あいうえお表に隠された「危機からの脱出」|ミッドライフクライシス|NOと言う勇気
こんにちは。えめです。
今回は、勤勉タイム。
えめの勉強過程を晒していくコーナーです。
禁断のオタク部屋へようこそ。
今回の謎解きは
あいうえお表に隠された「リアル脱出ゲーム」
えめは精神科訪問看護師ですが、精神科はたまに(よく?)わけわからないことが起きます。
そういう不思議現象と精神症状を見分けるのも私たちの仕事。
そうすると、気づいたら勉強内容がそっち系になることがあります。
なので、勤勉コーナーは「そういうもの(怪しさ満点)」として、精神科オタクが勤勉タイムに没頭しているのを眺める『娯楽枠』でお楽しみいただければ幸いです。
では、
謎解きの世界へ、どうぞ。
あいうえお表はなぜ作られたのか?
(以下前回記事までのハイライトなので、前回読んでくださった方は目次から次の章へお進みください)
息子から、あいうえお表の ワ行“空白” の謎 について質問され、調べているうちに、「あいうえお表」の深みにハマった精神科看護師えめ。
古いひらがなの「ゐ」「ゑ」を入れたとして、
一番後ろの真ん中の "情報の空白"
がどうしても気になる。

ワ行それぞれのひらがなの元になった漢字の成り立ちを調べていくと、最後の “情報の空白” に法則と仕掛けが浮かび上がってきました。
「植ゑる(新たに増える)」
「据ゑる(そのまま維持停滞)」
「飢ゑる(崩壊)」
停滞期に、やることやれば発展期に移行。
頑張ってるけど未達成ならそのまま維持。
一定の締め切りまでに必要な行動してなかったら終わる。

「あ」から調べていくと、「赤ちゃん」から人の心・精神・脳の発達がどう成長していくかを順番に表現している可能性が浮上。それぞれのひらがなの意味を探っていくことに。
「悟る」はタ行です。
わかります?おかしいでしょう?
「悟りの境地」って言うけど、あいうえお表が「あ」から順番に心の発達の経過を表現しているなら、タ行が「境地」なのは中途半端なんです。
(中略)
「進んだ文化である中国の漢字を使ってひらがなを作った」という歴史認識でしたが、なんで悟りが境地ではない事を知ってる?おかしい。
あいうえお表が出来たのはおそらく平安時代。
平安時代の少し前には仏教伝来がありました。
悟りとは、
「アイデンティティの確立」「自分軸を持つ」アダルトチルドレンを終了し、20代の壁を突破した状態を指すことがわかりました。
(中略)
読むだけでこんなに時間かかるんです。
「悟りの境地」と言ってる人は、
こんだけ頑張ったんだからもうがんばらなくていいだろう。
って考えるのではないでしょうか。
これらの流れから、時代背景として、
仏教も既に理解していたあいうえお表作者が、「 悟りの境地!ってマウント取って仏教を権力の道具にしないようにしようね。神道は全部わかってるからね。」と国内外へ牽制しつつ、
頭が良くても、神様のような振る舞いをして驕る。そんな人がリーダーになるととんでもないことになる。
このようなメッセージを出したかったのではないか?など、前回記事では考察してきました。
あいうえお表は1000年以上も前に作られたものなのに、
現代日本への強烈なメッセージ
のようにも思えてくるのは私だけでしょうか?
2記事分のハイライトは重いですね。汗
ハイライトはこのくらいにして、
サクサク今回の考察を始めたいと思います。
あいうえお表を作った人が残した「仕掛け」
今回記事では前回の「ち」の続きから
人生30代の課題を中心に「ほ」まで考察します。
「ち(悟り)」まであいうえお表を考察した時、
突然、私の頭の中にある歌が思い浮かびました。
なべなべそこぬけ
そこがぬけたらかえりましょ
そこぬけ…
アダルトチルドレンの支援では
よくこんなたとえ話が使われます。
自分の中に何かが欠けていると
心の器に穴が空いているのと同じで
どれだけ自分の心を満たそうと
心の穴からエネルギーがこぼれおちてしまい
満たされない状態になってしまいます
「そこがぬけたらかえりましょ」は、
心の穴と同じ比喩で、
「かえりましょ」はつまり、
「あ」から成長の“抜けている部分”に立ち戻れ
ってことでは…?
