* interview Ambrose Akinmusire:自分自身のブルース、2020年代のブルース(14,000字)
2010年代後半に入ってから、アンブローズ・アキンムシーレの影響力を徐々に感じるようになっていた。数多くのインタビューを行う中で実際に名前を出されることも少なくなかったし、若手の作品を聴いたときにそのサウンドから感じることも何度もあった。日本のジャズミュージシャンと話していても彼の名前が出ることがあった。いつしか確信に変わった。
そもそもアンブローズがリリースする作品がいちいちすごかった。2011年の『When the Heart Emerges Glistening』以降、どの作品も他の誰の作品にも似ていなかったし、その後、作品を重ねても、それは変わらなかった。現代のジャズを構成する技術や理論など、様々な要素が随所に含まれてはいて、中にはラッパーが参加したものだってあるし、ベッカ・スティーブンスが参加した歌ものだってある。でも、アンブローズはそれらを比類のないものとしてアウトプットしていた。
だからこそ、世界中のあらゆるメディアがアンブローズのアルバムを年間ベストのリストに入れていた。僕も同感だったし、異存は少なかっただろうと想像する。ジャズのシーンの外からジャズを見ると、話題になるプレイヤーはその都度変わるし、トレンドのようなものもある。でも、自分にとってアンブローズの動向は「追わなければならないもの」になっていた。
だからこそ12年もの間、来日公演がなかったことはとても残念だったのだが、2024年、遂に来日することになった。直前ではあるが、彼に話を聞くことができた。
取材・執筆・編集:柳樂光隆 | 通訳:丸山京子 | 協力:ブルーノート東京

◎影響源とインスピレーション
◉オークランドでの経験
―― オークランドのベイエリアという場所で育ったことは、あなたの音楽に影響を与えていると思いますか?
最初に僕を導いてくれた音楽面でのメンターは、ここ(オークランド)の人たちだったからね。彼らの多くは元ブラックパンサー党員で積極的に政治活動に関わった経験がある。彼らは偉大なミュージシャンである以上に、歴史を研究する人たちだった。だから僕も歴史を通して音楽の世界へと入り、単に音符として捉えるのではなく、“なぜそうなったのか”を学ぶことができたんだ。1958年の世界で何が起きていたか、ジャズが生まれていた1920年代、30年代はどうだったのか…。そういう意味で、ジャズの世界に入ってくる平均的な人たちよりは、その辺りに対する理解が少しだけ深かったかもしれない。
一番のメンターはロバート・ポーターというトランペット奏者だ。エド・ケリー、カリル・サヒード…とてもローカルな人たちだから、知っている人はそういないだろうけどね。
――あなたの音楽にはゴスペルの要素を感じますが、教会のバックグラウンドはお持ちですか?
うん、5歳でピアノを弾き始め、7〜8年は聖歌隊と演奏をしていたよ。
◉ロイ・ハーグローヴへの憧れ
――ジャズを始めたきっかけは?
ロイ・ハーグローヴ。(壁の写真を指して)あそこにいるのも彼。
――へーー、ロイですか。
Yeah! だって彼は見た目も音もchurchで、ヒップホップだった。オークランドのインナーシティで育った自分にはそこが共感できたんだ。ジャズは決して古くなくて、今の時代にも意味があり、新しくて、新鮮なのだと、初めて教えてくれたのがロイだった。「これを仕事にしたい」と初めて思わせてくれた人だったんだ。
――ロイもその一人かもしれませんが、これまでにコピーしたり、採譜したり、特に研究したトランペット奏者はいましたか?
ロイだけだったかな(笑)。もっと古いクリフォード・ブラウンとか、ファッツ・ナヴァロ、ブッカー・リトルの存在も大きかった。ケニー・ドーハム、テレンス・ブランチャード…
◉トランぺッターについて:ブッカー・リトル
――ブッカー・リトルはそんなによく名前が出る人ではないですよね。どこが素晴らしいんですか?
すべてさ!ものすごいテクニックの持ち主で、1音足りとも外すことはないくせに、今にも落ちそうなギリギリのところにいる感じがするんだ。アクロバットみたいなメロディラインといい、ハーモニーストラクチャー内の音だけじゃなく、“外”にある音も吹いてしまうところといい、大好きだった。彼の書く曲は、モダンなthrough composed のクラシック曲のようだった。しかも若かった。たった23歳で亡くなったんだ。クリフォード・ブラウンも25歳で死んだ。だから、僕はいつも演奏したり練習する時、想像するんだ。「彼らが40歳、50歳、60歳、70歳まで生きていたらどんな音を出してただろう?」って。その音を自分で出そうとしてるんだよ。
――ブッカー・リトルはアルバムはそれほど残していませんが、あなたに影響を与えたアルバムや曲はありますか?
