【脱完璧主義日記】ハウ•トゥ•修論
口述試験も終わり、完全に修論をおさめた。ありがたいことに博士課程に合格をいただき、4月からも東京大学大学院で研究を続けられることになった。
はじまる頃には、はるか彼方にみえていた2年間という月日が、終わろうとしている。2年くらいでは愛校心すら育っていないのに、卒業できるというだけで、「旅立ちの日に」、「巣立ちの歌」、「仰げば尊し」を歌って、パートナーとハモったりする。そういえば、学部時代にいた津田塾のカレッジソングは大声で歌えるのに、東大の校歌は知らない。卒業式までには聞いておくことにしよう。
会社の経営をしながら、修士を2年で終わらせるというのは、想像以上にストレスフルだった。修論が終わった後から、鏡に映る自分がツキモノが取れたかのようにキラキラしていて、「顔つきが変わるほどストレスだったのか…」と自分でも驚いている。
それでも、修論を書くのは楽しかった。すごく楽しい執筆期間だった。またどこかで詳しく書くが、私は、中学生くらいから文章を「読む」「書く」ということに全く自信を失っていた。修論を書く過程で、少しずつその傷が癒え、文章に向き合うことが、また楽しくなったのだ。
修論を「楽しかった」といえる。些細なことかもしれないが、私にとっては大きな大きな成長だった。これは、立派で完璧な修論を書くためのハウ•トゥではない。ただ、研究が楽しいままで修論を終わらせる、というささやかな目標を達成した私の記録だ。
ハウ•トゥ•修論
修士2年(Master Courseの2年生、通称M2)の10月、つまり修論提出の3ヶ月前。私は、「もう修論は書けない!」と泣き喚き、休学を考えるほど思い詰めていた。心の支えになるかな?と思って修論を書き上げた人の「ハウ•トゥ•修論」をたくさん読んだ。大抵は、定期的に研究室に行き、寝食を忘れるほど研究し、死ぬ物狂いで書き上げるような武勇伝ばかりだ。徹夜ができる自分に驚き、クリスマスと元旦を返上している孤独な自分を憐れみ、それらを美しい物語の一部としてはめこんでいく。最終的には「大学院には覚悟を持って進学するべき」と結ばれるのが定番のオチだ。
そんな「ハウ•トゥ•修論」を読むたび、「あーあ、生存者がなんかいってるよ。どうせ私は覚悟もなく進学したバカですよー。」とひねくれて、そんな自分にも嫌気がさして、諦めてタブを閉じるのだった。当時、私には命を削って修論をやる気持ちの余裕が全くなかったのだ。経営者としては弁護士を巻き込むような誹謗中傷に思い悩み、大学院生としては完全に研究を続ける自信を失う出来事があり、プライベートでは初めて血の繋がった家族を亡くして立ち直れていなかった。
ネットに落ちている「ハウ•トゥ•修論」に書かれているような、ハードな毎日に耐えられる状況ではなかったのだ。「働いて、働いて、働いて参」る国の大学院生としては失格だろうか。
カウンセリング
M2の5月、闘病の末に変わり果てた祖父と会った頃から、少しずつ、普段なら耐えられるストレスに耐えられなくなっていた。私の場合は、頭を手でコンコンと叩きつづけたり、ちょっとしたことでパニックになったりするのが一つの合図だった。このままだと、祖父が亡くなる悲しみと修論のストレスが重なって耐えられなくなる気がした。
そこで、7月のはじめには大学の保健センターの心療内科を受診し、カウンセリングを受けるようにした。以前にも心療内科やカウンセリングには通った経験があったのだが、今回は以前お世話になった病院ではなく、大学内の機関に頼った。個人的にはこれはいい選択だったなと思っている。大学院生の話をたくさん聞いている先生が対応してくれるので、研究室やゼミの雰囲気とか、制度や進路のことなど、大学の事情をいちいち説明する必要もない。大学院を卒業している先生や、今も研究に携わってる先生もいて、相談しやすかった。それに、受診料が無料なので、経済的な不安を抱えずに通い続けられるというのもポイントが高い。