実際に幼少からの人生課題を振り返るのは、
アダルトチルドレン攻略に一番有効です。
抜けているところに戻る。
まるでスタンプラリーのような設定。
もしかして、
なべなべは、「な」から「へ」では?
「な」から「へ」の段階でつまづいてるなら、
「あ」から見直しましょう。
なんか、あり得る。
そう仮定すると、この歌は、
「悟り」より先のところでつまづいてる人宛て…
勤勉コーナーでは、このような突拍子もない発想も、一度仮説検証してみるのが醍醐味です。
現に、あいうえお表となべなべそこぬけは、
意外にも江戸時代で接点があります。
戦後消された「ゐ」「ゑ」といい、
あいうえお表関連で、ずっと誰か動いてる気配があります。
歴史を超えて、誰が何をしているんでしょう。
まずは「な」から「へ」が何か、前後もあわせて確認しましょう。
今回記事は、
あいうえお表を使った「仕掛け」と
現代人へのメッセージ
こちらを着地点にしますので、
「な」「へ」の意味や30代の発達過程を見ながら、
江戸時代にこっそり何が行われていたのか?
考察にお付き合いいただけたらと思います。
「つ」の意味:世界の構造|妄想の判別
「つ」川
文字の成り立ち
「流れる水」の象形から「かわ」を意味する。
意味
「かわ(雨などの自然の水が集まり、陸上のくぼみを傾斜に沿って流れ下る水の通り道)」、水流(水が流れること。また、その流れ。)
「ち」「知」で、自分は世界の中の一部のちっぽけな存在だったことに気づき、いろんな存在が世界にはあるんだと悟りました。
「つ」は流れ。ここから道教要素が盛り込まれます。
自分が世界の中の一部のちっぽけな存在であると気づき、脳内で「ちっぽけな自分」を再定義すると、世界のありのままの姿が脳に入ってきます。
これはこうなってる。この人はこういう行動パターン。など。
水は上から下に流れていくように、シンプルな法則で世界が回っていることに気がついた様子を「つ」「川」で表現したのではないでしょうか。
このように世界を観測できるようになると、「○○さんが言ってるからこれが正しい」といったものの見方でなく、自分の頭で情報の取捨選択をすることができるようになってきます。
さらに、誰の話が、どこまで実体があって、どこから妄想が入っているか、見極めることも可能になってきます。
「て」の意味:見えない本能の法則|直感の正体
「て」天
地上を覆って高く広がる無限の空間、太陽、地球など宇宙に存在する物体の総称、自然、季節・気候、
万物(宇宙に存在するすべての物)の支配者、「天・地・人」と三段階に分けたときの一番目、物事の最初、運命、生まれつき(天才)、その人が置かれた状況、
君主(国を治める人)、キリスト教で神のいる所、太陽の神、仏教で、天上界にいる神やその一族
「天」も道教っぽい要素です。
しかし、「天」の意味を見ると、天気天候、空の模様って自然イメージのものもあれば、神・運・才能など、人によってはアレルギーを起こすワードもたくさん並んでいます。
「つ」「川」の流れのイメージと似たような自然系の意味を持つ「天」ですが、「川」と「天」は、自然の法則を表している点では同じである一方、「川」は見える法則、「天」は見えない法則を扱っていると考えられます。
私も理科で説明できないものはあまり好まないので、「見えない法則」をスピアレルギーの方向けに説明すると、地球の神経系、「なんで渡り鳥は季節に応じて北に行ったり南に行ったりするんだろうか?」のような、自然・生物の本能的な法則の話だとすると収まりが良いかと思います。
看護師をしていると、満月の夜に出産やご臨終が重なることが多いなど、天体との動きに法則の連動が見られることがあるので、そういうパターンを見て「天」と呼ぶようになったと考察もできます。
地震の時にペットがいつもと違う動きをするみたいな生き物の直感、本能の感覚を知覚した時を描写したのが「て」「天」なのでしょう。
その辺の感覚が動いた時に、「神!!」とテンション上がる人間がいるので、時代につれイメージがスピスピになったのだと思います。
※あいうえお表は「並びは順不同」を前提としているのは本記事の結論です。
未熟な人でも、「天」がわかることはあります。
未熟な人が「神!」って言いだすと、「次元が違う」などの理屈(?)で「神」と「人」の線引きをして、「自分は神側」とマウント取るので非常にめんどくさいです。スピアレルギーの原因。
神の定義はよくわかりませんが、私の考えは「天」も「人」も生き物です。
「と」の意味:ミッドライフクライシス
「と」止
立ち止まる足の象形文字。
動いていたものが動かなくなる。続いていたものが続かなくなる。通じていたものが通じなくなる。
心・目・耳に感じられる。
偉そうな態度をとる。行かないで、そこに残る。同じ所・地位にそのままいて動かないでいる。滞在する。生き残る。その範囲・限度を越えないでいる。その場からどこにも行けないようにしておく。
元の状態を保つ。続けてきた状態・動作・行為を終える。予定していた事をしないようにする。病気や癖などを治す。高まった感情や病気等が収まる。
枠内読み飛ばす方もいると思いますが、ここだけは、引用枠内ゆっくり読んで見てください。
このままでいいのか?バカになるのか?
