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本郷~湯島~広小路~御徒町 今に伝わる武家の威厳、寺社の荘厳、庶民の活気

【 本郷 ~ 湯島 】

この辺りは「本郷台地」と呼ばれる高台で、江戸の頃は多くの大名屋敷や
旗本屋敷が並んでいた。高台は風通しが良く、水害の心配も少なかったので
武家地として重宝されていた。加賀藩前田家の上屋敷だった場所は、現在の東京大学の本郷キャンパスになっている。
その南に湯島天満宮がある。江戸時代から学問の神様として信仰を集めて、
多くの参拝客で賑わっていた。また、湯島聖堂(孔子廟)が1690年に建てられ
幕府の学問所として機能していた。そのため湯島周辺に本屋や貸本屋が集積して、その文化的な雰囲気は今でも漂っている。
余談だが2009年にTBS系で放映されたドラマ「JIN-仁-」でヒロインだった
橘咲たちばなさき」の実家の「橘家」の所在地は湯島一丁目辺りという設定だった。
武家や商家が混在し、市井しせいの人々が往き交っている姿が目に浮かぶ。
晴れた日にそんなことを考えながらのんびり散歩するにはとてもいい所だ。

菅原道真を祀るこの神社は、学問の神様として別名湯島天神として有名

【 上野広小路 】

上野は寛永寺の門前町として発展した寺社地。寺院や神社を核に商業集積し
町が形成されて「寺町」や「門前町」といった形態で発展していった。
町の主要な通りである「大路おおじ」に対して細い裏道を「小路こうじ」と称した。
広小路ひろこうじは火災の延焼を防ぐための防火帯(火除け地)として「小路」の道幅を
広げてものが、次第に見世物小屋や露店が並ぶ庶民的な繁華街になった。
この辺りに来ると、店舗も行きかう人々も随分と混沌こんとんとしてくる。

『江戸切絵図 下谷絵図』(国立国会図書館デジタルコレクションより)

【 末広町~御徒町 】

このあたりは下谷・神田の境界付近で、町人地と武家地が混在していた。
職人や商人の住む土地柄、下町的な性格が強かった。末広町からもう少し
南に下りれば秋葉原。今や電気街ではなくサブカルの聖地だ。
一方、御徒町は「御徒(おかち)」と呼ばれる下級武士の屋敷があったことに
由来する。彼らは将軍の護衛などを行っていたれっきとした武士だったが、
禄高ろくだかが低く、それだけでは生活が苦しいため、生活を補うために刀の鍔作り
などの内職をしており、宝飾品などの加工技術が根付いたと言われている。
御徒町からアメ横を抜けて上野に向かって歩いたが、すでに年末の様相だ。
人ごみのサラダボールの中でパートナーがボソッと呟いた。
「アジアだね、ここ・・・」
(東か、東南か。南はともかく中央も含むのかぁ… )
夕方の喧騒の中、頭の中にそんな問が浮かんでは消えた。

【 今日の目的 】

「メガネ、新しくしたい!」
「いいんじゃない。」
ということで、以前私が購入した店に散歩がてら出かけた。

「白山眼鏡 上野店」JR御徒町駅 or 銀座線上野広小路駅が最寄です。

【 ランチはインド料理のはずが… 】

営業しているはずなのだがなぜかシャッターが下りていた。
下りているシャッターを5秒ほど見つめていた。
「こっちでいいんじゃない?」
パートナーの一言でタイ料理に変更になった。

1週間前に新宿でタイ料理食べたよなぁ。まぁ好きだから良いけど。
カオパットガパオ / 豚肉のバジル炒めガパオに目玉焼き(カイダオ)を乗せたご飯
みんな大好き「パッタイ」

盛り付けは家庭料理っぽかったが味はピカいちだった。
“人は見た目が9割” だそうだが料理は違うな。

【 甘味処、周遊 】

《 ゆしま 花月》

かりんとう屋さんです

《 つる瀬 》

看板メニューの「豆大福」を購入

《 みつばち 》

こちらも鉄板のメニュー  「あんみつ」を購入

「食べ物ばっかり買ってるね」
というパートナーの言葉に頷きながら
老舗百貨店方面へ歩みを進めていった。


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