新しい文脈を作り出す編集:『Jazz The New Chapter』柳樂光隆インタビュー(2017年6月初出 | 14,000字)
まず“マガジン”というジャンルについて思いを馳せてみよう。現在ひとつのトレンドとなっているものに、(カルチャー色の強いものも含めた)「ライフスタイル誌」がある。それは時代が乞い求めた結果なのか、あるいは“ライフスタイル的なもの”しか制作することができなくなったためなのか、まあ、そんな犬も食わない議論は別の場で好事家がすれば良い。ここで明らかにさせたいことは、強いコンセプトを打ち出すわけではなく、非常に曖昧でぼんやりとした設計から成り立つマガジンが市場に数多く出回っているという事実だ。一方で、世がそういった状況にありながらも、いくつかのマガジンやムックは鮮烈に、時にラディカルにさえ映るほどに際立ったコンセプトを主張している。そうした試みを“ジャズ”という音楽のカテゴリをベースにして実践したのが『Jazz The New Chapter』(以下、ニューチャプター)というムックのシリーズ。過日発売された4作目を含む、すべての本を監修している音楽評論家の柳樂光隆は、明瞭明確なコンセプトを握り拳に既存の音楽雑誌、音楽評論に殴り込み、“放置”し“分断”されていたものを接続させ「現代のジャズ」を新しい文脈として提示した。僕はそんな柳樂さんと、ずっと話をしてみたいと思っていた。
取材・執筆・編集:岡本尚之 | 写真:三浦咲恵 | 協力:ジャズ喫茶いーぐる
(2017年6月初出・一部加筆修正)
とにかく雑誌が大好きな子供だったので、買ったら隅から隅まで読んで何度も読み返してた
ーー柳樂さんのツイートには雑誌に触れたものもたくさんあって、紙媒体へのリスペクトがものすごく感じられるんですね。お聞きしたいんですけど、雑誌ってどんなものでしたか?
柳樂:とにかく雑誌が好きな子供だったんですよ。本じゃなくて、雑誌。特にファッション誌とカルチャー誌が好きで。でも、お金ないからそんなに買えないわけですよ。だから買ったら隅から隅まで読んで、何度も読み返して、みたいなことを中学、高校のころやってた。未だにそこに書いてあったこと、載っていたものはかなり覚えてます。
◎『BOON』の影響
ーーわれわれの出身地(中国地方)では、本当に情報が入ってこないから雑誌が唯一の情報源といっても過言ではないという背景もありますね……
柳樂:その中でも『BOON』って雑誌の影響が大きくて。
ーーどんな雑誌だったんですか?
柳樂:当時すごく人気があったファッション誌ですね。発行部数もすごかったと思うんだけど、けっこうチャレンジングなことをしていたんですよ。僕がそろそろ洋楽も聴きたいなと思い始めた10代の頃にスカ特集とヒップホップ特集があって、しかもカラーページで4ページとか6ページとか。
その内容がすごく良くて、ジャマイカのヴィンテージのスカから、ロックステディ、UKの2トーンスカ、そういったスカに影響を受けた日本のスカバンドやスカコアとかも載ってて、きちんとしてたんだよね。それでCD買ってみてスカが好きになっちゃって。
東京に来て最初にしたのは廃盤だったスカ・フレイムスのCDを探すことだったね(笑)。ヒップホップ特集もすごく良くて、僕が最初に買った輸入盤のCDはレッドマンとメソッドマン。なんかウータンクランの紹介がいい感じだったんだよね。あとビースティーボーイズとランDMCも買ったかな。
◎90年代のファッション誌が引き受けようとしていたもの
ーーもう洋楽どっぷりという感じですね。
柳樂:他のページではナイキのスニーカーとかヴィンテージのデニムとかが載ってるわけ。でも、当時のファッション誌ってカルチャーの中にファッションもあるんだって意識が強くて、裏原系なんて音楽だけじゃなくて服以外のいろんなものとセットだったから、必然的にカルチャーが載っちゃってたの。
スニーカーとヒップホップは思いっきり関係あるし、そうなったらマイケル・ジョーダンやマジック・ジョンソンは関係あるし、NBAの歴史から辿るとブラックムーヴィーがあって、スパイク・リーやタランティーノにも繋がるわけです。