ミッドライフクライシスそのものです。
早速、「て」「天」で「神!!」とドヤ顔した人も「偉そうな態度を取る」とディスられています。
保守とは?何を残して、何を刷新すべきなのか?本当に大事なものとは?
腐ったところを切り捨て、心に従って生きる。「停滞。限度を越えないでいる。」なかなか厳しいことを言います。
「と」一文字でこれだけ表現されていて深い。
さて、この後どのような人生を進むのでしょうか。
「な」の意味:厄年
「な」奈
「大地を覆う木」の象形と「神にいけにえを捧げる台」の象形から、「神事に用いられる果樹」を意味する会意文字。
いかん、事が次第に変化していく様子(状態)、どんなであろうか、いかんせん、どうしようか、いい方法がない、理由・手段等がわからない、大体の場所や不明の位置を示す
ベニリンゴ(からなし)
※ベニリンゴとは、バラ科の落葉高木。太く短い花柄の先に白色または淡紅色の花を上向きに開く。楕円形のリンゴに似た果実が垂れ下がる。
「どうしたらいいんだろう?」とすごく悩んでいます。
ミッドライフクライシス、30代ごろからは、「厄年」が連発します。
精神的に、というより、生活的に悩ましいことが多発する、「事が変化していく様子」ヒリヒリした現実的な切迫感まで描写しているように感じます。今回のあいうえお表考察は「運」要素も続いていますね。不運。
ところで、ベニリンゴが気になります。アダムとイブの姿が連想されますが、等価交換、でしょうか?
「に」の意味:尊重|信頼と絆
「に」はひらがなとカタカナの漢字の由来が違います。
「に」仁
「横から見た人」の象形と「2本の横線」から人と人との間に通う「親しみ」、「いつくしみ」、「おもいやり」を意味する会意兼形声文字。
いつくしみ(かわいがって大事にする事)、親しみ(相手と接する機会が多く、それを身近な存在だと感じる事)、親しむ、思いやり、食べ物や生活する場所などを与えて育てる、人の心、
徳をそなえた人(人間性・性格・考え方を良くするために、人の修得すべきものをたくさん備えた人)
「ニ」二
「二本の横線」から数の「ふたつ」を意味する指示文字。
数の名前、一(いち)(最初の数)の次の数。最初の物事の次の物事。ふた。一回行ってから、もう一回行う事。再び。一つのものが分かれて倍になる、違っている、並ぶ物、匹敵(比べてみて能力や価値などが同程度である事)
「に」「仁」は、孔子が伝えた儒教の「仁」をイメージとして採用していると思われます。
「仁」たりうる人は、心の平安を得ている人である。それは自らに対する信頼がなければ不可能である。
一方で「二」は、単純に二人。結婚での夫婦生活や、ビジネスパートナーなど、その関係は様々かと思われますが、このそれぞれ違った二人が、それぞれ尊重しあって、力を倍にしていく、という姿を想像できます。
数秘術における「二」も、以下のような意味を持つそうで、イメージとして含まれている可能性もあります。
2の波動は、対立するものを結びつけたり、断絶を和らげるといった“つなぐ力”に秀でています。(中略)
一人で背負い込まず、誰かと共に進む道を選ぶことで、より運気が開かれていくのが2の宿命的な特徴。信頼と絆の上に築かれた人生は、静かでありながらも確かな幸福感に満ちていくのです。
愛する人、大事な人、守りたい人、そんな存在を尊重して、自分だけの事を考えるのではなく、むしろ、自分以上に大事にし、関係を育てていく、そういう時ほど、人は本当の強さを見せます。
「ぬ」の意味:雑に扱われる奴隷のような人
「ぬ」加
「両手をしなやかに重ねひざまずく女性」の象形と「手」の象形から、捕らえられた女奴隷を意味し、そこから、「奴隷」、「召使い」を意味する会意兼形声文字。
奴隷(人間でありながら、物のように扱われる人)、召使い(他人の家に雇われて家事などの雑用を行う人)、身分・社会的地位の低い人
グサッときますね。物のように扱われる人、奴隷。
ナメられる、「どうせ何も言ってこないだろう」と軽く扱われる、いい人だからと甘えられ、めんどくさい人の方には丁寧に接するのに自分には雑な扱いをされる。
