interview Thomas Strønen:21世紀ECMを代表するドラマー、作曲家の全貌(17,000字)
21世紀のECMを代表する存在をリストアップするならば、トーマス・ストレーネンの名前は必ず入るだろう。
ノルウェー人のドラマーで作曲家の彼は21世紀のECMとノルウェーの音楽に大きな足跡を残してきた。
その代表的なプロジェクトはイアン・バラミーとのプロジェクトのFoodだろう。ECMのエレクトロニック・サイドを象徴する存在であるだけでなく、北欧ジャズのエッジを発信してきたレーベルのRune Grammofonからもリリースしている。トーマスは鍵盤奏者のストーレ・ストールリッケン(Ståle Storløkken)とのデュオのプロジェクトのHumcrushの作品もRune Grammofonからリリースしている。トーマスは北欧のエレクトリックな即興音楽をリードする演奏家のひとりだと言っていいだろう。
そのトーマスが2010年代初頭にTime Is a Blind Guideという名のプロジェクトを始めた。アコースティックな楽器による編成のこのプロジェクト名はオーストラリアの作家デヴィッド・マルーフ(David Malouf)の小説『Fly Away Peter』(1982年刊)の一節から取られている。
「時間は盲目の案内人」という言葉は「音楽が時間という目に見えない要素によって形作られ、導かれるプロセスを象徴している」そうだ。
前回の来日公演ではどこまでが作曲されていて、どこまでが即興なのかがわからないような音楽が時間の流れに沿って自然に形作られていく光景が目の前で起きているようなマジカルな体験で、それ正にこの名そのものだと僕は感じていた。

今回はTime Is a Blind Guideの新作のリリースと来日に際しての取材だったが、僕はトーマスのことを幼少期まで遡って聞いてみることにした。このプロジェクトの音楽を聴いていると、きっとここには演奏家としてのトーマスと作曲家としてのトーマスの本質と直接結びついているのではないかと思ったからだ。まずはその本質部分を知るための基本的な情報が知りたいと思った。
結果的にトーマスだけでなく、Time Is a Blind Guideにも迫るものになったと思う。ちなみにトーマスはものすごい勢いで話してくれたので、とんでもない分量のロング・インタビューになっている。
取材・執筆・編集:柳樂光隆 | 現場通訳:Aya Nagotani
協力:有限会社 花井

◉ ノルウェーの地方のビッグバンド
――ジャズを始めたきっかけ、そしてこの道に進もうと思った理由を教えてください。
実はそれはTime Is a Blind Guideの新作『Off Stillness』とも関係してる。この作品は、いろんな人への小さな献辞になっているんだけど、その中に、自分でもまさかって思うような人物がいる。それが、後に義理の父になる人なんだ。
彼は僕が育った場所の作曲家でありミュージシャンだった。僕は小さな村で育った。人口は3000人くらい。エドヴァルド・ムンクが絵を描いた場所でもあって、「橋」や有名な作品が生まれたところなんだ。
そこで育って、12歳くらいの頃にはロックバンドをやっていた。そんな時、その人が地域の若いミュージシャンを指導する仕事で、デモ録音のやり方なんかを教えていて、僕のロックバンドを録音してくれたんだ。彼は当時まだ20代半ばくらいだったと思う。
彼自身は12〜13人くらいのミニ・ビッグバンドのTønsberg Storband(トンスベルグ・ストールバンド)を率いていて、自分で作曲やアレンジもしていた。メンバーは地元の優れたセミ・プロのミュージシャンたちだったんだけど、ちょうどドラマーが辞めることになって、僕に声をかけてくれたんだ。