当時のファッション誌はそういうものを全部引き受けようとしていたと思うの。音楽誌はファッションまでは触らないからね。「今、面白いカルチャーが交差する場所」としてファッションがあって、デザイナーやショップのスタッフもいろんなことにアンテナを張っていて、その感度もよくて精度も高かったから、ファッション業界がある種のハブみたいに機能していた時代だったと思うのね。
ーーなるほど〜そういう時代もあったんですね。今の若い人は全然想像できないと思いますが。
柳樂:だから、そこを紹介していたファッション誌ってすごく刺激的だったんだよね。そのおかげで僕は事故的にスカやヒップホップと出会うことができた。僕は決して、ファッションに詳しい人間じゃないし、おしゃれでもないけど、出発点はそこにあると思う。だから、ハブみたいな役割とか、クロスカルチャー的なものにはすごく関心があって、自分も音楽を軸にして、そういう役割を持てる活動できないかなってのはいつも思ってるし、やっぱりそれは紙で、雑誌的な形態で何かやりたいみたいなのはあるね。憧憬って部分もあると思うけど。
ーーかつてのそうしたファッション誌に掲載されている、多(他)ジャンルのインタビューも刺激的でしたよね。ぼくはどちらかというと「ファッションが好き」から読み始めた人間ですが、その頃にはもうハブとしての機能はなかったかなあ。ただのカタログでした。文脈なんかなかったし。だから最近はウェブの方が面白いと思うときもよくあります。

僕は彼らがやっている音楽と同じような姿勢で、彼らの音楽を紹介したかった
——今の音楽誌を読んでいくと“文脈を作る”行為をしているものが少ない。ジャズ雑誌に関していうとゼロ。そうなってしまうと、どうしても点在しているものを点として紹介するだけなので、どういった文脈のうえに置かれているのかが分からないし、読者的にはつまらないと思うんですよね。柳樂さんが実践したのは、点在していたものを整理してマッピングするという作業です。もう少しジャズ誌について突っ込んで言うと、内容の前にとにかくデザイン性がない。これっていつの時代のものだっけ? と感じるデザインヴィジュアルでは手に取ってすらもらえない。だから、媒体としての力は相乗的に失われていく。
柳樂光隆(以下、柳樂):全然ないね。そうだね。
◎無理にジャズの本にしない
——ニューチャプターの場合、まずデザインから手を入れていくという話を聞いたのですが、やはり既存のジャズ雑誌を意識していましたか?
柳樂:既存のジャズ雑誌のイメージから離れることは意識したね。最初に考えたのが、セレクトショップ的なレコードショップで取り扱ってもらえるようなデザインにすること。タワレコ、HMV、ディスクユニオンは置いてくれるだろうから、まずターゲットにしたのがBEAMS RECORDS とSPIRAL RECORDS で、そこに置くことができる本というのがまずありました。そういう感度の高い(消費者が集まる)場所に置いてもらえれば、もっと大きなところへ口コミ的に届くだろうという狙いもあった。あとは、青山ブックセンターや京都の恵文社のような書店かな。
(僕と小熊がデザインに)出したオーダーは、若干ヒップホップ的な雰囲気もありつつ、ジャズらしさも残して欲しいということ。デザイナーさん的には、上にフィルターをかけた感じがブルーノートをイメージしてると思うのね。あと、ニューヨーク・ヤンキースの帽子を被ってるやつがいたりするから、そこはとてもヒップホップっぽい。これまでのジャズミュージシャンにそんなファッションのイメージはないだろうから。他には表紙に出てくる文字が切れてたりさ、それは意識してやってくれたんだと思う。
——なるほど。
柳樂:ちなみに、デザイナーはジャズの雑誌をやったことがない人にお願いしたんですよ。ロック系の本を作ったことがある人で、僕と近い世代で、おしゃれな本を作っている人。『ビートルズの遺伝子ディスク・ガイド』とかね。だから、このニューチャプターのチームって、監修は僕で、編集が小熊俊哉(元シンコーミュージック、現Rolling Stone Japan編集部)と荒野政寿さん(シンコーミュージック)で、デザイナーがさっきの斎藤暁郎さん。あとはライターで原雅明さん(音楽評論家)さん、吉本秀純さん(音楽評論家)とかいるんだけど、基本的に僕以外はほとんどジャズの世界を知らない人なのね。ちゃんとジャズに関係する話はするけど、無理にジャズの本にしないっていうコンセプトは当初からありました。