(『Booker Little And Friend』収録の)「Victory and Sorrow」!
――あなたはルイ・アームストロング、クリフォード・ブラウン、マイルス・デイヴィス、フレディ・ハバードなど、あらゆる時代のトランペットのスタイルを消化したうえで演奏していて、特定のスタイルが強く出ているとは言えない演奏をする人だと思います。そんなあなたの演奏への考え方に影響を与えたジャズ・ミュージシャンはいますか?
ああ、ウェイン・ショーター、ハービー・ハンコック、スティーヴ・コールマン。この3人かな。
――スティーヴ・コールマンとは録音に参加したり、付き合いがあったと思いますが、どういうところに影響を受けたのですか?
仕事はしたけど、それほど長い期間ではないよ。19歳の時に長いツアーを一度回ったんだ。あれは僕にとって人生の非常に重要な時期だった。夏いっぱい彼とのツアーで過ごし、学校に戻ったと思ったら9.11(アメリカ同時多発テロ)が起きた。アメリカ人のほとんどがそうだったように、僕はただただショックで…。他にどうすることもできず、彼を聴いて学んだことを、ずっと練習して過ごしたんだ。そんな人生の中でも重要な時期と重なっていたんだ。それだけじゃなく、彼が技術のために身を粉にするのを僕はツアーを通じて、この目で見た。彼は本物だったよ。「この地球に存在する理由は、自分がなれる限り最高の自分になるためだ」という人だった。そんな人の隣で演奏できたんだ。すでに素晴らしいのに、毎朝早く起きて、ギグの前に練習をするような人だ。そんな彼の技術に対する献身ぶりには、大きな影響を受けたよ。
――ロイ・ハーグローヴもスティーヴ・コールマンとは接点がありましたよね?
ああ。ロイはスティーヴが大好きだった。『The Tao of Mad Phat』の1曲でプレイしていたはずだ。
――ビバップ以前、戦前のトランペット奏者もしくはコルネット奏者も研究しましたか?
ヘンリー・レッド・アレン、ドク・チータム…大勢いたよね。でも、僕のジャズにおける学びは、真剣にトランペットをやってる奏者に比べて、特別ってわけじゃないと思うよ。
それにジャズに限らず、他にもいろんな音楽に興味があった。ブルガリアの音楽は長いことハマってた時期があったし、北欧の音楽、マリの音楽、インドの音楽…ビョークは一番影響を受けた一人だよ。ジョニ・ミッチェルも。そういった音楽すべてが、僕の出すサウンドや音の聴き方を作り上げてきたんだと思う。ある意味じゃ、トランペット奏者以上に、そして間違いなくジャズ以上にね。
◉影響源:ビョーク
――ビョークの音楽はどんなところが好きですか?
すべての曲がそれぞれの宇宙で、彼女はその宇宙の中に住む生き物になるというか。まるでその宇宙で言葉を話せるのは彼女だけで、僕らはそこに招き入れられ、彼女に言葉を教えられるというか。その感覚が大好きなんだよ。すべてのアルバムがそれぞれの惑星で、ふわふわと宇宙の中を漂っている。マイルス・デイヴィスも、ジョニ・ミッチェルも、そんなところがあったね。
――さきほどブッカー・リトルの名が先ほど出ましたが、他に知名度は高くないけど、優れたトランペット奏者で、実はあなたがかなり研究した人がいたら教えてください。
マーカス・ベルグレイヴ、チャールズ・トリヴァー、トム・ハレル、ライアン・カイザー…。僕は本当にいろんな音楽も聴くし、そのどれからもインスピレーションをもらう。必ず何かいい点が1つはある。たった1音あればそれで十分。何ヶ月も「どうやってあの1音を出したんだ?」と夢中になれるんだ。ウォレス・ルーニーの存在も大きかったね…。
◉トランぺッターについて:マーカス・ベルグレイヴ
――マーカス・ベルグレイヴはどんなところが素晴らしかったんでしょうか?