それまで僕はロックンロールしかやっていなくて、即興なんて全くやったことがなかった。でもTønsberg Storbandは北欧的なヨーロピアン・ジャズ・アンサンブルの“オープン・スペース”が含まれる音楽だった。正直、最初はまったく理解ができなかったんだ(笑)。
彼はその中でどうドラムを叩くかを一から教えてくれたし、たくさんのレコードも聴かせてくれた。その中にはECMの作品もたくさんあった。
――へー。いきなりそこに行くんですね。
それで、自分が知っていたドラムとは全然違う演奏の仕方があるって気づいたんだ。特にヨン・クリステンセンをよく聴くようになってね。そうやってジャズに入っていった。
そのバンドは、僕の地元ではいわば“機関”みたいな存在で、たとえばヤガ・ジャジストのメンバーもそこから出ている。彼はまるでアート・ブレイキーみたいな存在で、有望な若手を見つけては自分のバンドに入れて育てていたんだ。
――すごい。
僕はそのバンドで6年間プレイして、完全に音楽教育の場だった。他のプロジェクトでも一緒に演奏したし、そこで出会ったミュージシャンたちとまた別の活動も始まっていったんだ。
――子供のころにいい環境があったと。
今回の『Off Stillness』という作品は、自分がどうやってジャズや即興音楽の世界に入ったかを思い出させてくれるものでもあるんだ。そして同時に、ヨン・バルケへのちょっとしたオマージュでもある。僕が13〜14歳くらいの頃、ヨンはOslo 13というバンドで『Off Balance』という作品を出していた。その後、それはMagnetic Northというバンドに発展することになる。僕はそのOslo13のコンサートに行った時のことをよく覚えているんだ。厨房のドアからこっそり入れてもらって(笑)、父と一緒に最前列で観た。
その時のドラマーの演奏を観て、椅子から転げ落ちるくらい衝撃を受けた。アウドゥン・クライヴェ(Audun Kleive)はドラムの叩き方がそれまでに聞いてきたドラマーとはまるで違っていて、それが僕の練習の仕方やドラムへの考え方を完全に変えたんだ。ドラムは後ろで支えるだけのものじゃなくて、前に出てリードすることもできるんだって思うようになった。それが今の自分につながっている。
――最初にECMやノルウェーのジャズを聴いたと話していましたが、具体的にどんな作品やアーティストを聴いていたんですか?
まず聴いたのは、キース・ジャレットのヨーロピアン・カルテットだね。いわゆる“Belonging”のカルテットで、ヤン・ガルバレク、パレ・ダニエルソン、ヨン・クリステンセンが参加しているあのバンド。あれが最初期に聴いたレコードのひとつだった。
それから「Out to Lunch」っていうノルウェーのバンドとか、「Lines」というバンドも聴いていたね。あのバンドにはエリン・ロッセラン (Elin Rosseland)がヴォーカルで参加していた。
あとは、ヤン・ガルバレクの作品はひと通り聴いたし、アリルド・アンデルセン、テリエ・リピダル、ヨン・クリステンセンが参加しているような作品もたくさん聴いた。
それに、セシリエ・アンドレセン(Sidsel Endresen)がECMで出した最初の2作――『So I Write』と『Exile』も聴いていたし、彼女のバンドのライヴも観たよ。あれは本当にすごい体験だった。まだかなり若かった頃だけどね。
それから、なぜかギタリストにもすごく興味があって、ジョン・マクラフリンやジョン・スコフィールドなんかも聴いていた。
