* interview Bobby Sparks Ⅱ - RHファクターのオリジナル・メンバーが語るダラスとスナーキー・パピー(6,000字)
僕はスナーキー・パピーは同世代の若者が集まったお友達バンドではないところが面白いと思っている。マイケル・リーグを始めとしたノーステキサス大学の仲間たちが中心ではあるのだが、何人かそれとは異なるメンバーが在籍している。
そのひとりが鍵盤奏者のボビー・スパークスだ。スナーキー・パピーの鍵盤奏者といえば、コリー・ヘンリーやショーン・マーティンの印象もあるかもしれないが、ボビー・スパークスはその二人以上のキャリアと実力といっても過言ではない。彼こそがダラスの音楽シーンのレジェンドなのだから。例えば、マイケル・リーグとショーン・マーティンはボビーのことをこう語っている。
マイケル・リーグ「スナーキー・パピーが一番最初にコラボレーションしたダラスのミュージシャンがボビー・スパークスだった。彼はとにかくファンキーなんだ。僕らは”世界一ファンキーな人間”って呼んでる(笑)。ボビーは何を弾いてもフィール・グッドなんだよね。彼は音楽に憑りつかれている人間で、音楽をとんでもなく聴いていて、音楽の歴史にかなり深く精通している。僕はその部分でもボビーをリスペクトしている」
ショーン・マーティン「ボビー・スパークスの存在はダラスに不可欠だね。それはダラスの音楽シーンだけじゃなくて、僕の人生に於いても、だね。僕はボビーがやっていたことを見ながら、それを真似るように学んでいった。楽器で言えばモーグを弾くようになったこと、つまりアナログシンセの弾き方に関しては彼の影響が大きいんだ。ボビーは楽器の真のエッセンスをシーンの若いミュージシャンにも伝えてくれていたんだ。僕のその若いミュージシャンの一人だった。彼の存在はすごく大きかったと思うね」
何といってもボビー・スパークスはロイ・ハーグローヴのプロジェクトとして知られるRHファクターのオリジナル・メンバーであり、RHファクター誕生のきっかけを作った人物だ。しかも、カーク・フランクリンのバンド・メンバーを務めたこともあり、スナーキー・パピーのメンバーでもある。そんなボビーがひと声かければ、ソロ・アルバムにこんな敏腕ミュージシャンが集結してしまう。
ちなみに現在のスナーキー・パピーのライブでの最大の見せ場はどう考えてもボビー・スパークスによるクラヴィネットでのソロだ。ボビーは年長だが、スナーキー・パピーの最強のソロイストであり、今や不可欠のメンバーなのだ。
ここではスナーキー・パピー『Empire Central』をきっかけにダラスを掘るシリーズの第3弾として、ボビー・スパークスのインタビューをお送りする。ここにはダラスのシーンを読み解くためのヒントが散りばめられている。
取材・編集:柳樂光隆 | 協力:COREPORT
◉スナーキー・パピーとの関係
――マイケル・リーグとダラスのシーンで出会ったときの話を聞かせてください。
私はダラスのブルックリン・ジャズ・カフェでKeith Anderson(Sax)とJason "JT" Thomas (Drums)とよく演奏していましたそこにBernard Wrightが入ることもありましたね。マイケルはその演奏をよく見にきてくれたので、そこで知り合いました。マイケルとの最初の演奏は、Steve PruitとKeith Andersonと一緒にストレート・アヘッドジャズのギグをやった時です。2005-6年ごろだったと思います。スナーキー・パピーが結成されたのはその数年前でしたね。
マイケルと私たちはいつもフュージョン(※ここでのフュージョンはジャンルとしてのフュージョンではなく、ジャンルが入り混じったインストロメンタル音楽ってニュアンス)を演奏していました。、メンバーはマイケル、Justin Stanton(key & tp)、 Bob Lanzetti(g)、Chris Mcqueen(g)、Steve Pruitt(ds)、Mike "Maz" Maher(tp)、そして私でした。テキサスとその周辺の大学のバーやクラブでよくやってましたね。
――スナーキー・パピーに加入したのはどんな経緯ですか?
2007年頃にマイケルから誘われたんです。でも、その頃、私はマーカス・ミラーやタワー・オブ・パワーのツアーに参加していたので、スナーキー・パピーに関してはタイミングが合った時に、時間の許す限り一緒に演奏していました。彼らの音楽は全てのフュージョンなので、とても気に入っていました。すべての曲で(リズムが複雑なので)カウントをしなければならず、それは私にとってはチャレンジングだったんですけど、それもとても楽しかった。バーナード・ライトと私がスナーキー・パピーに在籍していた時期ですね。
でも、2009年から2010年にかけて、私はあまりにも多くの仕事を抱えていたので、残念ながらマイケルとスナーキー・パピーにコミットすることができなくなりました。だから、彼らはショーン・マーティンにメンバーになるよう声をかけたんだと思います。そして、2015-16年頃、マイケルが「戻ってきてくれない?」って声をかけてくれたので、再び参加することになりました。
――スナーキー・パピーの最初期の2008年の『Bring Us The Bright』からあなたの名前はありますよね。このアルバムではRobert "Sput" Searightがプロデュースをしていました。あなたはRobert "Sput" Searightと関係が深いですよね。
Sputは私の兄弟のようなものです。子供の頃から知っているので、本当に仲がいい。私はSputより1歳だけ年上です。私たちは13歳か14歳の時から教会で一緒に演奏しているんです。そして、ゴスペル・アーティストのCarnell Murrelとの演奏も一緒にしていたこともありました。
◉ロイ・ハーグローヴとRHファクター
――スナーキー・パピーのメンバーの中ではJason "JT" Thomasとは特に長い関係なのではないかと思います。
ここから先は
このnoteの執筆や編集の費用や通訳への支払いなどは皆さんの記事購入で賄っています。制作費用のサポートをお願いします。