気づいたら「なんでこんなことまでしないといけないんだろう?」と思うような雑用を押しつけられる。ありありとイメージできます。
「いい人」ではダメなんです。
自分の価値をしっかり磨いて出さないと。
実績とか、権威とか、薄っぺらい看板のようなものでは価値は出ません。
芯から湧き出る、人間の圧みたいなものがないとここから抜け出せません。
「ね」の意味:先祖の守護|運を味方にする
「ね」祢
「神にいけにえをささげる台」の象形(「祖先の神」の意味) と「美しく輝く花」の象形(「美しく輝く花」の意味だが、ここでは、「邇(ジ)」に通じ「近い」の意味)から、自分に最も近い先祖「父のおたまや」を意味する形声文字。
親のおたまや(霊を祭る家屋)
ミッドライフクライシスで悩むくらいの年代は、育児と介護の問題も浮上してきます。自身の親、あるいは、祖父母の死を体験する機会も出てくるでしょう。
身近なものを失って、その存在に思いを馳せる時。人生を振り返ってみたり、生きていてふと、「亡くなったあの人なら今なんて言うだろう?」など考えた時、今の自分の人生をどう生きるか、この苦難をどう攻略するかなど、見えてくることがあります。
また、その存在に思いを馳せてみると、決して自分は一人じゃない、何かに守られていると感じることもあります。
そういう見えない存在との交流が、「ね」に美しく表現されているのではないでしょうか。
「の」の意味:誰を守るか|自分の使命
「の」乃
「母の胎内で、まだ手足のおぼつかない身をまるくした胎児」の象形から、「妊娠する」の意味を表しましたが、借りて(同じ読みの部分に当て字として使って)、「なんじ(おまえ)」、「昔」、「以前」を意味する。
「母は強し」と言いますが、子どもを守る母は、時に、「子どもを守るためなら自分の身がどうなっても構わない」といった、強い光を目に宿すことがあります。
これまで、未熟な自分と葛藤する様子が続き、支えてくれる存在はいましたが、「今度は私が支える番」、子どもという自分が守る具体的な対象がやっと出てきました。
もう一つ、「昔」「以前」といった過去を表すワードも入っていますが、これは、想像するに、昔の自分と同じような境遇にある人、後輩を守る姿とも連想できます。
守る対象ができた時、これまでの自分の行動パターンとは違う動きが必要になってきます。
ビジネスで言うなら、コンテンツの元が生み出される瞬間。常に人は自分の「道」の後に続く者の幸せを祈って生きている、そういう「命のバトン」を象徴するメッセージのように私は受け取りました。
「は」の意味:影響力のある人
「は」波
「流れる水の象形」と「獣の皮を手ではぎとる象形」(「毛皮」の意味)から、毛皮のようになみうつ水、「なみ」を意味する会意兼形声文字。
小さな波(大きな波の事を「浪(なみ)」と言う)、なみ状のもの、なみだつ(なみが起こる)、動く、なみのように動く、なみのように伝わる
「は」八
「二つに分かれている物」の象形から「わかれる」を意味する象形文字。
数の名前。七(しち)の次の数。別れる、分ける、数の多い意味
「波」、量子力学的なイメージがありますが、波のように伝わる影響力を持ち始めたのでしょうか、小さくですが、しっかりと場を動かし始めました。
「八」は情報が少ないのですが、数秘術ではこのような意味を持つそうです。
嫌なことは嫌。運命数8の人は、苦しい思いを秘めることなく、さっと周りに伝えます。自分にとても正直なのです。(中略)
常に「今より上」を目指す人。それを叶えるべく、勉学に励むことが多い人でもあります。そのうえ、世のため人のために何かしたいという想いが強いのも特徴です。(中略)
とてもフレンドリーで、来るもの拒まず、いやむしろ自分から人の中に行く。そんな、開放的な雰囲気を持っているのです。
成功するビジネスパーソンそのもののようなイメージですね。
勤勉さや理念の元のようなイメージも帯び始めました。