ただ、僕の場合ちょっと特殊だったのは、多くの同世代のミュージシャンと違って、ジャズ・ロックやフュージョンを経由しなかったことなんだ。普通はロックから入って、その流れでフュージョンを聴いて、それからジャズに行く人が多い。でも僕はロックから、そのまま“Open Space”のジャズに直接入っていった。だから、フュージョン的なものにはほとんど触れてこなかったんだよね。たとえば、もう25年くらい一緒にやっているスティーレ・ストーレロッケン(Ståle Storløkken)は、ウェザー・リポートを聴いて育っている。でも僕はそのあたりをまったく通っていない。あのジャズとロックが混ざった音楽には入らなかったんだ。やっぱり、適切な年齢のときに聴かないと、そのジャンルには入っていけないものだと思うよ。僕は最初からジャズに直接入っていったんだ。
◉ トロンハイムのジャズ・アカデミー
――トロンハイムのジャズ・アカデミー「Jazzlinja」での経験について聞かせてください。
先生たちが素晴らしかったね。そこで重視されていたのは、イヤー・トレーニング、ハーモニーを学ぶこと、ハーモニーを歌えるようになること、そして音楽を深く聴くことだった。
ただし、それは単なるアカデミックな訓練じゃなくて、すごく音楽的なやり方だったんだ。実際に曲を解釈しながら学んでいくし、コード進行も学ぶし、そのコード進行の中でどう歌うかも学ぶ。だから音楽を本当に深く聴くことにつながっていった。
特にイヤートレーニングによって作曲や“聴くこと”についての新しい扉が開かれたと思うよ。
ーーそれが今の音楽性にも活きていると。
大学では実験もたくさんしたよ。アメリカのジャズの伝統を学ぶために50〜70年代のドラマーのスタイルを研究してコピーしたし、並行してフリー・インプロヴィゼーションも探求していた。
さらに、日本の音楽にもすごく影響を受けた。なぜか分からないけど、太鼓や箏、三味線の音楽に強く惹かれたんだ。アルヴェ・ヘンリクセン(Arve Henriksen)と一緒に演奏するようになって、彼が尺八や笛をたくさん聴いていたことも影響しているはず。
僕は日本の音楽から、“Space”の扱い方を学んだ。それが今の自分の演奏にもかなり影響していると思うよ。
◉ 影響源:ドラマー
――さっき、ドラムやフリー・ミュージック、日本の音楽をそれぞれ研究していたと言っていましたが、まず特に研究したドラマーから聞いてもいいですか?
最初はヨン・クリステンセンとオードゥン・クライヴェ(Audun Kleive)だね。この2人のノルウェーのドラマーを発見したところから始まった。
そこからジャズ・ドラムの歴史全体をたどっていったんだけど、特に深く入ったのは、ロイ・ヘインズ、ジャック・ディジョネット、それから後にはポール・モチアン。この3人は本当に大きかった。
それから、トニー・ウィリアムスやエルヴィン・ジョーンズを集中的に聴いていた時期もあったし、エド・ブラックウェルもすごくよく聴いていた。本当にたくさんのドラマーを聴いたよ。数えきれないくらいね。
その後は、ジョーイ・バロン(Joey Baron)を長い間よく聴いていたし、ノルウェーのドラマーもたくさん聴いてきた。ヤールレ・ヴェスペスタ(Jarle Vespestad)やペール・オッドヴァル・ヨハンセン(Per Oddvar Johansen)のような今の人たちも素晴らしいよ。
◎ ヨン・クリステンセン
――何度もヨン・クリステンセンの名前が出てきましたが、彼の特別なところはどこだと思いますか? そして、彼から特にどんな影響を受けたと思いますか?