なにより、カウンセリングに通ったことで、大学の中で「居場所」ができた。外部から進学し、研究分野も大きく変わったこともあり(自分の研究科は留学生も外部生も多い方だけど)、大学に「居場所」を見つけるというのはなかなか難しかったのだ。まず、アットホームな私立女子大から巨大な国立大に環境が変わり、ギャップに慣れるまでになかなか時間がかかった。それに、学部で統計学系だったところから人文学系に研究室を変えたので、分野の古典を学部時代に読んだことのない私は、授業についていけなかった。背景の理論もちんぷんかんぷん、ゼミも話しについていくのに必死で、議論に参加して貢献するなんて全くできなかった。むくむくと、「出来の悪い学生」としての自覚が積み上がり、なんだか「ここ」にいてはいけないような気がしていた。だからこそ、大学の中に「カウンセリング」という安心できる居場所を持てたことは、「ここ」にいて大丈夫と思える心の支えになった。
休学
予防的にカウンセリングと心療内科に通っていたことが功を奏し、M2の10月に「もう修論なんて書けない、休学する!!」となった翌日、すぐに診察を受けることができた。その当時はもうドン底だったので、何でそんな自暴自棄になったかなんて考える余裕もなかった。が、今思い返すと、8月から9月の夏休みに修論を書いてみたものの、全く手応えのないまま夏休みが明けてしまい、さらに夏休み明けのゼミで「このリサーチクエスチョン(RQ)でいいの…?」と根本を揺さぶられる図星な指摘を受けて、大パニックを起こしたのだった。「今の時点でRQがダメならもう、どうしたらいいんですか?博士の研究計画も12月には出さなきゃいけないのに、修士のRQすらダメならもう進学なんて無理です!しかも進学するには、評価する先生がみんな修論にA評価をつけてくれないといけないって…すでに心はボロボロなのにもう頑張れません、そんな凄い修論書く心の余裕ないです。休学の仕方教えてください。」みたいなことを泣きながら心療内科の先生に相談した覚えがある。
そんな私の大パニックを一通り聞いた先生は「いったん、大きい意思決定は後回しにしてみましょう」というのだ。「意思決定を後回し…?起業家の世界では意思決定なんて早ければ早い方がいいんじゃなかったっけ…?」これまで聞いてきたセオリーと違いすぎて、よくわからなかったが、医者のいうことは素直に聞く人間なので、休学のことは考えずに後回しにすることにした。
スゴイ修論
カウンセリングでも今の気持ちや状況を整理した。その時の私の気持ちはこうだ。博士課程にあがるには「先生たちが絶賛するスゴイ修論を書かなきゃいけない」と思っていて、自分は出来の悪い学生だから「スゴイ修論」のためには早めにやらなきゃと思って用意してきたのに、計画が崩れてしまった。「スゴイ修論」は3ヶ月では到底書けないので、もう消えたいと感じている。
…スゴイ修論ってなんだ?
わたしは何のために修士に入ったんだろう?「スゴイ!」「優秀!」と評価される論文を書くためだったっけ?わたしは何が書きたかったんだっけ?
大学院という場所は良くも悪くも評価される機会が多い。なんなら、アカデミア自体評価されてナンボの世界だ。その波にどっぷり浸かると、自分が何をしたいのか、あっさりと忘れてしまう。他でもない自分のために、書きたいことがあって進学したのに、いつの間にか自分ではない「誰か」に評価されるためにやるべきことばかり考えていた。
頭の中にいる、やけに厳しい審査員。妄想の中の「誰か」に怯えて、筆が止まる。失敗したら「努力が足りない」と言われる気がして、努力したことに見える形を積み上げたくなる。徹夜するとか、身を削るとか、何か我慢するとか。そうやって自分を追い込めば、せめて言い訳が立つから。でも、もうそんな体力も気力も残ってない。
私はどうしたいのか。答えはシンプルだった。自分が書きたいと思っていたことを、ただ楽しんで書き切ること。その結果として修論を提出できたら、それは十分嬉しいことだ。それにもし、博士に進学して研究を続けるなら、ここで研究を嫌いになっては身も蓋もない。修論を楽しめたら、研究を楽しみ続ける自分なりのバランスも見つけられる気がした。
「苦しい」で勝たない
「修論を楽しんで書ききりたい」
そう思ったはいいものの、私の性格的にはなかなか高い壁だった。大きな目標が立つと、願掛けみたいに謎の我慢ルールを発動してしまう癖がある。欲しいものは買わずにご褒美に取っておく。遊びや旅行は禁止。髪も切ってはいけない。ひどいときは、夜ご飯を抜くとか、ヨーグルトと卵だけしか食べちゃいけないとか、食べることすら我慢した。とにかく、研究以外に時間を使ってはいけない。そうやって欲を消して、身を削って、その壁を越えることに全集中する。それが努力だと信じていた。