◎世代間の断絶を繋ぎ直すために
——制作するきっかけとなったのは、専門誌や評論家が90年代以降のジャズについてほとんど触れず、あくまでジャズ専門誌以外がスポットで取り上げていた程度、という状況があったからですよね。これってそれほどジャズに詳しくない自分からすると、非常に不可解に思えました。だって他ジャンルのマガジンは現在を追っているのに、なぜジャズは過去のことしか語らないのだろうか、と。どのタイミングで断絶というか、語り継がれないという現象が起きたのでしょう。
柳樂:そうだな……やっぱり70年代くらいから「フュージョンは聴かない」という人が出てきたり、「エレクトリックな楽器が入ったら聴かない」という人とか、継続的に「この段階に入ったら私は聴かない」という人がずっと出ていた。そして、ジャズメディアはそれにずっと忖度をしてきたんですね。ジャズってロックよりも前にあった音楽じゃないですか。前の世代のリスナーがすごく多かったから、その層をきちんと囲い続けるというのがビジネスとしてあって、大事に守ってきたんだと思うよ。一方で「フュージョンしか聴かない」という人も出てきたり。それでいろんな断絶が完全に顕著になったのが、たぶん90 年代。
——ビジネスとしては仕方がない面もありますね。
柳樂:そうだね。90年代にいきなりクラブカルチャーが入ってきて、ビジネス的にはそこの占める割合がとても高くなったわけですよ。DJ向けのディスクガイドがたくさん出るようになり、(ジャズの紹介者として)雑誌に出るのはジャズ評論家ではなくDJになってきた。そうなった時に、ものすごく分断されたんですよ。DJの人たちはジャズ評論を仮想的にしていたこともあって、DJの人たちが関わるジャズ記事はジャズ評論とは違う場所にいた人が書いていた。そうやって断絶してしまっていたんですね。
若い人たちはDJを通してジャズに触れる、という時期が90年代から20年近くあったんだけど、その間ジャズ評論はずっと昔と同じことをやっていた。DJカルチャーの人たちはジャズ評論とつながらないことをやっていたので、その時に失われたものがあるよね。ジャズ評論のロスジェネですよ(笑)。だから僕がやったのは、まず現在のことを扱ってないジャズ評論があって、そのあとジャズ評論とは離れたところでやってるDJカルチャーがあった。そのふたつの間にあった「失われた部分をつなぎ直す」みたいな作業だったのかも。
——2014年に最初のニューチャプターが出て、先日発売されたのが4作目にあたる「フィラデルフィア」や「ブラジル」の特集。この一連のシリーズのキーマンとなるのがロバート・グラスパーで、彼自身がこの本のコンセプトと言っても過言ではないですよね。
柳樂:そうですね。まずロバート・グラスパーという一流のジャズピアニストがいて、その彼がヒップホップやR&Bのシーンでもトップミュージシャンとして活躍している。そういうジャンルレスな活躍をしているんだけどプレイも分けてなくて、ジャズをやる時にはヒップホップが入ってくるし、ヒップホップをやる時にもジャズが入ってくる、みたいなことをやってます。そのグラスパーと同じようなことを、ジャズとロックでやっている人もいるし、クラシック、エレクトロニック・ミュージックだったり、とにかくそういう人たちが同時多発的にたくさん出てきた。彼らはいろんなジャンルで活動したり、ジャンルを飛び越えたりするのを特に意識せずに自然体でやっていたんですよ。だから、僕は彼らがやっている音楽と同じような姿勢で、彼らの音楽を紹介したかった。あと、彼らが出てくる背景みたいなものがあって、シーンを追っていたらその助走期間的なものが見えていたから、ここ20年の状況を一度整理するという本を作ろうと思ったんです。

——同時多発的に出てきたのは、何かきっかけがあったんですか?
