【アフリカ】フンガムンガに関する覚え書き【投げナイフ】

今回は途中経過のようなものなので、結論みたいなものはありません。


 前回、アフリカの投げナイフ型通貨「ウォシェレ」について書いた。
だいぶ苦労したので当分この分野に手は出すまい、と思っていたのだが、つい調べてしまった。ウォシェレの時と違い、いまだ資料が十分ではないため、調査の途中報告みたいなことになる点にご留意いただきたい。

 さて、アフリカの投げナイフと呼ばれるものについて、日本ではさまざまな呼称が用いられている。そのひとつウォシェレが、実はナイフではなく通貨を指す呼称であったことは前回記事の通りである。
 では、他のよく聞く呼称はどうなのか? ブワカナイフや、フンガムンガや、マンベレや、いろいろ言われているが、本当にその名前は正しいのか・・・?
 というわけで今回とりあげるのは、そんな呼称群の中のひとつ、フンガムンガである。


●フンガムンガとは

 わからん。
 正直に言うとこうなる。
 アフリカの投げナイフと呼ばれるものは、民族や土地によってさまざまな形状と名称があるのだが、ウォシェレのように呼称と形状が結びついているものもあれば、そうでないものもある。
 フンガムンガは恐らく後者ではないかと思われる。この名前と結びついた形状が出てこないのだ。
 自分の検索限界かもしれないが、少なくとも現状では見つけられておらず、霧が立ち込めたままである。
 
 ひとまず、見つけられた資料をいつものように見ていこう。

●北アフリカ縦断の旅

 確認できたうち、最古の資料は、1826年DenhamClappertonによる「Narratives of travels and discoveries in Northern and Central Africa, in the years 1822, 1823, and 1824」である。「1822、1823、1824年の、北部および西部アフリカにおける旅と発見の物語」となるだろうか。
 ところでこの本、後述するが、一巻、二巻、と刊行されたものと、それらを一冊にまとめたとおぼしきものの二種類あるようなのだが、比較すると前者の記述の一部が後者で削られた形跡がある。肝心のフンガムンガに関する記述がその削除部分に含まれており、そうでなければこの編集には気づかなかっただろう。

 これは探検家のディクスン・デナム(Dixon Denham)とヒュー・クラッパートン(Bain Hugh Clapperton)らによる、北アフリカのトリポリから、中央アフリカのチャド湖まで、北アフリカ中部を南北に縦断する探検隊の記録である。どうも彼らはチャド湖を初めて目撃した西欧人になるらしい。

 まず登場するフンガムンガの記述は、1823年6月11日の記述である。この翌12日に「Tibboo族の都Bilmaに到達した」とあるので、今のニジェール共和国東部にあるビルマ周辺でのことと思われる。このTiboo族とは恐らくトゥブ族のことであろうか?

 Another weapon, which a Tibboo carries, is a sword of a very peculiar form, called hungamunga ; of these they sometimes carry three or four.
 
 (Tiboo族の槍についての記述の後)Tibboo族が携えるもう一つの武器は、hungamungaと呼ばれる非常に風変りな形状をした剣である。これを彼らは三、四本携えていることもある。

Vol 1 p.32 「Chap. I. — FROM MOURZUK TO KOUKA」章内

 次に言及が見えるのは1824年10月15日。11日に「Bilmaに到着」とあるため、これもまたビルマでの記述と思われる。なお、ちょうどフンガムンガに関する節から後ろが、前述のように合本版では綺麗さっぱり削除されている。

 Our tents were surrounded by daylight with women and men; the former to sell us their commodities, and the latter to look on. The men were armed with five spears, and a hunga-munga.
 
 我々のテントには日中、女たちと男たちが集まっていた。前者は品物を売りに、後者は見物をしに。男たちは五振りの槍と、hunga-mungaで武装していた。

VOL 2 p.107 「Chap. VII. — JOURNEY TO THE EASTERN SHORES OF THE LAKE TCHAD」章内の「RETURN TO TRIPOLI」より

 これだけである。文章中でこのTibboo族のフンガムンガなる武器が、具体的にどういう形状をしているのかは、知ることができない。
 しかし合本版では、巻末にデナムが持ち帰った中央アフリカの武器と防具のイラストが付録されており、その三枚目にフンガムンガとされるものが描かれている。

FIG. 3 & 4 … HAND-BILLS CALLED BY THE NATIVES HUNGA-MUNGAS. USED BY THE INFANTRY TO THROW AT A RETREATING ENEMY.
 