そう、「楽しい」を削ることを美徳としてきたのだ。私の中で楽しいことと、目標達成できることは両立しない。このまま、修論を書きおえてしまったら、また「楽しい」を削ることによる成功体験ができてしまう。苦しんで何かを達成する物語がループする人生なんて、嫌すぎる!!何としてでも、「楽しい」と目標達成は両立するという経験をしたい。自分の中のルールを更新したかった。
そこで、自分の癖と向き合いながら、いろいろな生活リズムを実験してみた。その結果、5つのことを意識すると気持ちが緩むことがわかった。
土日は休む
だいたい20:00には帰る
5時間くらいが集中力の限界
書く日と仕事の日はわけるといい
楽しみたいイベントはちゃんと楽しむ
平日は朝ひとつは家事をし、20:00-21:00には切上げ、なるべく料理をして夜ご飯はパートナーと食べるようにした。我が家では家事の役割分担は特に決まっておらず、さらにパートナーは、ほとんどの家事ができるので、油断すると私が家事をしなくても生きていけてしまう。ただ、私の中で家事をする時間、特に料理してる時間は、「生きている」と実感できるひとときでもある。あの実感があると、生活が地に足をつく。そもそも「生きている」という感覚は、「楽しい」を感じるための土台なのだ。
平日のリズムができても、休日に「休む」というのはなかなか難しい。ただ家から出ずにいるとグルグルと嫌な感情が湧き出てきて、むしろ疲れてしまう。かといって外に出るほどの別段の趣味もない気がしていた。ところが、よくよく自分のGoogleMapを見れば、行きたい場所がたくさんピン留めされていたし、Instagramのブックマークにもたくさんのお店が保存されていた。そんな自分の「行きたい」という気持ちの赴くままに、行ったことない街で雑貨屋やカフェを巡ってみた。そして、お店を巡る中で、「欲しい!」と思ったものは、なるべく買ってみることにした。ほかにも、すきなアーティストのコンサートにも足を運んだり、はじめてひとり映画に挑戦したり、美術館の展示を見に行ったりもした。
「修論中で…」というと、「じゃあ、クリスマスと正月は返上ですね!」とよく言われたものだが、クリスマスと正月はもちろん死守した。クリスマスケーキを食べて、なんとなくの大掃除をして、箱根駅伝を見ながらおせちを食べて、お酒に酔った。ただただ楽しい時間の優先順位を、何よりも上にした。
とても当たり前のことに見えるが、意外と気持ち的には難しいのだ。Xをひらけば、今日もボロボロになるまで研究した院生の悲嘆が流れてくるし、noteを開けばまた「ハウ•トゥ•修論」がオススメされる。「私全然やってないじゃん!ダメダメじゃん!」と思うには十分すぎるほどの情報が漂っているのだから。だからこそ、修論期間中は、いつも以上に自分の直感や欲望に素直になることにした。「今日は何を食べたいか」「どこに行きたいか」「何にときめくか」みたいな小さな感覚を、ちゃんと一つ一つ拾っていく。そうやって生活を自分の手に取り戻しておくほうが、結局、書くための土台が崩れないことに気がついた。
パンパンのトートバッグ
もちろん、人生を楽しめたからといって修論が勝手に書き終わるわけではない。提出するには、手を動かす必要がある。
私が最初にやったのは、ワードファイルをつくることだった。そして、これまで書き散らしてきた文書をとにかくコピペして、「多少は進んでいる」という雰囲気をつくった。内容の良し悪しより先に、まず「作業できる場」と「修論が書けそうな雰囲気」を用意する。そこからは、書けそうなところから気ままに書いた。最初から順番に、みたいな立派なことはしない。いちばん抵抗が少ない段落に手を伸ばす。私の場合はデータの解析が機械的に書けて楽だったので、そこから書き始めた。
書く気が起きない日は、文章をひねり出すのは諦めた。口語で構成だけ書いたり、図表をいじったり、文献整理をしたりする。とにかく「書く日」と決めた日は、何もできなくてもいいからファイルを開く。一回でも開いて、触って、閉じたら、それはもう「書いた」と認定してた。