柳樂:きっかけは、ロックとかヒップホップとかネオソウルがゼロ年代に大きく変わったからだと思うんですよ。レディオヘッドの『キッドA』が出て、あとはディアンジェロの『Voodoo』とか、同じようなタイミングでエイフェックス・ツインがいたり、ビョークがいたりと、そういうのが2000年くらいに出てきた。色んなジャンルで音楽的な革命みたいなものがあって、それに触発された世代だったと思う。当時僕が大学生とかだから……みんな多感な20歳くらいの時期に触れたんだよね。ミレニアムは色々大きなことが起きたんですよ。で、たぶん10代の頃はニルヴァーナやエリオット・スミス、マイ・ブラッディ・ヴァレンタインを聴いていて、みたいな。そういう世代だからね。そして、2000年頃にインターネットが一気に普及し始めた。インターネットを手軽に使えるようになった最初の世代とも言えるよね。
——本の形式についてはどうでしょう。ムックって本と雑誌の中間ですよね。且つ、かなりの制作時間をかけて作られている。このシリーズって、どういう編集過程を経ているのでしょう。先ほどのデザインの話と多少重なる部分もあるかもしれませんが。
柳樂:基本的にはまず僕がコンセプト、つまり何をやりたいかという大枠を決めていきます。4だとフィラデルフィアの特集をして、ブラジルの特集をやって、あとはア・トライブ・コールド・クエストをやりたいみたいな、アーティストなりジャンルなりカテゴリなりをまず決めてから、じゃあその中では具体的に何をやろうかという感じで詳細を詰めていく。特集ごとに頭の原稿を書く人とか、それに詳しい人が必ずいて、その人と密にコミュニケーションを取って、どこにフォーカスするのか、どういう論旨にするのか、誰にインタビューするのか、インタビューをやる時にも何を聞いてほしいかって相談もする。現場に入ったら僕が勝手にやるんだけど。それぞれの章で、スペシャリストたちとやっていく感じです。ブラジル音楽特集ではディスクユニオンの江利川(侑介)くんと同じようなやり取りをしました。
——ニューチャプターはインタビューが多くを占めていますよね。この作りというのは。
柳樂:そもそもジャズ批評は断絶していたので若い世代のアーティストのインタビュー記事自体があまりなかったんですよ。あとは広告出稿の金が出ないようなリリースが大事だと思っているので、普通の雑誌には出ないようなインタビューを多くとっていて、そういう記事が後々大切になってくる。だから、今はこの人に聞いておきたいけど、出稿がないから他の媒体には出られないというのを拾っていく感じかもね。世界的に若い世代のジャズの記事自体があまり無かったし、既にあっても僕らが知りたいことが書いてある記事がなかったので、一次情報が欲しかったという思いもすごく強い。一次情報を自分たちで取るという。だから、今あるものや出たものを並べます、整理しますというのももちろんあるんだけど、世界で初めての情報を取りたいって部分も大事にしてる。
なので、無理にレコード会社が推したいものは扱わなくて、自分たちが良いと思ったものを扱うというのはあります。ただ、この本ってめっちゃメジャーなアーティストも特集してるじゃないですか。グラスパー、ホセ・ジェイムズ、グレゴリー・ポーター、エスペランサ・スポルディングとかさ(笑)。彼らは今一番売れてる人でしょ? カマシ・ワシントンも。だから、基本的に扱っているのはメジャーのものが多いんだけど、それを既存の文脈に乗っかるわけでも、メジャーレーベルが求めるものをそのままやるわけでもなくて、こっちから取り上げ方を提案して記事を作るって感覚だね。例えばブルーノート特集だったら、ブルーノートのレーベル自体をブランディングした方が面白いんじゃないかと提案する。なので、ブルーノート特集では個別のアーティスト取材はほとんどやっていないし、いくつか取材のオファーがきたけど断ったのもあった。
