、なんだか自分の毎日が色あせて見える」

そんな風に、様々なシーンで他者のモノサシを使い、自分を測っていることがあるのではないでしょうか。
幸せを比べてしまい、苦しくなることもあると思います。
少なくとも、私にはその経験があります。

しかし一方で、他者をモノサシにすることで、自分が大切にしたい生き方に気づけた経験もあります。

私はWEBメディアで文章を書いたり、SNSで情報発信をする仕事をしています。
その中で、同じようなテーマや、同じ場所を紹介することがあるのですが、そのような時、いつも他者のモノサシがスッと登場します。

「あの人のほうが人気のアカウントだ」
「あの人はくすっと笑える文章で書けるから、私より面白いよね」
「あの人のほうが写真も動画も上手でクオリティーが高いから価値がある」

このような比較が出てくると、その後「私がやる意味ってない、辞めたいな...」
という気持ちにまで落ち込むことがあります。
長い間この状態に陥り、やさぐれていました。そんな風に思うなら本当に辞めたっていいのでは?とも思いました。
けれど、それでも今は手放せない取り組みや仕事だと感じたので、この他者との比較に向き合うことにしたんです。
そうすると、この他者との比較の裏側にあった大切な想いに気が付きました。

それは、「自分の世界観を出したい、オリジナル性を出したい、わたしだから言えることを世に発信したい。そして、それがどこかの誰かの役にたったり、ヒントになると嬉しい。それが私の幸せの一つ」ということでした。

この気持ちこそは、わたしのオリジン。原点となる価値観、生き方なのです。
他者のモノサシで測ってみたからこそ見えた、自分のモノサシとなる大切な部分でした。

そして、自分なりのオリジナル性を出して発信できたとき、本当に共感してくださる方と出会えたり、お仕事につながったりすることがあります。
それは、とてつもなく大きな喜びに繋がっています。

このように、「他者をモノサシにするのって悪いこと」のように思われがちですが、実は深く考えてみるとそうでもありませんでした。
他者との比較や目を気にすることがヒントになって、私なりの幸せや生き方を見つけるきっかけになることもあったのです。

しなやかで強い「モノサシ」を持つために

こんなふうに「他者のモノサシ」がヒントや道しるべになることもあります。
でも同時に、「自分のモノサシ」をしっかり持たなくちゃいけない。
そう痛感させられることがありました。

それは、今わたしが向き合っている「子育て」です。
私の娘は、集団が苦手です。
だから学校という場に、どうしても居心地の悪さを感じてしまいます。
「行かない」という選択肢もあるのかもしれませんが、今の私たちはそれをとっていません。
この社会では、どんな場面でも人とのつながりや集団は避けられないもの。だからこそ、苦手な中でもどうやって折り合いをつけて生きていけるのかを、少しずつ探しているところです。
人と関わることでしか見えてこないものがあります。「自分はこれが苦手なんだ」「これはちょっと得意かもしれない」。そんな小さな発見は、きっとこれから娘が生きていくための大事な力になると思っています。
でも、まだ幼い娘にそれを一人でやってみなさいと言うのは酷なこと。
なのでカウンセラーさんと相談しながら、娘が困っていることや苦手なこと、そして学校で配慮してほしいことを、先生に伝えるようにしています。

しかしこの時、私の心の中は嵐のようにざわついています。

「こんなことを伝えたら、モンスターペアレンツだと思われるんじゃないか」
「また電話?そんなこと家庭で解決することじゃない?」
「なんでも言えばいいと思ってる親だと思われてない?」
このようなことを考えてしまい、胸がズシリと重くなるんです。

今は、娘のサポートが必要だと判断して動いているはずなのに...
「相手にどう思われるだろう」
「嫌われないだろうか」
「普通の親と違うんじゃないか」と、いつの間にか他者のモノサシを感じていました。

けれどこれって、 他人がどう思っているかは聞いてみないと分からないし、たとえ聞けたとしてもそれが本音かどうかまでは分かりません。
「世間一般」「普通の親」という言葉にしても、それは私が今まで生きてきた中でなんとなく感じてきただけのもの。
実際には、そんな絶対的な基準なんて存在しないのかもしれません。
少なくとも子育てに関しては、自分のモノサシを持っていなければいけない。そう強く思います。
そうでなければ、他者の目ばかりを気にして迷ってしまい、娘を守るどころか混乱を招いてしまうからです。
もちろん、先生や周りにお願いするときは「やってくれて当たり前」ではなく、どうすれば気持ちが伝わるか、どうお願いすれば相手に届くかを丁寧に考える必要があります。
また、迷ったときにはカウンセラーさんや先生、家族など、他者の知恵を借りながら、娘にとって最善の方向を模索することも欠かせません。

そのうえで、他者からの評価を心配したり、比べることで道を見失わないようにすることが重要だと思っています。
わたしの経験を通して感じた「他者のモノサシ」と「自分のモノサシ」。
ここまで書いてきましたが、共通して伝えたいのは次のようなこと。
他者のモノサシを使って、人と比べて落ち込んでしまったときは、そっと立ち止まってみてください。 「これって本当に落ち込む必要あるのかな?」と。
もしかしたら、それはただの羨ましさかもしれないし、「どう思われるんだろう」という他者からの評価を気にする不安なのかもしれません。
でも、よくよく心を覗いてみると、実は「本当に欲しい幸せ」へのサイン、自分のモノサシに気が付くきっかけにつながっているかもしれません。
私はこれからも、気持ちを丁寧に観察しながら、少しずつ「幸せと感じる世界」に近づいていきたいです。そして、竹のモノサシのように、 しなやかで強く、時間とともに味わいを増していく「自分のモノサシ」を育てていきたいなと思います。
まるで天からのお告げのようなタイミングでやってきた一つの問い。
その問いをきっかけに、とことん心の中を覗き込むことで、自分が本当に大切にしたい「わたしらしい生き方」を見つけることができました。

なので今度は、この問いを読んでくださった皆さんにお渡ししたいです。

「あなたの幸せのモノサシってなんですか?」

Text by  pieni(ピエニ)(丹波フィンランド大使)


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