あの日のクリームソーダは、子ども心にかすかな違和感の匂いがした
私が小学生だったころ、ある夏休みの平日に、母が思い立ったように言った。
「今からプールに行こう!」
長い休みのあいだ、私と幼稚園児の弟は手持ちぶたさにしていたのだろう。大喜びで水着に着替え、その上からワンピースを重ね、親子3人でプールへ向かった。新宿に住んでいた当時、原宿に行きつけのファミリープールがあった。
原宿駅を降り、体育館の脇を歩くころには、胸がすっかりウキウキしていた。平日なのにプールに行けるなんて、特別なことのように思えた。ところが、張り切って入口に近づくと、プールは閉まっていた。
がっかりする私たちに、母が明るい声で言った。
「近くにもう一つプールがあるから、そこに行ってみよう!」
どこでもいい、泳げるなら。私たちは切符を買い直し、母のあとをついて千駄ヶ谷の体育館へ向かった。直線距離は近いといっても、一駅乗り、ホームを端から端まで歩き、階段を昇り降りしての乗り換えだ。真夏の暑さに歩きくたびれ、ようやく到着したが、ここでも入れなかった。大会の日で、個人利用ができなかったのだ。
ふたつのプールを目前にしながら、どちらでも泳げない。
「泳ぐぞ〜」と思っていた気持ちは空回りし、私たちはすっかり疲れ果てていた。
「残念だったね。もう、今日は帰ろうか」
新宿駅まで戻ってきて、喫茶店の前を通りかかった。母がふとつぶやく。
「せっかくだから、おやつでも食べてく?」
私は入りたかった。でも、母も疲れて早く帰りたそうにしているのが分かって、うなずけなかった。すると弟が泣きそうな声で言った。
「もう休みたい…」
その一言で、私たちはお店に入った。ワンピースの下に水着を着たまま、涼しい店内の椅子に腰掛けると、体が一気にゆるんだ。母はクリームソーダを3つ注文した。
外で遊んだあとにお店に寄るなんて滅多になかった。父は仕事で不在で、3人だけの小さな秘密のようで、特別な気分だった。弟はすぐに機嫌を取り戻し、ソーダ水の上のアイスを夢中で食べていた。
私も一口食べた瞬間、喉が渇ききっていたことを思い出すほど、おいしかった。なのに、心の奥に小さな違和感が残った。
本当は私も、この店で休みたいとはっきり言いたかった。
でも言えなかった。弟が泣いたから入っただけだった。
うれしさと同じくらい、後ろめたさが残った。
*
子どものころ、家族でプールに出かけた日は数え切れないほどある。それなのに、泳げなかったこの一日だけ、こんなにも鮮明に覚えている。お店に入りたいという願いが叶ったのに、それを自分の声で願っていなかったからだろう。
もしあのとき、自分から「入りたい」と言えていたら、あのクリームソーダはもっとおいしかったのだと思う。
そう考えると、この出来事は、本来なら願いが叶った思い出としてすでに完結し、記憶の彼方へ消えていたかもしれない。なのに、小さな違和感だけがフックのように残り、いまも記憶を引き止めている。不思議な子どものころの思い出だ。
*
いつの間にか私も母になり、あの日からずいぶん月日が流れた。
もちろん、今の私は知っている。
母がどんな気持ちで、真夏に子ども二人を連れ、汗だくになりながら電車を乗り降りし、プールに向かってくれたのか。プールに入れなくても、せめて何か楽しいこと——そんな思いがあったことを。
クリームソーダは、あの日も間違いなくおいしかった。
今になって振り返れば、母は私の遠慮に気付いていたのかもしれない。
子どものころ、3人で喫茶店に入ったのは、後にも先にもあの日だけだった。だから今でも、クリームソーダを見ると、あの夏の苦くて甘い記憶がよみがえる。
母の愛と、幼い自分の遠慮と、喫茶店のひんやりした椅子の感触。
戻らない時間が立ち上り、一息ついたようにすぐ消えていった。
(おしまい)
ことばとさん主催の「モノカキングダム2025」に参加しています。
今日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。私は、東京でライター・看護師をしている石川えりさです。
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