あと、僕たちは切れたものをつなげる作業をやっているわけです。切れたものをつなげてそのまま終わりではなくて、もう少しサステナブルではないですけど、その先に続いていくようにしたいというのもあるから、そのための方法を考えています。ブルーノートだったら、2000年以降、どこよりも刺激的なことをやっているので、一度レーベル自体を整理したいというか、レーベルとしてのブルーノートの魅力をプロモーションしたいというのがあって、オーナーとA&Rにインタビューして、アーティストを発掘して、確実に売り出したレーベルとしての凄さを書きました。ブルーノートってジャズにとって重要なレーベルなので、このレーベル自体の面白さが共有されるようになることは、個別のアーティストを推す以上の意味があると思ったし、レコード会社的にもプラスかなって。でも、出稿とは別になっちゃうから広告費は出ないし、こっちのビジネス的には厳しいんだけど、内容的には面白いものができるよね。


◎ジャズという切り口の新しい洋楽
——もうひとつの特徴としては、日本のバンドやアーティストが出てこないことです。
柳樂:まず編集の小熊と考えたのが、ジャズという切り口で新しい洋楽を紹介する本にしようということだったんです。ジャズという切り口だったら、グラスパーもフライング・ロータスもケンドリック・ラマーもディアンジェロも全部並べられるじゃん、と。そのコンセプトはすごく大切にしていて、ある意味で、ニューチャープターはジャズ誌というより洋楽誌にしたいっていうのは根幹にある。もともと『クロスビート』(シンコー・ミュージック発刊の音楽誌。現在は休刊)という洋楽雑誌のスピンアウトみたいな本でもあるから、そういう意味では今、日本国内だけですごく売れてる、明らかにビジネスになる若いジャズバンドがいても扱わないです。ただ、海外の市場にも出てて、魅力的な日本人なら売れてなくても紹介します。

——黒田卓也さんとか。
柳樂:そう、この本って挾間美帆とか出てるけど、基本的に彼らを日本人としては紹介してないんだよね。世界的に見て今、取り上げるべき人として取り上げてる。
——彼らは日本のシーンではなく海外で育って、日本に紹介されるという逆輸入的な感じなんですよね。
柳樂:そうそう、海外の凄い人を日本に紹介する感じでやっているから。そこはすごく大事にしているね。洋楽誌というか、海外の情報を紹介するメディアだということは。

予定調和からどう抜け出すかでしか面白い記事は作り出せない
——もう少し編集的なところに切り込むと、柳樂さんって、ものすごくSNSを使われますよね。メモ代わりといった感じで、長文で投稿されることも多々ある。且つ、ラジオやイベントなどにも積極的に出られていますし、紙メディアでもWebメディアでも執筆されています。
柳樂:うんうん。
——客観的に見た時に、柳樂さんって紙だけの人ではないですよね。つまり、媒体とかハコにこだわらない活動をされているということは、多くの読者や柳樂光隆フォロワーが感じていることだと思います。それで、ニューチャプターを始める時に、色々な手段はあったと思うんですね。それこそWebメディアとしてやるとか。むしろ今の柳樂さんのスタイルにはそっちの方が合っているように見えます。そういったなかでムックという手段を取られたわけですけど、Webの方が情報のアップデートへの対応が早いし、インタビューにしてもより多くの情報量を入れることができる。第三者的にはそっちの網羅性があると思ってしまうんですけど、紙媒体にした理由を聞いてみたいです。
柳樂: Webの方が良いんじゃないかってことはすごく言われた。だって、新しいものを紹介しているし、BandcampとかYouTubeとかサンクラとかあるから、そのまま貼って記事を作った方が良いんだから、Webメディアを立ち上げた方が良いじゃんというのはすごく言われた。あるいは紙と平行してやっていくと、広告が取れたりするみたいなことは言われたんだけど、やっぱりWebって結局情報が流れちゃうじゃないですか。どう頑張っても紙と同じように、パッと見たら文脈が分かるようなやり方って難しい。今後変わっていくかもしれないけど。というのが一番大きいですね。あとは、情報量が多すぎるものをあまりやりたくない。
◎「何を載せないか」に宿る美意識
——そこをお聞きしたいと思っていました。紙だと例えば文字数の制限があるじゃないですか、3000字くらいしか入らないとか。Webだと紙幅という制限がないので、もっと多く情報を入れ込むことができる。網羅的にとなった時に、この文字量の差は大きいですよね。