彼は本当に特別だったよ。ある意味では、ジャック・ディジョネットとヨン・クリステンセンを同じ光の中に置いて考えているんだ。もちろんアプローチは少し違うけどね。
ヨンに関してまず言えるのは、常に「音楽が先」だったってことなんだ。自分の技術を見せつけたり、ドラミングそのもののために何かをやったりするドラマーじゃなかった。いつでも目の前の音楽を前に押し出していた。
タイム感も信じられないほど素晴らしかった。だから彼がフィルやブレイクを入れると、いつも意外性があるし、必ず音楽に何かを加えていた。時には本当に衝撃的だったよ。すごく静かな曲なのに、突然バーンと大きな音を出して、一気に音楽を開いてしまうことがあった。彼は音楽の“鍵”を持っているように感じたんだ。彼が何かをすると、その音楽の聴こえ方そのものが変わる。常に最善の形で音楽を導いていたんだよ。
それから、音もすごかった。シンバルの鳴らし方、タッチ、それが本当に稀有で特別だった。偉大なドラマーって、そういうものを持っているんだよね。エルヴィン・ジョーンズを亡くなる前年にノルウェーで聴いたことがあるんだけど、その時の彼はかなり年を取っていて、コンディションも万全じゃなかった。でもシンバルに触れてシンプルなビートを叩き始めた瞬間、僕は泣いてしまった。あの“タッチ”だけで、即座にエルヴィンだって分かったから。そのくらい、タッチには強い個性がある。ヨンにもそれがあった。彼の音そのものが、僕にとって理想だったんだ。自分のドラムもああいうふうに鳴ってほしいと思っていた。実際、他のドラマーがヨンのシンバルやドラムを使って演奏しているのを聴いたことがあるけど、まったく違う音になる。つまり、シンバルやドラムそのものじゃなくて、彼がどうアプローチしていたかなんだよね。
――ヨン・クリステンセンが演奏している作品の中で、特に好きなものがあれば教えてください。
まず、シゼル・アンドレセン(Sidsel Endresen)の『So I Write』でのドラミングは本当に素晴らしいと思う。
それから、キース・ジャレットのヨーロピアン・カルテットによる『Personal Mountains』。あれも本当にすごい。
あとは、ボボ・ステンソンの『War Orphans』での演奏も例外的なくらい素晴らしいドラミングだと思う。
それと『Riisnæs/Christensen』。ジョン・スコフィールドが参加していて、クヌート・リースネス(Knut Riisnæs)、パレ・ダニエルソン、そしてヨンが入っている。クヌート・リースネスはノルウェーの本当に素晴らしいサックス奏者だった。
今ぱっと思いつくのはそのあたりかな。
◎ ポール・モチアン
――さっき後期のポール・モチアンの名前も出ましたが、彼からはどんな影響を受けましたか?
まず大好きなのは、ビル・エヴァンス・トリオでのブラシワークだね。あのブラシの使い方は本当に美しいし、タッチそのものもものすごく美しかった。
それから後年になると、ジョー・ロヴァーノ(Joe Lovano)とビル・フリゼール(Bill Frisell)とのトリオを本当によく聴いていた。
彼の後期の演奏には、ヨン・クリステンセンの後期の演奏と通じるところもあると思っている。ポール・モチアンもヨンも、初期と後期では演奏のあり方がかなり違うんだよね。
彼のすごさは、常に音楽を足していくところにあったと思う。しかも、いつも型にはまらないことをやっていた。バンドが完全にルバートでフリーに演奏している時に、彼だけ急にタイムを出し始めたりする。逆に、バンドがタイムの中で演奏している時に、彼はフリーに動いて色を加えたりする。すごく勇敢な選択をするんだ。自分の道を行くこと、自分自身のやり方を貫くことを全く恐れていなかった。
それに、僕がポール・モチアンで本当に好きなのは、作曲家としての素晴らしさなんだ。彼は本当に強いコンポーザーだった。僕も彼の曲をたくさん演奏してきたけど、あの曲たちは彼の演奏そのものだ。どんなふうにも演奏できるんだ。タイムの中でもできるし、フリーでもできる。遅くも速くも、ラウドにもクワイエットにもできる。それでもちゃんと成り立つ。それって、僕にとっては本当の意味での「作曲」なんだよね。譜面上では意外とシンプルで、読むのも難しくない。でも実際にはすごく複雑で、演奏する側に即興や冒険を促してくる。そこが本当に素晴らしいんだ。
――さっきフリー・ミュージックについても話していましたよね。たとえば、どんなアーティストを研究しましたか?