図3、4… Hunga-Mungaと呼ばれる手持ち鉈鎌。歩兵が退却する敵に向かって投擲するのに用いる。

 ここでは二つの武器が紹介されている。各部の形状は異なるが、どちらもおおむね、中央アフリカの北部で見られるF字型の投げナイフに分類できるだろう。

〇現代の分類

 なんだかあっさりフンガムンガの正体がわかったなあ、と思われるかもしれないが、そこに待ったをかけたい。
 このイラストに描かれた武器、どうも現代ではフンガムンガとは呼ばれていないようなのである。
 
 特徴的なのは図4の武器で、形状としてはFの字をさらに湾曲させた3(あるいはE)の字のようで、湾曲部に羽のような装飾と、紐を通すためとおぼしきリングが付属している。
 これはカメルーンやナイジェリアのMafa(Matakam)族のナイフ、センゲセ(Sengese)とほぼ同じものである。
 少なくとも、こちらは現代ではフンガムンガという呼称ではないのだろう。

  一方の図3の武器だが、こちらは同定が難しい。
 M. L. Felixの『Kipinga: Throwing-blades of Central Africa』(1991)に付録されているアフリカ投げナイフ分布図を見ても、ブレードの鎌形状は上記センゲセに似、しかし枝のブレードの曲がり具合はチャドのものに似、この枝ブレードについた小さなカタツムリめいたコブ装飾はチャドのほかスーダンのものに似、と、まったく同じ形状のものは見当たらず、検索でも出てこない。
 これらアフリカ投げナイフは手工業品であるため、ここでのみ見られた唯一品なのか、または標本が現存しておらず各種資料に残っていないタイプなのかもしれない。
 あるいはこれこそが真のフンガムンガなのかもしれないが、これ以降の資料でこちらの形状がぜんぜん出てこないため、判断ができていない。新資料が見つかるまで保留したい。

●資料の混乱

 現状、現地でフンガムンガの現物を見たという記述は、これしか見つかっておらず、以後はもっぱら小説や概説書で言及されるにとどまる。つまり一次資料となるのがデナムとクラッパートンの旅行記しかないのだ。不安すぎる。
 いくらなんでも研究機関ならちゃんとした記述をしとるやろ、と思っていたのだが、その専門機関が出した本の記述がハチャメチャにおかしいのだから混沌が加速する。
 
 とりあえず時系列順に見ていこう。


 1853年Joseph Bonomi(the Younger)の『Nineveh and its palaces』にて、フンガムンガが言及されている。本書はニネヴェやアッシリアについて記しており、フンガムンガは既知の類似武器のひとつとして挙げられている。

 In his right hand he holds an instrument that we infer to be analogous to the Bommereng of the Australians, the Hunga Munga of South Africa, the Trombash of Central Africa, or the Sellem of the Bishareen.
 
(ニムロドと思しき巨大な像について)その右手には、オーストラリア人のブーメラン、南アフリカのフンガムンガ、中央アフリカのトロンバッシュ、あるいはBishareenのSellemに類似すると推測される道具が握られている。
 
(中略)
 
The most curiously curved is that from Southern Africa, the Hunga Munga (fig. 39) ; it is made of iron and nsed to throw at a retreating enemy (fig. 40)
 
最も奇妙に湾曲しているのは南アフリカのフンガムンガ(図39)であり、これは鉄製で退却する敵に投擲するのに用いられた。(図40)
(※なぜか次に説明がくるトロンバッシュの図40について文末に記されているが、単に誤記か意図的な配置と思われる)

pp.135-136

 ここではデナム&クラッパートンの旅行記から引用しているようである。なぜか中央アフリカではなく南アフリカになっている以外はさほど差異はない。なお挿絵の図39に描かれているのは、センゲセ型のナイフである。これも旅行記の付録イラストを参照したのだろう。


 1874年、『Catalogue of the anthropological collection : lent by Colonel Lane Fox for exhibition in the Bethnal Green Branch of the South Kensington Museum, June 1874』は、イギリスのサウス・ケンジントン博物館(現在のヴィクトリア&アルバート博物館)のBethnal Green分館に、Lane Fox大佐が展示のため貸し出した人類学コレクションのカタログのようである。(彼はのちに相続によりピットリバース性を名乗る)

 言及部分を見てみよう。

 Nos. 180 to 186, Fig. 22, are iron implements, called hunga munga by the negro tribes south of Lake Tchad ; “ danisco ” by the Marghi, “ goleyo ” by the Musgu, and “ njiga ” by the Bagirmi ; showing that the names for these weapons vary as much in Africa as in Australia, where nearly every tribe has a different name for the boomerang.
 