柳樂:まず網羅に関してなんだけど、個人的に網羅って横着だなって思うんですよ。片っ端から載せて、ひたすら並べるとかって、編集することを放棄してる気がして。だからそういうものに興味がないっていうのが一つあるね。レビューの掲載数を売りにするような分厚いディスクガイドみたいなものに全く関心がない。そもそも「何を載せないか」に美意識が強く表れると思うから。
載せたものの中に、重要度や優先度でコントラストを付けないとただの情報になっちゃうじゃないですか。そこに濃淡や起伏みたいなものがないと読み物として引っかかりもないしね。フラットにまとめましたみたいなのってフェアに見えるけど、それって結局、どこにもフォーカスしなくて済むから、編集してないのと同じだと思うんですよ。テーマはあるけど、視点と思想がないっていうか。載せないっていう選択をしてあるから、載せたものを読者に強く意識させられる。それは本だけじゃなくて、記事を書く時も同じだと思うんだよね。
あと、編集者の小熊はインディーロックが専門の人で、ジャズの本を作ったことがないし、当初はジャズのこともよく分かっていなかった。そういう人にとって、ジャズって怖いじゃないですか。ジャズは知っていなければならない前提がすごく多いみたいなイメージがあって。
——分かります。
柳樂:僕もそういうイメージは嫌だし、敷居を下げたかったので、読者がとっつきやすくするために枠組みを作ろうという話をして、まずはやらないことから決めたんですよ。例えば、ある種のポストモダン的なものを省くとか。今、ポストモダンの感じが出てしまうと、掲載しているミュージシャンや彼らの同年代とか、彼らより年下のリスナーや読者にはリアリティが無くなって届かなくなる気がして。だからポストモダンな感じや90年代的なオルタナティブな感覚、アンダーグラウンド感とか、そういうのを入れないでやろうと。
あとは具体的に、面白いことは起きているけど、フリージャズ的なものやトラディショナルなジャズは最初のうちは積極的には扱わないとか。そんな感じで、最初の段階で制限を設けて、敢えて文脈を絞ることで入門書としても機能するように配慮してる。記事に関してもできるだけ凝縮したものにすることを心掛けているから、インタビューは基本2ページから4ページで、ちゃんと大切な部分だけ残して削ったり、編集したりして、読みやすくするのはすごく大事にしてる。パッと開いた時にアーティストの写真があって、インタビューで言及されたアルバムのジャケットを並べるだとか視覚的な工夫もして、開いて見れば分かるみたいなことはすごく意識しているね。それを仮にWebでやるとしたら、めっちゃスクロールをしてページを移動しなければならなくて、さらにYouTubeが貼ってあってとなると、やっぱり情報を把握するまでにかかる時間が多くなってしまうのと、視覚イメージであまり残らない気がするんです。

——見開きを大事にしているということですか?
柳樂:そうだね。個人的にさっき話したような、昔読んだ雑誌の特集って見開きのデザインを視覚で覚えてるから。そこは僕自身が音楽雑誌じゃなくて、カルチャー誌やファッション誌の発想から出発してるからかも。
例えば見開きの2ページでなんとなく色々なことが分かるっていう、できるだけそういう作りにしようと思ってやってます。でもそれをやると写真が入る分、文字は削らなければいけないわけじゃないですか。視覚情報を優先するために文字を削るのは仕方ないという。
紙、そしていくつかのWebメディアにも言えるけど、“情報を切る”という行為はとても大切だし、文章もそう。優れた書き手の論考って、ある程度は言い切ってると思うんですよ。言い切るための前提としてのエビデンスはちゃんと提示していくんだけど、ただそれも大事なことをちゃんと積み重ねるだけで、エクスキューズっぽく増やすことはしないんですよね。
そういう書き手の文章って、エクスキューズがないのですごく滑らかでちょっと大胆。だから、読んでいくとカタルシスがあると思うんだけど(笑)、そのレベルまでいっていないと説明的すぎたりペダンチックだったりして、カタルシスが無くなるじゃないですか。そういう意味では要素を削る大胆さは文章にも必要で、それはたぶん、編集も一緒なのかなって気がする。

◎インタビューから自分の存在を消したい
——削ることをもう少し詳しくお聞きしたいですね。例えば要素を削ることで生まれるものとか。