うーん、「フリー・ミュージック」って言葉は、まず定義が必要だと思うんだ。というのも、それが何を指すかは時代によっても変わるからね。
たとえば、エド・ブラックウェルがチャーリー・ヘイデン、オーネット・コールマン、ドン・チェリーとやっていた60年代の音楽は、当時はフリー・ミュージックだった。でも、即興ジャズや即興音楽の歴史を経た今の感覚で聴くと、むしろもっとストレートな音楽にも聴こえる。
――そうですね。
だから、僕は「フリーだけをやる人」を特に研究してきた、という感じではないんだ。僕が影響を受けてきたミュージシャンたちはみんな、曲の中であれ、完全即興であれ、自由に即興できる力を持っている人たちなんだよね。それに、即興音楽だって本当の意味で“自由”ではないとも思っている。それは自分の語彙や、自分がどう演奏してどう即興するかという考え方から出てくるものだから。常に何かしらの前提はあるんだ。すごく厳格な音楽の中でも自由に演奏することはできるし、逆に完全な即興でも、自分の中の限界や境界に縛られていることはある。だから、何かがより“自由”だと単純には言えないと思う。
僕は「フリー・ジャズをやる人」「フリー・インプロヴィゼーションをやる人」といった分類でミュージシャンを探してきたわけじゃない。むしろ、どんな種類の音楽であれ、その音楽を開いて、面白い方向へ持っていける力に惹かれるんだ。
だから、たとえばチャーリー・パーカーを聴いて、あれだけ明確なコード進行の上でどれだけ自由に吹いているかに驚くこともあるし、逆にサン・ラーのように、伴奏がかなり自由な中でメロディを吹いているのを聴いて感銘を受けることもある。だからこのあたりは、ちょっと説明が難しいんだよね。
◎ トニー・オクスリー
――なるほど。じゃ、範囲を限定して聴きたいんですど、ヨーロッパの「フリー・ミュージック」みたいな領域ってあると思うんですが、そこからの影響はありますか?
うん、たとえばデレク・ベイリーはよく聴いていたよ。それからドラマーではトニー・オクスリー(Tony Oxley)も本当に素晴らしいと思っていて、たくさん聴いてきた。そういう意味では、より“フリー・ミュージック”的な領域の人たちからの影響ももちろんあるよ。
――トニー・オクスリーのどんなところが素晴らしいと思いますか?
まず何より音そのものが本当に刺激的だった。彼の演奏の“流れ方”にはすごく影響を受けたんだ。とても流動的な言語を持っていて、たくさんの異なる音が互いに干渉し合いながら流れていく。まるで海みたいなんだよ。海岸の岩の上を波が流れていくみたいな感じでね。あの“流れ”そのものが、自分にとってすごく大きかったし、そこから多くを受け取った。
それに、ベルや小さなチャイム、ゴング、シンバルみたいなさまざまな音色の使い方も印象的だった。彼は一度にひとつのことをやっているわけじゃないんだ。シンバルで2拍4拍を刻いて、そこにスネアを加える、みたいな普通のドラマーとは違う。全てが同時に起きているんだよね。僕にとってトニー・オクスリーは本当に驚異的だった。たとえばジョン・サーマンとの演奏なんてすごいよね。
フィンランドのエドワード・ヴェサラ(Edward Vesala)にもトニー・オークスリーと少し似たアプローチがあったかな。
◉ 影響源:日本の音楽
――さっき日本の音楽の話をもしていました。惹かれるようになったきっかけは何だったんですか?
