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【日本滞在記②】安心できる場所はどこにある?——自由を求めて日本を出た私が見た、祖国の「見えない壁」

家族や、親しい友人たちとの再会。
美味しい食事を囲み
尽きることのない
思い出話に花を咲かせる時間は
何物にも代えがたい心の栄養でした。

1年ぶりの日本滞在。
その最大の目的を果たし
温かな余韻に包まれていたはずの私の心に
ある日ふと、
奇妙な空虚感が忍び寄ってきました。

「ああ、私はもう、この国の住人ではなく『観光客』になってしまったんだな」

そんな、少し寂しくて
けれど確かな実感が胸を突いたのです。

■ 優しさが生む「同調圧力」と、息苦しさの正体

よく聞かれることがあります。

「日本はこんなに安全で便利なのに、どうしてわざわざ日本を出て、海外で起業なんてしてるの?」

確かに、
日本には名残惜しいものが
たくさんあります。
大好きな家族、学生時代からの親友。
そして何より、

日本の「世界一の安全性」

これは間違いなく、
日本人が暗黙のルールを
守る文化から来ています。

自分のことよりも
他人のことを気にかけて
自分の行動が誰かの迷惑にならないかを
常に先回りして考える。

自分がどう振る舞うべきかを
周りとの調和の中で変えていく。

そんな、
とても優しくて
思いやりに溢れた文化
です。

だからこそ日本は、
世界一他人に危害を加えない、
犯罪率の低い美しい街を
保ってこられました。

その素晴らしさは、
様々な国を見てきたからこそ
痛いほどわかります。

けれど、
今回の滞在で
私は確信してしまったのです。
私にとって

日本は想像しているほど「自由」ではない

ということに。

その優しさの反面
日本社会の隅々には
とても強い「同調圧力」
潜んでいます。

「私も我慢して暗黙のルールを
守っているんだから、
あなたも当然守るべきだよね」
という

声なき監視の目。
しばらく日本を離れ
個人の自由が尊重される
海外の空気に慣れていた私には
それがひどく息苦しい
「見えない壁」として迫ってきました。

■ 「おひとりさま」に突きつけられる視線の棘

今回の滞在では、
いわゆる「おひとりさま」での
自由な時間がたくさんありました。

カウンターの
お寿司屋さんにふらりと入り
職人さんの
手捌きを眺めながら旬を味わう。
夜、小洒落たバーで一人、
気ままにお酒を嗜む。

けれど、そこにはいつも、
ちくりとした
視線の棘が刺さります。

実際に食べた、ちょっと素敵なお寿司(笑)

ある夜、
1人で少し高級な
お寿司屋さんの
カウンターに座り
日本酒と握りを
楽しんでいた時のこと。

隣の席にいらした老夫婦から、
ふとこんな風に話しかけられました。

「こんな立派な食事を1人でしているから、
すごく目立つし、違和感があったよ。
ああ、海外から来てるから1人なんだね。
でも、こんな高い食事をして
女性1人でお酒を飲むなんて、
旦那さんは何も言わないの?」

きっと、
お二人に悪気はなかったの
だと思います。
純粋な世間話のつもり
だったのでしょう。

けれど、この短い会話の中に、
私が先ほどから感じていた

「日本の普通」への当てはめ

見事なまでのフルコンボで
詰め込まれていたのです。

・女性1名で高級寿司に来ることはありえない(男性と一緒のはずだ)
・結婚しているなら、妻が高級なものを食べに行くには夫の許可が必要である

ジョージアで、
互いのペースを尊重しながら
暮らしている今の私からすると
それは強い違和感を覚える言葉でした。

悪気のない
老夫婦の言葉だからこそ
日本社会に根深く残る
「女性の在り方」
「夫婦の力関係」

という無意識のルールや
日本の社会構造
古い結婚観の縮図を
ポンと目の前に
突きつけられたような
気がしたのです。

もし私が、
見た目からして
「外国人観光客」であれば
これほど干渉されることは
ないでしょう。

「外国の人だから自由なんだね」
という免罪符が与えられるからです。

でも、
私は日本人の風貌をしていて
日本語を話します。
すると、この社会の

「みんなと同じであること」

という暗黙のルールに
無条件で従うことを
求められてしまうのです。

■ 両親がいなくなった後、私の帰る場所は?

滞在の終盤、
私はふと考えてしまいました。

「もし、いつか両親がいなくなって、帰る実家がなくなってしまったら……?」

今、私が日本へ帰ってくる
大きな理由は家族です。
でも、その絆という拠り所が
なくなってしまった時、
私はこの

「空気を読み続けなければならない国」に、

本当の安心を
見出せるのでしょうか。
日本人の顔をして
日本語を話し
けれど心は「個」としての
自由を求めている。

そんな私が、
いつまでも自分を押し殺してまで
この場所に居場所を求め続けるのは、
少し難しいのかもしれない。
そんな予感に、
胸がざわつきました。

私は海外での生活を通して
その
「常識の枠組みから外れる自由」
を知ってしまいました。

そして、
その自由を享受するためには
リスクを冒してでも
自分の足で立ち
挑戦し続けること。

そのヒリヒリとした面白さと喜びに
もう気づいてしまったのです。

■ 海外で手に入れた「精神的自由」という財産

私はこれからも、
海外で時間と経験を
重ねていく予定です。

ジョージア、セブ、ソウル
そしてこれから向かうロシア。

多拠点を飛び回る生活は、
決して楽なことばかりではありません。

けれど、
そこでしか得られない

「精神的な自由」

があります。

誰の目も気にせず
自分の責任で
自分の好きな
自分でいられること。

その解放感を
知ってしまったからこそ
私は再び日本を
飛び出していくのだと思います。

今回の滞在は、
日本という国の素晴らしさを
再認識すると同時に
自分にとっての
「幸せの定義」を
深く考え直す
きっかけになりました。

日本は、
たまに帰ってきて
その豊かさを存分に楽しむ
最高に素敵な場所。

けれど、魂を自由に解き放ち、
挑戦を続けるフィールドは、
やはり広い世界にある。

祖国との新しい距離感と
自分にとっての「自由」の意味。

少しの寂しさを抱えながらも
私はこの「見えない壁」のない場所を求めて
また一歩、力強く歩み出そうとしています。


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