柳樂:基本的にググれば割と何でも出てくる状況じゃないですか、今って。情報は腐るほどあるわけですよ。そこで何が必要かを見極めて選び取って、ストーリーを描くってことが求められているんじゃないかな。自分が得たたくさんの情報の中から、不要な部分をたくさん捨てる技術が求められてる気がする。そもそも情報が詰まりすぎていると、読んでて心地よくないし、楽しくないし。
インタビューに関して僕が考えているのは、インタビュアー=僕の存在は記事にはいらないということ。僕の発言は極力削る。インタビュー記事って、みんなインタビュイー(=インタビューを受けるアーティスト)の言葉として読むわけじゃないですか。だけど、本来はこっちが聞いたことに対して応えているわけで、その人が話していることのなかに、既にこちらの意図は入っているわけだよね。
——確かにそうですね。
柳樂:だから質問文に自分を過度に盛り込まなくても、その人の発言のなかに必ず僕が入ってしまう。読者的にはそれだけでもお腹いっぱいだと思うんですよ。だから、自分の存在をできるだけ消したくらいが読者にはちょうど良いと思っていて。別にインタビュアーが柳樂光隆だと分かってもらえなくて良いんです。けど、僕じゃないとできない記事になっているというのが大事で、その方がたぶん、アーティストも前に出てくる。
ーーぼくはむしろ自分がよく出てくることで、現場の雰囲気の再現性をもたせようとしているのですが、それこそお腹いっぱいになってしまうのかもしれません。
柳樂:これは僕の考えなんだけど、現場の雰囲気ってどう頑張っても伝わらないと思うんですよ。だから、僕はその部分って最初から諦めて捨ててるのかもしれない。いい感じで盛り上がって、その場で僕やその現場にいる誰かについての言及があったりする部分って、バッサリ行くことが多いね。楽しかった部分って中身はなかったりするので。あと、自分の言葉が減ったくらいのほうがテンポも良くなることも多いよ。
ーー木村俊介さん(プロインタビュアー)なんかが積極的に実践されていますよね。
柳樂:究極はインタビュイーの1人語りに相槌うってるくらいの感じでいいかなとさえ思ってるし、きっとその方が記事は美しく見えるかな。
特にニューチャプターの4よりも、『MILES : Reimagined 2010年代のマイルス・デイヴィス・ガイド』の方がわかりやすいんだけど、あの本はミュージシャンたちにマイルス・デイヴィスについて語ってもらうインタビューがひたすら載っているわけ。それは彼らの言葉だけど、マイルスについて語らせているのは僕なんですよ。基本的に相手の発言の発露はこちらにある。だから僕の存在はすごく強いんですよ。そういう意味では、自分をできるだけ消すようにした。あとは、できるだけ大事なことを自分の口からは言わないようにしているんですよ、インタビューの時に。僕が何も言っていないのに、僕が説明したいようなことをアーティストが別の語り口で僕よりも美しく表現してくれるとそれが見出しになるし、より読者に響くわけで、それを録りたくてやっているのと、更にその延長に自分の知らないことが出てくるとベストですよね。

◎インタビューの質問はどんどん捨てる
——基本的にインタビューって質問文を相手に見せたりすると思うんですけど、そこも情報量は極力抑える感じですか?
柳樂:インタビューの時はトピックだけ考えていくかな。質問文自体は作らずに。そのアーティストについての情報を雑な箇条書きのメモにまとめて、あとは少しだけ、こういったことが聞きたいというのを頭の中でまとめるけど、それ意外は考えない。メモについても相手が喋りたいことと、こっちが聞きたいことは別じゃないですか。で、こっちが聞いたことに対してしゃべってくれて、話が深まっていくとどんどん内容が逸れていくこともあるけど、逸れていくことを相手が喋りたいんだったら、どんどん喋ってもらった方が良いじゃないですか。それがその人の本質なんだよね。だからインタビューのメモとか質問みたいなものはどんどん捨てていく。最終的に、大きなトピックが3つあって2つ捨ててもあまり気にしない。
——僕なんかは怖くてできないんですが……(笑)。最近、質問文を必ず作るみたいな風潮もあるじゃないですか。予定調和になるから嫌なんですけど。そういう意味では、インタビューがセッションみたいになっているということですよね。昔からですか?