正直に言うと、はっきりしたきっかけは自分でもよく分からないんだよね。でも、トロンハイムで勉強していた頃に、和太鼓のCDを取り寄せたのを覚えてる。「Nihon Daiko」っていう名前のドラム・アンサンブルで、尺八と太鼓の編成だったと思う。それが強い印象を残したんだ。それから、日本の音楽についていろいろ調べるようになった。当時はちょうどインターネットが出始めた頃で、まだ携帯電話も持っていなかったけど、ある言葉を読んだのを覚えている。
「次の一打が音楽を変えないなら、叩くな」
誰の言葉かは分からないけど、それがすごく強く心に残ったんだ。つまり、自分が出す音が音楽に何かを加えないなら、それは必要ないってことだよね。
――おー、なるほど。
それを読んで、ジャズ・ミュージシャンは弾きすぎているんじゃないかって思った。音が多すぎるし、情報が多すぎる。だから僕は“引く”ことを考えるようになったんだ。どうやったら減らしながらも、より大きなインパクトを生み出せるか。無駄に情報を増やすんじゃなくて、本当に必要な要素だけを加えて、音楽が正しい方向に進むようにする。その方が音楽はより強くなると思ったんだ。
それに太鼓のアンサンブルを聴いたとき、その力強さと明確さがいいと思った。そこからクラシックの打楽器奏者の演奏も聴くようになった。どうやって音を発音しているのか、どれだけ正確か、ダイナミクスがどれだけ重要か、そういうことを意識するようになった。それで、もっと静かに、もっと正確に演奏する練習をするようになった。スネアだけでルーディメンツをひたすらやったりね。静かに演奏しながらもエネルギーを出せるようになりたいと思ったんだ。大きな音でたくさん叩くのは簡単だけど、音数を減らして、音量も抑えながら同じエネルギーを出せたら、それはかなりのところに到達出来たってことな気がするんだよね。
――Foodでのエレクトロニックなサウンドやライヴ・サンプリングなどを使っていますよね。それらをドラムに組み込むことはどんな感覚ですか?
僕の場合はエレクトロニクスを使っていても、あくまでドラマーって感覚なんだよね。エレクトロニクスはアコースティックではできないことを可能にしてくれるだけ。だから僕にとってエレクトロニクスは、ドラムセットの拡張なんだよ。アコースティックでは操作できない音を扱うための手段。実際、今でもプロジェクトによってはエレクトロニックなセットで演奏することもあるんだけど、『Time Is a Blind Guide』でベルやゴングを加えるのと同じような感覚でサンプラーを使う。ただ、それだけの違いだよ。プロジェクトによってドラムのセットアップを変えることがあるよね?それと同じだね。エレクトロニクスは、そのバリエーションのひとつなんだ。
◉ 作曲についての考え方
――ここからは作曲家として影響を受けた人物について聞きたいです。
たとえばバッハはすごく好きで、何度も聴き返しているけど、自分が直接影響を受けているとはあまり感じていないかな。ショスタコーヴィチの弦楽四重奏はよく聴いてきたし、弦楽四重奏というフォーマット自体にもすごく興味がある。メシアンも大好きだし、ブラームスのピアノ・ソナタも素晴らしいと思う。
それから、ある時期はスティーヴ・ライヒやフィリップ・グラスといったミニマリストにもかなりハマっていた。
そうやっていろんなところから少しずつ影響は受けていると思うけど、「この方向性だけ」という感じではないんだよね。むしろ他人から言われて気づくこともある。以前、「君の音楽はバリの音楽に影響を受けているんじゃないか」と言われたことがあって、その時はまだバリの音楽を聴いたことすらなかった(笑)。でもそれをきっかけに聴き始めたりもした。
20年くらい前に、スコットランドのマクフォールズ・チェンバー(McFall’s Chamber)という弦楽アンサンブルのために曲を書いたことがあって、その頃は弦楽のための作曲にすごくのめり込んでいた。Time Is a Blind Guideを結成する以前の時期だね。その時、彼らは「君が何に影響されているのか分からないけど、すごく良い音楽だ」と言ってくれた。そして「弦楽四重奏を聴きすぎないで、そのまま書き続けてほしい」とも言われた。クラシックの世界だと、たとえばショスタコーヴィチにハマると、すぐに“ショスタコーヴィチっぽい曲”を書こうとしてしまうからね。
――なるほど。
だから僕は、特定の作曲技法を徹底的に学ぶというよりは、常にいろんな音楽から自然に影響を受けている感じなんだと思う。今も毎週のように新しい発見があって、何かしら自分の中に影響を与えている。最近だと、若い世代のミュージシャンがやっていることに刺激を受けることも多いよ。「こんな発想はなかったな」と思うことを、自分の作曲に取り入れたりもしている。
◉ 作曲と即興
――あなたの音楽は作曲と即興が密接に結びついていると思いますが、その両方を融合させているアーティストからの影響となるとどうなりますか?
