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リンバス4章デミアン説 ——「牛」は「殻」を破れない——

この記事にはLimbus Companyおよびその元ネタ・関連するかもしれない多数の書籍の引用やネタバレが含まれます。



序文

これはデミアン(元ネタの方)オタクのドンラン推し新人管理人が、至極真面目に異説を唱える記事である。書いている本人はかなり大真面目である。大真面目ではあるが湿度としてはキャラ萌え記事である。

今回は、4章ドンランVSイサンの構図を「デミアン」(元ネタ本の方)の文脈から読み解いていく。

驚かれることかと思うのだが、3章解説ではない。4章解釈記事である。

リンバスカンパニー4章でドンランのストーリーは完結するため問題ないかと思うが、普段はリンバス初見実況配信をしており現在6章中盤のため以降の知識がないことはご了承いただきたい。

▶︎ 4章アーカイブはこちら



ドンランの「殻」

「鳥は卵の中からぬけ出ようと戦う。卵は世界だ。生まれようと欲するものは、一つの世界を破壊しなければならない。鳥は神に向かって飛ぶ。神の名はアプラクサスという」

——ヘルマン・ヘッセ『デミアン』高橋健二訳

リンバスカンパニー3章のメインキャラクターはシンクレアであり、その元ネタがデミアンであることは周知の事実だろう。しかし、この「アプラクサスの手紙」は3章では引用されない。クローマー戦で終わる3章は、原作「デミアン」でデミアンからこの手紙を受け取るはるか手前までしか描かれていないためだと解釈している。

では「アプラクサスの手紙」はリンバスカンパニーに登場しないのかというと、そうではない。

4章にて、ドンランの口から「殻」という言葉が繰り返される。

4章のメイン囚人であるイサンや公式は言葉遊びが好きで(理想、以上のようなイサンの同音異義語など)、ドンランのそれも「空虚」の比喩であり「空」と「殻」の言葉遊びなのだが、私はそれだけではないと読んでいる。

ドンランの言う「殻」は、アプラクサスの手紙の「卵の殻を破れ」という命題ともかかっているのである。

ドンランとイサンは4章で「卵の中からぬけ出ようと戦う」


「牛」は胎生で「殻」は破れない

ここで問題が生じる。

「殻を破れ」という命題に対して、ドンランは「鳥」ではない。ドンランのモチーフは「牛」、ひいては故郷に置いてきたヌロンイである。開花後の「舎音」と見ても良いが、いずれにせよ「鳥」ではないし飛ぶ「翼」を持たない。

九人会の会話の中では、ヌロンイが雄牛で子を成せないことまで明示されており、これはドンランが何も産み出せないことの暗喩として機能している。

牛は「卵」から生まれない。胎生だ。

ついでにドンランは「鶏」を育てるが、鶏は飛ばない。そしてドンランの育てる鶏は、「空」の卵(無精卵)を産むことすら必要とされずに半永久食料にされている。

「殻を破れ」という命題は、そもそもドンランには適用されない構造になっているのである。

ドンランは自分が「殻」だと言う。ドンランはアプラクサスの手紙の命題に沿って描写されている。しかし「牛」に破るべき「殻」はない。

ドンランは破ることのできない「殻」という概念のもと設計されている。実はドンランは作中で「折れた翼」すら持たされていないのだ。

真に「空」なのである。


イサンには「翼」がある

対してイサンは「鳥」である。「翼」を持って生まれた。

4章でイサンは過去と向き合い、「折れた翼」を取り戻して羽ばたく。「殻を破れ」という命題を、イサンは体現できる存在だった。


何も産めないまま、それでも

ドンランは何も産めなかった。

「空」として生まれ、「翼」もなかった。「殻」も破れなかった。

ドンランは最後に、イサンの「翼」は「輝いていた」と言う。

ドンランは知っていたのである。イサンに「翼」のあることも、自分が「空」であることも。それでも空を満たそうとして、生きようとした。

ドンランはドンベクの爆薬のことも「宇宙」のようだと形容する。サムジョのことも、小さな川に生まれてしまった「龍」のようだと。そういう人間が好ましいと。

九人会を売った裏切り者と呼ばれたが、破滅しかない九人会を、都市に還元できる形で着地させたのである。ドンベクを綺麗なまま散らせた。サムジョに最後まで希望を抱かせた。

ドンランは誰のことも嫌ってなど居なかった。

それでもドンランのせいになった。全部。

何も故意ではなかった。悪意から来た行動はひとつもなかった。それでも人は消えて、全ての罪を引き受けて燃やされた。写真が好きだった人間が、写真と同じように燃えた。研究成果と同じように。

ドンランは何も産めないまま、誰にも顧みられないまま、何者にもなれないまま、それでも立ち上がり続けた。

「牛」をモチーフに持ったキャラクターが、最後まで焼肉パーティの話をしていた。4章の最後は囚人たちの焼き鳥パーティで終わる。

それは食料資源改良部所長の「殻」で、全部燃えたドンランの「空」を表していたのかもしれない。


写真は本当の自分を写す

これが「デミアン」の文脈から読んだ4章、もといドンランVSイサン、もといドンラン作文である。4章「デミアン」説についてはデミアンや星の王子さまや創世記の切り口でまた別途語りたいと思っている。

鳥は卵の中からぬけ出ようと戦う。

——ヘルマン・ヘッセ『デミアン』高橋健二訳

「牛」にはその「殻」がない。それでも牛は歩いた。鳥が飛び星が散るのを見ながら。

これもドンランの言葉だが、写真は本当の自分の姿を写す。まっすぐに前を向くイサンとドンベクに対し、ドンランだけが斜め下のドンベクやヨンジの方を見ていた。前を、理想(イサン)の方向を向けなかった。

サラジネではその写真にすらイサン以外の姿はぼやけている。イサンは「斜め」に見ていた自分をしきりに悔いるが、果たして斜めとはどこだったのだろうか。

ここには考察でも解説でもない、微妙な深読み解釈・他では聞かない都市伝説を、これからも孤独に綴ることにする。

良い管理人ライフを。

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