“腹に括った一本の槍”のような、責任感のある覚悟と、人の気持ちを明るくモチベーションを上げるオーラに人はついていくものです。
それが体の芯から出ているのでしょう。
「ひ」の意味:自分の才能の見つけ方|八方美人
「ひ」比
「人が二人並ぶ」象形から、「ならぶ」を意味する会意文字。
2つ以上のものを並べて、違いを調べる、競う、手本としてまねをする、整える、先例、割合、
助ける、楽しむ、合わせる、仲間を作る、物事を行うときの正しい順序をしっかりと決める、頃(ころ)(あるきまった時期の前後を含めて大まかにさす語、ちょうどよい時)、役に立つ事、目的や期待の向かう所、易の六十四卦の1つ。世間の人が天子を仰ぎ親しむかたち
気に入られよう として、相手の機嫌を取る
「ひ」からは三つのイメージが立ち上がります。
一つはビジネス的に言えば、競合。
20代課題では、「人と比べるな」とアドバイスされますが、30代課題になると真逆です。「人と比べろ」。
自分の役割や才能を知るには、世界と自分を比べてみて、長けているところを人に教えてもらわないとわからないこともあります。
資本主義的な競争ではなく、自分にしか届かない場所で責任もって動くためのリサーチと言えます。
二つ目は、仲間。
同じ志、同じ理念、同じ目的の仲間と協力し合う。一人じゃ届かない世界線を目指すために、また、人生を楽しむために、気の合う仲間を作ります。
「か」「加」のギャングエイジのような、気分次第ですぐ離れる薄い関係ではなく、心の通った仲間を表しているのでしょう。
三つ目は、八方美人。
八方美人は、自信のなさが原因で、外面を良くして尽くし、身内には適当な扱いをします。
外から余計な負担を持ち帰り、身内に負担をかけているうち、大事なものを全てを壊すおそろしい行為です。
これによる失敗で、次の「ふ」のNOと言う勇気を学ぶのだと思います。
ひらがな一文字に相当盛り込んでますね。
日本語おそろしい。
「ふ」の意味:NOと言う勇気
「ふ」不
「花のめしべの子房」の象形から「花房(はなぶさ)」を意味する象形文字。
ず(~しない)、しからず(そうではない)、しかせず(そうしない)、はなぶさ(花や実が垂れて咲く花)
花房は中に「種」を守っています。
未来につながる大事な種を守るために、NOと言う、ストレートな表現です。
はなぶさはもう花が咲いていますね。花や実が垂れているので、種が土に届くのももうすぐでしょう。
「それでいいんだよ」先祖のエールが聞こえてくるような気がします。
「へ」の意味:仕事の境界線|ポジション理解
「へ」部
花びらの元のふっくらした子房の象形(「拒む」の意味だが、ここでは、「剖」に通じ、「分ける」の意味) と「特定の場所を示す文字と座りくつろぐ人の象形」(「村」の意味) から、「分ける」、「区分する」を意味する形声文字
すべる(支配する、統括する)、組み分け、区分された地域、箇所、役目を受け持つ人
「へ」からは境界線と役割を表現したようなワードが見られます。
境界線と課題の分離と心理学でよく出てきますが、境界線をはみ出てしまう未熟な人向けのものではなく、ここでは、境界線をはみ出てしまう人にNOと言ったり、「私はこのポジションを守っています」という、立場を明確にする意味合いの方が強いと思います。
ここで立場を明確にしないと、童話「ひきょうなこうもり」のように裏切り者になってしまうので誰からも信用されません。役割分担ってレベルが高いんですね。
「ほ」の意味:社会人として最低限の条件|人材育成
「ほ」保
「横から見た人」の象形(「人」の意味)と「乳児を抱きかかえる」象形から、成人が乳児を抱いて「まもる」、「たもつ」を意味する会意兼形声文字。
守る、安らかにする、助ける、育てる、責任を持つ、お守りする役目を受け持つ人、頼む、雇い人、とりで(本城の外の要所に築く小規模な城、外敵の攻撃を防ぐ)
守ることができる。保つことができる。
責任もって自分の役割を全うし、人を育てることができる。
みなさんが社会人として、親として、求めている人物像はまさに「ほ」のイメージそのものではないでしょうか?