柳樂:最初の頃は、当たり前だけどそんなに上手くできないわけですよ。なんでだめだったかを色々考えると、結局用意してきた聞きたいことを聞こうとしても、相手はそれをしゃべりたいわけじゃないし、しゃべってくれたとしてもそれは必ずしも理想的な答えじゃない可能性が高いわけだよね。だから相手に合わせる、ないし、相手にもその場で一緒に考えてもらう。相手にも考えてもらうためには考えてもらえる状況にしないといけないから、そういう状況をちゃんと作るようにはしています。この前、ゆったりと時間がある取材で、質問をしたら「なんかあったかな」みたいな感じで黙られちゃったけど、笑顔で1分以上黙って待ってたら、いい答えをもらえた。そういうのも状況によっては全然ありだよね。考えてほしいってメッセージを出すってのも大事です。
——空白の時間はめっちゃ怖いので自分だったら何か喋ってしまうかも……。
柳樂:アーティストがあらかじめ用意している言葉ってあるじゃないですか。これを言われたらこう返そうみたいな。それって聞いちゃうと他の媒体と同じ内容になっちゃうんですよ。僕1回、インタビューキットみたいなものを取材前に渡されたことがあって。もうね、わかりやすく要点が書いてあるんですよ。本当にプレゼンに使う企画書みたいだった。で、お前はこれについて話を聞けってことだなって感じでほぼ質問に近いことが書かれてあったから、見なかったことにしようと思って、そっと閉じた。
——(笑)
柳樂:それで別の話だけを聞いたんだけど(笑)。予定調和からどう抜け出すかでしか面白い記事は作り出せないじゃないですか、特に本数が多い人だと。例えば、上原ひろみさんは新作を出すと20本とか取材を受けるわけですよ。そこでどう他の記事と差別化して、自分の記事を読者に読ませるか、となると、まずみんなが聞くことは避けるところから始めるしかないよね。
——楽だから予定調和を良しとする文化ももちろんありますけど、演者の側に立ってみると、全部の媒体で同じことを言っていたらプロモーションにならないんですよね。それだったら、プレスリリースにインタビュー載せて出してしまえば良い。予定調和になると、メディアの意味自体が問われてしまいますよね。そもそもメディア、媒体の意味ってそこじゃないですか。個々で違うコンセプトがあるはずだし、それに沿った切り口があるはず。
柳樂:あと大事なのは、40分とかインタビュー時間があるなかの最初の5〜10分で、相手と関係性を築くことだよね。それは吉田豪さんと一緒ですよ。(音源があれば)聴いてきて調べてきて、その人のことが分かっているっていうのは、最初の質問2つ3つで相手には伝わるだろうから。で、関係性を築けるし、プレスリリース読んできただけの人じゃないなって思ったら緊張感も出てくるから。そうやって打ち解けていったところで、本当に聞きたいことを聞いたり、相手がちょっと考えてからしゃべらないと答えが出ないようなことを聞いたり。相手にもその場で即興的に考えてもらう質問をすると、絶対他のメディアとは別に記事にはなるよね。最近やったビル・フリゼールの記事は彼にその場ですごく考えてもらった。その分、他にないものになったと思う。
柳樂:それから僕は、リアクションをちゃんとやってる。例えば、相手がアルバム名を出して自分も好きだったらI like it って言うし、別の人の名前が出た時にその人と会ったことがあったら I met him last year とか、そういうことは言うようにしてる。そうやってその場でコミュニケーションを取るのを大事にしているね。あと、めっちゃ笑うし、めっちゃうな頷くし、めっちゃ相手を見ます。基本的に視線は外さずに目を見て話す。それも関係性を構築する上では、当たり前のことだけど、実は一番大事なことだと思う。
ロバート・グラスパーや黒田卓也さんともそうやってきちんと対話を重ねることで信用を築いてきたと思うし、それはチャールス・ロイドやビラルでも同じだよね。やっぱり究極は個人と個人の一対一のコミュニケーションでしかないので、その場限りの対話を最大限に丁寧にするってことを心がける。それだけ。
ちなみに今までインタビューをしてきて、特に印象的なのは上原ひろみさん。上原さんはまっすぐな目で全く目線を外さないので、なにかこう、全て見透かされているように感じて、上原さんの空気に飲み込まれそうになる。それがめっちゃ怖いんだけど、でも、あっちも真剣に向き合ってくれてるからこそのそれだと思うんだよ。いつも取材する前から緊張感がハンパないけど、そういうセッションみたいなところを楽しんでいる自分もいて。僕にとってインタビューは、世界のトップミュージシャンたちと30分間一対一のセッションをさせてもらえるスリリングなゲームの時間みたいな気持ちもあるよね。

◉Column:2017年の自分のインタビューの振り返り&反省会
※柳樂光隆が受けたインタビュー記事
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