「僕は君で君は僕」リンバスカンパニーは同化の物語である
この記事にはLimbus Companyおよびその元ネタ・関連するかもしれない多数の書籍の引用やネタバレが含まれます。
序文
自分自身の姿が──いまはまったく彼に、私の友であり導き手である彼に似ている自分自身の姿が、見えるのである。
Limbus Companyといえば、囚人ごとに元ネタとされる著作があることは管理人各位に周知の事実だろう。元ネタ書籍を並べた書店の棚が話題になったのも記憶に新しい。『リンバスカンパニー 元ネタ』等で検索しても、概ね似たラインナップが引っかかる。
しかし、この記事ではリンバスカンパニーの考察・元ネタ紹介は、『章』『人』という檻に囚われすぎているという説を提唱したい。
『Limbus Company』は「この章の元ネタはこの作品!」と1冊2冊提示できるような作品ではないのである。
その章でメインとなる囚人の元ネタ作品のみが、必ずしもインスパイア元であるとは限らない。基本的に全ての章で前後章の文脈が組み込まれ、全体にわたって引用されている作品もあると私は読んでいる。
「リンバスカンパニー3章の元ネタはデミアンである」というのは公式であり定説だが、
ここでは例えば、
「リンバスカンパニー4章の元ネタにもデミアンが含まれる」
「5章はイシュメール章であると同時に、イサンの章(4章)でもヒースクリフの章(6章)でもある」
という話をする。
前提として、私はゲーム配信をしている6章中盤プレイ中のデミアン(元ネタの方)オタク新人管理人である。そこまでで明らかとなっている情報以外は憶測の域を出ないことはご了承いただきたい。また、全てのリンバスカンパニー関連書籍を読破しているわけでもないため、偏った知識で記載している。補足や指摘は歓迎する。
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「僕は君で君は僕」囚人元ネタ選定基準
I am Heathcliff.
「私はヒースクリフで、ヒースクリフは私なの」
ここまでで2作を引用したが、まずリンバスカンパニーの基本思想はこの点にあるという考えを共有していきたい。
どちらもリンバスカンパニー本編では直接登場しないが、元ネタとされる作品では有名な場面である。
シンクレアはデミアンと、ヒースクリフはキャサリンと、互いを同化ないし同一視しているという点が共通している。
「僕は君で君は僕」「私はあなたであなたは私」なのである。
元ネタの選定からも見えるように、リンバスカンパニーはこの概念を基本思想として構成されており、これは決して1人では完結しない。よって、章の構成についても1作では完結していないと考えられる。
「鏡」「人格」作中でのシステム
ここまでは本編中に登場しない部分に触れたが、類似の構図がストーリー中と、それに接続するゲームシステムでも見られる。
最もわかりやすいのが「イサンとサンイ」、そして「鏡」・「人格を被る」というシステムである。
4章における「イサンとサンイ」は、「鏡」に映る同一であり可能性でもある存在、すなわち前章で提唱した「僕は君で君は僕」そのものだ。
「人格を被せる」というシステムもまた、同化である。
4章「5章」6章を例に見る前後章の関係性
5章はイシュメールのメイン章であるが、前章メインのイサンと次章メインのヒースクリフの登場頻度も高くなっている。『前後章の登場キャラクターの出番が増える』というのはよくある構成であるためか、あまり触れられていないが、リンバスカンパニーにおいても全ての章で同様の構成である、という点を思い出してほしい。
これは実は元ネタの引用においても同様であり、白鯨に飲まれ白くなったイシュメールをヒースクリフが助ける際、白い窓が拭われるような演出が入る。あれは「白鯨」ではなく、「嵐が丘」に存在する場面のオマージュなのである。
「4章」の元ネタは「デミアン」でもある
これが最も巧みなのが「4章」であり、この主張をしたくてこのnoteを書いたといっても過言ではない。仔細は別記事としたいが、「4章」の元ネタには「デミアン」(3章メインキャラクター・シンクレアの登場作品)が多分に含まれている。
リンバスカンパニー3章では、「デミアン」で引用したくなる「アプラクサスの手紙」が全く引用されない。
「鳥は卵の中からぬけ出ようと戦う。卵は世界だ。生まれようと欲するものは、一つの世界を破壊しなければならない。鳥は神に向かって飛ぶ。神の名はアプラクサスという」
3章がクローマー戦で終わる(元ネタでデミアンからこの手紙を受け取る遥か前までしか引用されていない)ことを考えると当然だが、少なくとも日本国内では「デミアン」元ネタといえばこの手紙しか引用されないといっても差し支えないほどである。3章プレイ時は衝撃だった。
そしてその要素は全く出ないのかといえば、そうではない。「4章」で「翼」と美しくミックスされて提示されるのである。
4章でドンランは「鳥」を育て「殻」から抜け出ようと戦い、デミアンは「絵を描いて欲しい」とダンテに頼みにやって来る。
「デミアン」を例に見るリンバス全体思想
おねがいします......ヒツジの絵を描いてよ!
「4章」の終わり、デミアンはダンテに羊の絵を描くよう頼みにやって来る。これは「星の王子さま」の引用であるというのが定説であり、私もデミアンには「星の王子さま」の要素が他にも盛り込まれていると考えているためそれは肯定する。しかしこれはそれだけではなく、ちゃんと「デミアン」からの引用でもあると考えている。
そもそも「デミアン」における「アプラクサスの手紙」は、シンクレアがデミアンに絵を送り、その返信としてデミアンがシンクレアに送ったものなのである。
だからデミアンがダンテへ「絵を描いてほしい」というのは「デミアン」の引用であり、「そういう約束だった」というのも物語上の順序違い(手紙は引用されたが絵は受け取っていない)への言及として読み取れると考えている。
また、何故シンクレアではなくダンテにそれを言ったのか。これは考察界で人気のある『シンクレアの立ち絵の囚人番号が不自然に10から11へ描き変えられたように見える』という指摘と接続して考えられる。
「シンクレアはダンテであり、ダンテはシンクレア」なのだ。
リンバスカンパニーには全体を通してデミアンの文脈が含まれる。例えばオリジナルキャラクターであるグレゴールの母親が、わざわざ「ヘルマン」という名前になっている(元ネタは別人とされているが、デミアン著者であるヘルマン・ヘッセを連想させる)。またゲーム中には登場していないが、リンバスカンパニー全体のベースとなっているであろう「ダンテ」の「神曲」と「デミアン」には、共通して「ベアトリーチェ」という名前の人物が登場する。
そもそも5章のように元ネタ作品の後日を描いたような章もある中で、3章で引用されたのは「デミアン」の3分の1にも満たない程度だ(ヘルマンが登場する1章などにも同じことが言える)。
「神曲」「デミアン」のように前後章だけでなく全体を通して引用されている作品も存在するのである。
リンバスカンパニーをn%楽しむ
以上、Limbus Companyは実に構成の美しい作品であるため「4章の元ネタは~」といって李箱や九人会関連書籍ばかりを挙げるのは200%の楽しみ方であり、もっと広い視点から見れば300%も400%も楽しめる作品なのではないかという提起である。
未プレイだが、ProjectMoon前作の『Lobotomy Corporation』や『Library Of Ruina』にも関連するため、実際にはもっと練られていると考えられる。
そもそも元ネタを全く知らずともオリジナルの物語として成立しており100%楽しめる作品なのだが、似たような主張の記事を見かけなかったので筆を取ってみた次第である。
良い管理人ライフを。