記事書いていて、改めてびっくりしてます。
この最低限として現代社会で求められてるレベルが「ほ」なの?
「ち」の「悟り」も現代人まだまだなのに。
適応障害、うつ、そりゃ増えるわけだ…。
1000年以上、人間ってあまり進化してないのかもしれませんね…。
さて、お疲れ様でした。
「な」から「へ」が判明しましたね。
なべなべそこぬけ、考察をまとめていきたいと思います。
奴隷のような生き方をしている現代人を危機から解放したい
「なべなべそこぬけ」のルーツと思われるわらべうたの歌詞は、江戸時代後期に出版された童謡集「竹堂随筆(ちくどうずいしゅう)」に収められているそうです。
竹堂随筆には1751年から1772年頃に収集された童謡が収められていますが、「なべなべそこぬけ」の歌の作曲者は不明だそう。
また、あいうえお表が「五十音」として出版されたのも江戸時代、1693年のことです。
「五十音」で現代の形に整理した作者は契沖(けいちゅう)という方で、日本最古の和歌集「万葉集」の解析にこだわったそうです。
「え、前回記事であいうえお表が作られたのは平安時代って言ったじゃん。」と疑問を持つ方もいると思うので、一旦整理します。
あいうえお表が生まれ出版された目的
以下私の考察ですが、時系列はこうです。
平安時代の前に仏教が伝来し、混乱が生じた。
↓
十七条の憲法「和を以って貴しとなす」とし、
国のコンセプト「和」を提示。
↓
あいうえお表の構想が始まる。一つは、曖昧な「和の国」の定義を固定するため。もう一つは、神道と精神性を保存していくため。神代文字等から伝わる、日本人がこれまで使ってきた「音」を漢字に当てはめ(漢字は逆輸入)、それを崩したもので国の「言語記号」を作り、日本に口伝で伝わっていた知識を世界でも通用させられるようにしようと、「カタカナ・ひらがな」プロジェクトが始まった。
少なくとも、タ行の「知」悟りは、1周目の3分の1程です。
「国」を管理する人は、あいうえお表3周目を終わらせて欲しいところですが、1周目の3分の1で満足されちゃ困るんです。
だから、1周目の「和」まで完了程度は大臣達に要求したい。
帝王学の使い手とも言える神道の日本のトップは、国の内外に全体像を示すように漢字を使って知識体系を「見える化」したのではないでしょうか。
今だったら、英語で、あちらの文化圏にわかる内容を使って、日本のコンセプト・ポリシーを示すようなもの。なかなか高度です。
↓
コンセプト「和の国」の「和」を説明するために、音を並べていく必要があった。
しかし、神道から仏教、古典から漢字共通語へ、翻訳に思ったより時間がかかると判断。
「ひらがな・カタカナ」を普及の目的で、一旦、いろは歌を作成・普及。
↓
平安時代後期に五十音の原型が作られるが、完成品としては様々な議論が生まれる。
国学以前の「五十音図」は、古くさかのぼり平安時代中期の写本『孔雀経音義くじゃくきょうおんぎ』(醍醐寺蔵)に付記された音図が最古と思われます。
五十音図の原型として、11世紀初めに成立した醍醐寺蔵『孔雀経音義(くじゃくきょうおんぎ)』に掲載されたものがある。ただし、この時には四十音しかなかったようで、それを抜き出すと以下のようになる。
キコカケク,シソサセス,チトタテツ,イヨヤエユ,ミモマメム,ヒホハヘフ・ヰヲワヱウ,リロラレル
※精神支援の現場で見られる心の発達の経過は、人によって順番が違うことも多いので、「キコカケク~」の並びのものでも「和」を説明するのに機能はしているとは思います。ですが、「あ」が抜けていたり、なんか足りない感も否めませんので、議論が起こって完成していないのも納得がいきます。
↓
南北朝時代くらいの混乱により、一旦研究が日陰に移動。
頭の良い人達によって、裏で地道に保存・研究が進められる。
↓
天下統一のころ、安土桃山時代付近で、今度はキリスト教伝来が活性化。
↓
鎖国して江戸時代突入。
キリスト教伝来のタイミングで、
あいうえお表の舞台が江戸時代へ、
神道と「和の国」を守る戦いが、近隣諸国から、よりグローバルへ、
移動したのではないでしょうか。