 図22のNos.180から186は、チャド湖南部の黒人部族からフンガムンガ(Marghi族は「danisco」、Musgu族は「goleyo」、およびBagirmi族は「njiga」)と呼ばれている鉄器である。オーストラリアでほぼ全ての部族がブーメランに異なる名称をつけているのと同じくらい、アフリカでもこれらの武器の名前が多様であることがわかる。

p.31

 183 to 185. Iron projectile called Hunga Munga, in Central Africa, showing varieties of form, but identical in principle. Obtained by Petherick from the White Nile. Fig. 22.
 
 183から185。中央アフリカのフンガムンガと呼ばれる鉄製投射物で、多様な形状だが原理は同じ。Petherickが白ナイルから入手。図22

p.36

 一見しておかしなことは書いてないように思われる。が、一か所だけ違和感があるのがおわかりいただけただろうか。
 フンガムンガはチャド湖南部での呼称、と書かれているにも関わらず、入手場所が白ナイル、つまりチャド湖とは正反対のアフリカ東部になっているのだ。
 これだけなら違和感だけですんだが、一番の問題は挿絵にある。
 
 フンガムンガと紐づけられている図22、どう見てもそこに描かれているのは中央アフリカ東部、ザンデ族のクピンガに類似した形状なのだ。
 そしてその二つ隣の図24には、デナム&クラッパートンの旅行記に描かれた、フンガムンガもといセンゲセ型ナイフがあり、しかしこちらの解説ではフンガムンガは一言も出てこず、鳥頭型ブーメランとして紹介されているのである。
 どういうことだよ。
 
 より困惑を深めるのは、デナム&クラッパートンの旅行記について、その解説文中で触れていることである。つまりこの解説書いた人は、その図(※図24)に描かれた(センゲセ型の)ナイフが、旅行記でフンガムンガであると記されていたことを知っていたはずなのだ。なのになんでまったく別の、西アフリカと無関係な東アフリカのナイフのほうに、フンガムンガはじめチャド湖周辺での呼称を紐づけているのだ?
 どういうことだよ。


 今のカタログは博物館とはいえ、個人コレクションの展示カタログであったから、その解説文は専門家ではない人物によるものだったかもしれない。そうだと言ってくれ。
 
 次に見るのは1880年、『Annual report of the Board of Regents of the Smithsonian Institution』(スミソニアン協会理事会の年次報告書?)である。おお、スミソニアン。期待ができる。なおこれは1979年度のもののようである。

 A hurling axe shaped like a sickle is also used by the troops of the scheik of Borneo. It is known as a hunga-munga and somewhat resembles the trumbash of the Niam-niams.
 
 鎌状の形をした投げ斧は、ボルネオのシャイフの兵たちも用いる。それはフンガ-ムンガとして知られ、ニアム-ニアムのトロンバッシュにいくらか似ています。

p.261

 ここではアフリカの話をしているはずなのだが、なぜかボルネオという東南アジアの地名が急に出てくる。このあとMalays(マレー人)やDyaks(ダヤク族、ボルネオ島の先住民族)について記述されることから、本当にボルネオ島のことなのかもしれない。が、この文脈だと東南アジアのボルネオ島にある鎌状武器の名前がフンガムンガということになってしまう。
 どういうことだよ・・・と言いたいのだが、少しだけ考察の余地がある。

 デナム&クラッパートンは、チャド湖到達後にボルヌ帝国を訪れているという。このボルヌ(Bornu)が、ここでいうBorneoの指しているものではないか。なんらかの語形変化か、あるいは単純なスペルミスになっているのではないか、と考えることができる。