それは僕の世界ではごく普通のことだと思うよ。ほとんどの人がやっていることなんじゃないかな。ポール・モチアンみたいに、すごく短くてシンプルな曲を書く人もいれば、もっと長くて構造的な作品を書く人もいる。でも、作曲と即興の組み合わせ自体は、ずっと昔からあるものなんだ。たとえばバッハの時代でも、かなりの部分が即興だった。それが後になって出版の過程で、キーやテンポが固定されていっただけなんだよね。特にジャズや即興音楽の世界では、それが当たり前なんだ。僕と一緒に演奏している人たちも、みんな作曲家でもある。
――なるほど。
たとえば『Time Is a Blind Guide』のメンバーでも、ベーシストのオーレ・モルテン・ヴォーガン(Ole Morten Vågan)は大編成のための作品を書いていて、100ページにも及ぶスコアを作るような人だ。ヴァイオリンのハーコン・アーセ(Håkon Aase)も、ビートルズやビーチ・ボーイズに影響を受けたポップなプロジェクトをやっている。だから、作曲と即興の両方をやるのはすごく自然なことだよね。
僕自身も、短いテーマだけ書いて即興の入口にすることもあれば、もっと長くて複雑な曲を書くこともある。それは単に選択の問題だね。アンサンブルのメンバーがすごく高いレベルで即興できることを分かっているから、細かく書き込んだものと同じ方向に、即興でも進んでいける。だから、より細かく書くこともあれば、あえて書かないこともある。
どちらも自然なことだよね。
◉ Time Is a Blind Guideにおける作曲
――Time Is a Blind Guideの作曲について教えてください。クラシックのように楽譜で書かれている部分もあれば、ジャズのリードシートとも違うように思えますが、あなたにとって作曲とは何で、どのように書いて共有しているんですか?
やり方は作品ごとにかなり違うんだ。でも最近の作品では、かなり多くの部分が楽譜として書かれていて、細かく構成された素材を全員が学ぶ必要があるんだ。
Time Is a Blind Guideに関して言うと、ある意味で“円環的”な感じなんだ。最初にバンドを始めた頃は、かなりたくさん書いていた。いわゆる伝統的な意味で、譜面にしっかり書き込んでね。というのも、自分の中に「この方向にバンドを引っ張りたい」という明確なイメージがあったし、頭の中にある特定のサウンドを形にしたかったからなんだ。そのためにふさわしい方法で作曲していた。
でもバンドが成長していく中で、今はもっと少ない情報でも成立するようになった。情報を減らしても、それでもTime Is a Blind Guideのサウンドになるんだよ。バンドとしての音がすでに確立されてきた。作曲や即興のあり方についてもメンバー全員に共通の理解があるしね。
◎ Off Stillness(2025)
それに、今はすごく“室内楽的”なアンサンブルになっていて、作曲に対してもすごく柔軟にアプローチしている。音楽はメンバーそれぞれに合わせて書かれているんだ。たとえば、ヴァイオリンならハーコンがどういう音を出すかを分かって書いている。譜面も、ある程度の自由度を持たせているし、書かれている部分を演奏したあと、そのまま自然に即興へとつなげていくことができる。
――なるほど。
つまり、音楽を個人としてだけじゃなく、アンサンブルとして内在化しているんだよね。だから即興に入っても、それはすでに書かれた音楽の延長として機能する。ここまで来られたのは、作曲と即興の関係性をどう扱うか、どう音楽を表現するか、そしてこのアンサンブルをどういう音にしたいかを、ずっと明確にしてきたからだと思う。だから、時にはすごくシンプルなリードだけ渡すこともある。たとえば新作に「Tuesday」という曲があるんだけど、あれはアルバムの中で一番短い曲なのに、メンバーそれぞれの情報がすごく詰まっている。
一方で「Dismissed」みたいに、かなり多くの音符や情報を書き込んだ曲もある。そういう曲では、作曲された部分と即興の部分がすごく密接に結びついている。