国内が一時落ち着き、世界のグローバル勢力の進出も鑑みて、「今だ!」とばかりにあいうえお表が登場した。
江戸の高い教育率に乗せて、国民の妄想を回避し精神性を高めて国を一つにまとめるべく、いろは歌より高度な「あいうえお表」の普及を始めようと、まずは大人向けに出版を試みたのだと私は考えてます。
なべなべそこぬけが伝えたいこと
鎖国といえば、「NOを言う勇気」の動きです。
あいうえお表のど真ん中は
「ぬ」と「ふ」。
「ぬ」は奴隷。
「ふ」はNOと言う勇気でした。
なべなべそこぬけ。
底が抜けていたら返りましょ。
「あ」からやっていない課題があれば振り返ってください。
なべなべそこぬけ。
「な」から「へ」。“そこ” を抜け。抜けろ。
「ほ」より上のステージに行かないと、やられてしまいます。
なべなべそこぬけの作者の思いには、以下のようなメッセージが隠されているのではないでしょうか。
「NOと言う勇気を持て。外国に介入させるな。
この国がもっている価値に気づき、理解して、教育が出来る大人へ。
心を強く持ち、妄想せず、どこかへ依存せず、自国のことは自国で回せる、それぞれが助け合い自然とまとまる。そんな強い国へ。
さもないと、誰かの奴隷になるぞ。
危機に備えよ。八方塞がりから脱出せよ。」
奴隷みたいな生き方をしていると、うつが蔓延したり、躁で暴走する人が出てきて国家が破綻します。それを防ごうと動いてきた人の形跡がここにあるのではないでしょうか。
危機を迎える現代人へのメッセージ
集団の維持には、理念コンセプトと集団の平均精神性が必要です。政治家1人が優秀でも国は上手く回りません。
だから、
「みんなが同じ方向を向いて、みんなが精神的に強くなる必要がある。
日本が終わってもいいのでしょうか?」
そういう問いかけを、然るべき時に自分達の力で気づけるように、「なべなべそこぬけ」も含め、仕掛けを施していったのではないでしょうか。
ネットもテレビも電話もない時代、日本全国に行き渡る伝達速度は今よりずっとゆっくりかもしれない。
だけど確実に広がるよう、同時多発的に、多分仕掛けてる。
明治時代に、
いろは歌からあいうえお表へ、基本教育が変更になります。
あいうえお表に終わりの「ん」が追加されます。
そして戦後、
安定の「ゐ」豊かさの「ゑ」が奪われました。
もう、あいうえお表はワ行の空白の配置が違うもの2つが流通し、私の息子が問いかけてくるほど違和感満載です。
"違和感に気づけ"
そして今の元号は、令和です。
和を令ず。
色は匂へど 散りぬるを
我が世誰ぞ 常ならむ
有為の奥山 今日越えて
浅き夢見し 酔ひもせず
もう一つの「いろは歌」
とりなくこゑす ゆめさませ
みよあけわたる ひんがしを
そらいろはえて おきつべに
誰かの言いなり、誰かの機嫌を伺い、自分をおし殺す生き方から、奴隷のような生き方から、もう抜け出してもいいのではないか?
産業革命も終わって、豊かさを手に入れて、
君たちはどういう人生を送りたい?
どういう国を守りたい?
「と」で出てきました、「保守とは?」。
日本とはどういう国なのか、いま一度みんなで振り返る時期なのかもしれません。
これはリアルな脱出。
あなたには先祖の声が聞こえますか?
「つ」と「て」の流れを習得している日本人の「命のバトン」が、脈々と引き継がれて先祖から現代へメッセージを届けている。
私にはそのように思えました。
次は誰が誰にバトンを渡すでしょう。
みなさんはどう考察しますか?
さて、長い解説を最後までご一緒いただきありがとうございました。
次回はどのようにして「和」となるのか考察していきたいと思います。
是非お付き合いいただけますと幸いです。
文:えめ 精神科看護師(ライフサイクル専門家/人育ての専門家)
さて、日本人はとてもユニークです。
ご先祖様はここで、みんなが楽しめるイベントを開催してくれました。
それがリアル脱出ゲーム。
なぜ、江戸時代に、伊勢参拝が流行ったのでしょう?
ここからは、その謎を紐解いていきます。
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