綺麗すぎる
この一週間は、とにかく料理や食べ物をきれいに、美しく撮影する仕事をしていた。
美しく配置し、美しく整え、美しい反射を探し求めてシャッターを切る。
仕事をしているうちに、「美しいことは正義」という価値観が育っている。
人でも料理でも建物でも、それぞれ一番よく見える角度がある。
そこに光や反射を整え、レンズで前後背景をぼかし、主役を引き立てる。
写真一枚で売上が変わることもある。だから責任がある。
整然としていること。
正しい形や色が伝わること。
使う場面が想像できること。
ほぼ全員に「きれい」は正解なのだ。DNAレベル。
ところが、その反対のことを言われる時がある。
「綺麗すぎます。」と。
雑誌の仕事で、編集者が言うその意味・意図は理解できる。
求められているのは、心に引っかかる写真。
感情を揺さぶる写真。
理屈抜きに体が反応してしまう写真。
ドキッとする、クラッとする、涙が出る、そんな写真だ。
例えば、
その場に過去居た人が残した匂い、温度までもが見えるような写真。
積み重なった時間の層が溢れ出すような、気配まで写っている。
そういうことなのだと思う。
もっと冷静な視点、長い時を超える視点、メメント・モリなのかもしれない。
当然、難しい。両立も私には難しい。
私は「きれいに撮る」ことを仕事にしている時間が増えて、
その切り替えスイッチが消えかかっている。
無意識が邪魔をする。
無意識に美しく見せようとしてしまう。
自分の表現を狭くしている。
ずっと考えている。
本当に心に残る写真って何なんだろう。
作り込まないただの「ナチュラル」とも少し違う。
もっと剥き出しの。
写真の向こう側にある、本質の核心。
考えても、考えても、まだ答えは出ない。
写真を見て、「やっぱりすごいな」と思う人がいる。
技術だけでは説明できない。その差は何か。
誰にも頼まれずに撮る写真を増やすことなのかもしれない。
仕事の正解を探すのではなく、自分の問いだけを持ってシャッターを切る時間を増やそうと思う。