彼とは個人的に知り合いだった。マーカスとクリフォード・ブラウンはどちらもロバート・”ボイジー”・ローリーに師事して学んだんだ。本当に多才で、レイ・チャールズともプレイするけど、ビバップも吹ける。
僕は何度か彼の家に泊まったことがあった。僕が寝た後も、彼は飲んだりパーティをしてたのに、翌朝起きるともう練習してるんだ。その頃、結構歳をとっていたのに朝から起きて、下着のまま、シャツを羽織って、技を磨くことに専念していた。そんなふうに、自分の技を磨くことに身を捧げるミュージシャンたちが周りにいて、その後ろ姿を見てこられた僕はラッキーだったと思う。今もインスパイアされ続けているよ。
◉トランぺッターについて:チャールス・トリヴァー
――チャールズ・トリヴァーはどんなところが好きでしたか?
彼の作曲、トランペットのプレイはもちろんだが、70年代にコミュニティのために彼が行ったこと、たとえば自分のレーベル(Strata East)を立ち上げ、ミュージシャン同士が演奏し、サポートし合える環境を作ったこと。僕にはやれていないことだが、それを70年代にやったのは、とても素晴らしいことだと思う。チャールズ、スタンリー・カウエル…など、奏者や作曲家としてだけでなく、コミュニティに根差した感覚は素晴らしいよね。。
――あなたは本当にオタクというか…(笑)。すごくマイナーなトランペット奏者のアルバムの話をしていますよね。ギリギリCD世代のはずのあなたが、どうやってそういう音楽を知ったんでしょう?
ディグったんだよ。高校時代も学校が終わると毎日レコードショップまで歩いていって、レコードを漁り、クレジットを読み、トランペット奏者が入ってれば、とりあえず買う。トランペット奏者を聴いていても、気になるピアノが聴こえたら、そっちにも行ってみる。そんなふうにディグってディグってディグりまくった。
今は同じことをSpotifyやYouTubeでやってる。お勧めがあったら送ってと知り合いにも言うし、Smallsやジャズクラブのストリーミング配信を見るし、そうやって常に新しいサウンドを自分から探しに行くんだ。
――トランペット奏者以外のプレイヤーも好きだと言ってましたが、特にフレーズとかをトランスクライブした人はいますか?
もし他の楽器のプレイヤーということであれば、バド・パウエルの影響が大きいよ。
――意外ですね。
人はバド・パウエルというとビバップを連想するけど、彼がやってたことはチャーリー・パーカーとは全然違う。自分のスタイルを貫いてたよ。モンクに似てるんだ。モンクもビバップをやってたけど、ビバップじゃなかった。彼だけのスタイルだった。「Un Poco Loco」「Tempus Fugue-it」…彼のサウンドの全てが好きだ。あとは「Glass Enclosure」も本当に美しい。
他にはコルトレーンの影響も大きい。リー・コニッツもそうだね。ドラマーならエルヴィン・ジョーンズ。あとはハービー・ハンコック。
――コンセプチュアルなアルバム、メッセージのある曲…とあなたは作品の世界観を非常に重視していると思います。その部分でインスピレーションを得た作曲家は誰でしょうか?
ジョニ・ミッチェル、そしてマイルス・デイヴィス…どちらも素晴らしいアルバムを作る人たちだ。素晴らしい曲を書く素晴らしい作曲家は大勢いるが、それを一つにした時、何を語りかけてくるかということ。
写真家も同じだ。1枚のいい写真なら撮れるだろうけど、手に取りたいと思う1冊の写真集を作るのは難しいんだ。
だからビョークのような世界観を作り上げられるアーティストに僕は興味がある。ジョニ・ミッチェル、ビョーク、マイルス。
ジョン・コルトレーンもそれが得意だったね。『Crescent』『Love Supreme』…『Giant Steps』は皆が知ってるアルバムだけど、その楽曲と言ったらどれもすごいんだ。違った視点から同じ一つの物語を語っている。素晴らしいアルバムを作る人、だね。
◉影響源:ジョニ・ミッチェル
――何度も名前が出ているジョニ・ミッチェルだったらどのアルバムや曲に特にインスパイアされました?
「Jericho」だよ。大好きなラヴソングなんだ。彼女は「愛している」とは言わない。「私は何があっても頑張ってみる。失敗するかも知れないけれど失敗しても頑張る」と歌っていて、僕にはとても誠実だと思える。寂しくてスローな曲ではなく、ミッドテンポ〜アップビートな曲だという点もね。
あとは「Both Sides Now」。彼女のキャリア初期の作品だけれども、キャリアのずっと後になっても歌っている。歌詞の一言一言が聴こえ、全ての音節が違う意味を持って聴こえるようなんだ。それって本当に美しいと思う。もしマイルス・デイヴィスが歳を取ってから時代を遡ってビバップを演奏していたら、どうだったろうか?というのと同じ。きっと視点も違ってくるだろうから。
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