書くのが怖くなった時は、修士の入試の時に提出した最初の研究計画書を見返した。一般的には「最初の研究計画なんてみんな変わるんだから、見返すことなんてない」といわれるが、私は常にタブに開いていた。荒い。だけど、そのぶん余計な飾りがない。「私これが書きたくて来たんだ」という気持ちが、そのまま残っている。筆が止まりそうなときほど、あの数ページがいちばん早く私を原点に戻してくれた。
この原点に立ち返る時間は、大きくなりすぎた研究計画をスッキリさせてくれる。修論に手をつけるまでの一年半、本当にたくさんのことをインプットするし、たくさんの人からフィードバックを受ける。その度に元々の研究計画に、誰かに評価されるためのエッセンスを詰め込んでいく。いつの間にか、パンパンに大きく膨れ上がった修論の構想。たとえるなら、ただ街に出るだけのトートバッグに、山で数日過ごせる分の食料を詰め込んでるみたいな感じだ。重く、肩に食い込む。食べ切れるわけもない重さに、常に押しつぶされそうだった。しかも同時に、「こんな理想的で壮大な研究、私にできるわけなくない?」という焦りもついてくる。だから、パンパンに膨らんだトートバッグから、少しずつモノを減らしていった。思い切ってどんどん捨てた。なんなら、アメひとつぶんとお茶一本くらいまで。なんだか壮大な構想と比べると、地味で、身軽すぎて怖い気もしたが、最初の研究計画と照らし合わせてみると、やりたかったことは十分に達成できていた。捨てたものもあったからこそ、博士課程での研究課題も見つかり、無事に博士の研究計画も提出することができた。
不安なまま、生きる
そこから修論提出までは淡々と、5つのことをゆるやかに意識しながら、書きつづけた。とにかく、「私は、私のために論文を書くんだ!」というマインドで、少しずつ前に進めていった。
とはいえ、修論を書き終わらせられない不安から完全に逃れられたわけじゃない。寝ると2時間に1回起きてしまったり、休むことに罪悪感を感じたり、逆に土日に仕事が入って「完璧に休めなかった!」とイライラしたり。音に過敏になりすぎて、うどんを啜る音が気持ち悪くて、大好きなうどん屋さんに行けなくなったこともあった。そんな時は、ジャーナリングアプリで感じたことを音声入力で記録しておき、どんなにくだらないと思っても、カウンセリングや診療内科で話すようにした。そして、「眠れない」などの体調に響く悩みは、処方してもらったお薬に頼った(ちなみに修論の審査終わってからは、ぐっすり眠れているのだけれど)。修論を書き終わらせるということは、多かれ少なかれ、その先のキャリアに影響するのだから、不安に感じるのは当然だろう。不安をゼロにするのは無理でも、不安なままでも生きていく。そのために、頼れるものに頼りながら、自分の高い理想や、自分を追い詰める癖を少しずつゆるめる練習をしていった。
こうして、「もう休学する!!」と泣き喚いていた私は、3ヶ月の時を経て修論を提出することができた。嬉しいことに、研究は好きなままだ。泣き喚いていた頃の研究計画と比べたらだいぶミニマムな研究になったが、自分なりに誠実に研究と向き合うことができたんじゃないかな、と思っている。
元々の私は、がんばる=自分を削る、みたいな単純なルールで生きてきた気がする。寝ない、我慢する、しんどいほど偉い。だから修論も、そうやってしか越えられないと思っていた。でも実際に私を前に進めたのは、料理をして、眠って、遊んで、原点に戻って、今日書けるところから書く、みたいな簡単で何気ないことだった。トートバッグの荷物を減らして、今の私に持てる重さにする。そんなふうに、楽しいままでも目標は達成できるという経験を手に入れることができた。博士課程以降の研究生活も、少しは楽しめそうだ。
修論を終わらせることには、変数がありすぎる。分野も違えば、指導教員との距離感も違う。進路のプレッシャーも、使える時間も、お金の余裕も、家族との関係も、体調も。人によってスタート地点がぜんぜん違うのに、「こうすれば誰でもうまくいく」なんて言えるはずがない。あくまでこれは、研究に命を捧げる完璧な「ハウ・トゥ・修論」に、ちょっと抵抗してみた私の記録だ。この歩みが完璧で正しいとも思わない。だから、合いそうなところだけ、つまみ食いしてもらえたら、それ以上に嬉しいことはない。
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