今では、自分がどんな曲を持っていっても、それがバンドの音として鳴るようになった。それがこのアンサンブルの“シグネチャー”だと思う。メンバーはすぐに音楽を理解して、どう形にすればいいか分かるんだ。
だから、どれだけ情報を与えるかは、その時の自分の選択次第なんだよね。作曲していてインスピレーションが湧けば、たくさん書くこともあるし、逆に少なくすることもある。そして重要なのは、書かれたものから離れて即興に行くことも許されていることだ。最近のブラジル・ツアーでは、すべての楽曲が“フレーム”として機能しているように感じた。その枠の中で自由に探求していく感じで、常に背後には作曲された構造があるんだけど、それをそのまま演奏するわけじゃなくて、断片的に使ったりするだけだった。長く一緒に演奏してきて、素材を深く理解しているからこそできることだと思う。このバンドの強さは、全員が音楽の“形”を感じられることなんだ。作曲されたものを感じ取れるし、それに挑戦することもできる。そしてお互いに刺激し合いながら、それでもアンサンブルとしてのサウンドを保ち続けることができるんだよ。
◉ ECMとの関係
――ECMというレーベル、そしてそのコミュニティからはどんな影響を受けていますか?
ものすごく大きな影響を受けているよ。まずひとつは、僕自身がその録音を聴いて育ってきたということ。それに加えて、マンフレート・アイヒャーととても親しい関係になって、彼が僕のプロジェクトをずっと支えてくれていることも大きい。彼はいつも僕のアイデアを後押ししてくれて、「自分のやりたい方向を追求しなさい」と言ってくれるんだ。いろんなアンサンブルをやってきたけど、常にサポートしてくれている。
それに、ECMというレーベルの存在が、自分のキャリアにとって一つの軸になっているとも感じている。ECMのようなレーベルでは、毎年アルバムを出す必要はないし、それでいいと思っている。若い頃は、とにかくたくさん録音してリリースしたいと思っていたけど、今はレコード業界自体も大きく変わったし、自分の考え方も変わった。今は、常に何かをリリースし続ける必要は感じていない。実際にはリリースする以上に作曲はしているけどね。
――なるほど。逆にあのゆっくりのリリース・ペースが合っていると。
ECMはとても強固なレーベルで、自分を最も良い形で表現してくれる場所だと思っている。よく「ECMサウンド」という言い方があって、それを制限のように捉える人もいるけど、僕のECMでのカタログを見てもらえば分かるように、本当にいろんな音楽をやっているんだ。たとえばFoodではエレクトロニックな音楽をやっているし、Time Is a Blind Guideは、いわゆる“ECMらしい”音に近いかもしれない。でもRelationsのようにソロやデュオでかなり挑戦的な音楽もやっている。
――たしかに。
マンフレートはとてもオープンな人で、「音楽はこうあるべきだ」という固定観念を持っていない。ただし、プロダクションやサウンドの美学は非常に強くて、それがECMの明確な方向性を作っている。だから聴けば「これはECMだ」と分かるんだよね。
彼と初めて会ってからもう20年以上になるけど、すごく良い関係と友情を築いてきたし、彼は僕をとても信頼してくれている。僕に任せてアルバムを作らせて、その結果をそのままリリースしてくれることもあるし、プロセスのどこかで関わることもある。たとえばFoodの時は、自分で全部作って彼に送って、それがそのままリリースされたこともある。僕はマンフレートと一緒に仕事をするのも大好きなんだ。彼のコメントや提案は、録音にすごくポジティブな影響を与えてくれるし、自分では思いつかなかった方向を示してくれることもある。ECMというファミリーの一員であることは、本当に大切で、心から大事に思っているよ。


◉ トロンハイムのジャズ・アカデミー ②
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