Column:サマラ・ジョイの来日公演を観たこと(3,400字)
サマラ・ジョイの来日公演が最高だった。
僕はこれまでに何度も取材もしているし、何度も記事を書いている。ショーケース的なライブを一度観たこともある。でも、今回の来日公演はそれまで彼女にたいして抱いていたイメージを完全に超えてしまった。すさまじい日本デビューだった。
彼女の歌唱力がすごいことは誰もが知っている。そんなの今更言及するようなことじゃない。でも、今回僕が驚いたのは歌唱力だった。想像のはるか上を行く歌唱力だった、ということだ。
例えば、新作『ポートレイト』収録の「Reincarnation Of A Lovebird」は録音物でもすごかった。チャールス・ミンガスが書いたインスト用の楽曲に歌詞を付けたものだが、冒頭は無伴奏で歌うのだが、これを生で観ると度肝を抜かれる。しかも、ライブのオープニングにこれを持ってきて、いきなりこれから始まると観客は完全にサマラの世界に飲まれてしまった。会場が一気に引き込まれていったのが手に取るようにわかった。
そこからは超絶的な歌唱で圧倒する。音程は正確だし、リズム感も良く、音域は広い。何を歌っていてもとんでもないクオリティで、スキャットをすれば、エラ・フィッツジェラルドやサラ・ヴォーン、ベティ・カーターを想起させるが、彼女たちよりも音域は広いし、技術的にも難しいことをさらとやってのける。ジャズヴォーカルの技術が明らかに進化していることを目の当たりにすることができた。
サマラのライブでのすごさは音域の広さとも関係があるのだが、声を出し、声を響かせる技術が圧倒的に高いことにあった。まるでオペラの歌手のように、とは言ってもオペラ的な発声やニュアンスにはならないままで、声をめいいっぱい響かせることができる。ライブではマイクを通して歌うわけだが、生の声が響いているのは伝わってきた。その発声法ひとつとっても表現のスケールが大きく、ブルーノート東京では狭く感じたほど。その翌々日の墨田トリフォニーホールも観に行ったのだが、ホールのような場所ではさらに映えていたように聴こえた。箱が大きくなったこと、ジャズクラブではなく、(クラシック音楽向けに作られた)コンサート・ホールを有利に感じさせるジャズミュージシャンなんてこれまでに見たことがない。
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