 仮にこれがアフリカのボルヌのことであれば、フンガムンガの説明として違和感は(まったくではないが)解消されよう。
 ボルネオ島もイスラム圏になった歴史があるので、マジでボルネオ島のシャイフを指している可能性はあるのだが、それにしたって前後の文脈がおかしいので、まだこちらの解釈のほうが妥当な気はする。確証はまるでないが。
 
 ところでトロンバッシュとは、マンベツ族の鎌型ナイフを指す呼称なのだが、本書、どういうわけかそれをニアム-ニアムすなわちザンデ族のクピンガによく似たZ字型ナイフに対して用いている。本来のトロンバッシュの挿絵のほうは単にマンベツ族の鎌型ナイフとしか説明がない。
 どういうことだよ

●現時点での雑感

 このように19世紀の資料は混乱が見られる。フンガムンガどころかアフリカの投げナイフ全般に対する形状と呼称について、なにを信じたらいいのかわからない。
 しかしこれは研究が進んだ現代視点だから言えることで、当時そもそも西欧人にとっては未知の世界だったアフリカ大陸中央の事情について、最初から正確に理解できたはずはない。フンガムンガが出て来たのはそういう初期の段階であったのだろう。
 というようなことを踏まえて少し考える。

 一番わけがわからないのは、1874年のカタログである。東部のナイフに西部での呼称であるフンガムンガを用い、一方で旅行記にてフンガムンガとして記載されたセンゲセ型ナイフには結びつけられていない。
 著者が実際なに考えていたのかはわからないが、推測するに、おそらく「アフリカの投げナイフ」全般を指す呼称として、フンガムンガはじめ西アフリカでの呼称を使用したのではないだろうか。
 該当箇所の記述をよく読むと、図22からアフリカの投げナイフが登場し、図22で呼称、図23と図24で鳥頭型ナイフの例を記述している。
 ここの記述を連続して読むならば、図22の呼称言及はそのあとに続く図23と図24も含めたものなのではと思えてくる。なぜなら図23と図24(それぞれファン族のオンジル、マファ族のセンゲセに類似)には呼称が記されていないからである。
 これならば、図24のセンゲセ型ナイフの解説にフンガムンガへの言及がない理由が説明できる。それはもう図22の解説文でやったから、あらためて書く理由がないからだ。
 これで、旅行記を参照しているのに旅行記と矛盾しているように見える謎は解決する。
 東アフリカの武器に西アフリカでの呼称を採用したという肝心の謎は残るが、これはもう当時まだ東アフリカでの呼称がわからなかったからとか、そういうのしか思いつかない。

 ところでこのカタログの記述、H. S. Cowperによる『The Art of Attack and the Development of Weapons』(2012)などにも引用されており、フンガムンガ含めたチャド湖周辺民族の呼称まわりがそのまま出てきたりする。単なるカタログだと思っていたら、どうも妙に後世への影響が感じられる。
 フンガムンガは、アフリカの投げナイフ全般を指す呼称として用いられることが多いとは冒頭で述べたが、それはもしかするとこのカタログが起因するのかもしれない。しかしこれはまだ憶測にすぎず、ひょっとすると別の元凶があって、このカタログもまた影響された側だったりするのかもしれない。とにかく他の資料が出てくるまでなんとも言えないだろう。

 ちなみに20世紀後半になると「19世紀まではフンガムンガと呼ばれていた~」などという説明文の資料があったり、21世紀にかけて小説やゲーム以外の書籍が減少していったりするなど、フンガムンガの存在感は薄れてきている。

 ただ完全に消滅するかというとそれも怪しい。たとえばピットリバース博物館がweb公開しているコレクションの中にフンガムンガがある。
 説明文を要約すると、19世紀末前後に、北アフリカ沿岸地域にいた人物が「Shunga Mungha」と書いて、のちに博物館へ寄贈する友人に贈ってきた品らしい。
 これは形状から、チャドやスーダンに住む民族が用いたものに酷似しており、名称としてはMusriとなるようである。これまたフンガムンガではないということになるが、気になるのは元々の持ち主が北アフリカ沿岸の人間だったという点である。デナム&クラッパートンがフンガムンガを目撃したビルマは、チャド湖の北にある。北アフリカ沿岸からはるかに遠いが、ニジェールあたりまでは、まあ一応はギリ北アフリカだろう。もしかすると北アフリカ周辺で使われていた呼称こそがフンガムンガだったのかもしれない。
(デナム&クラッパートンの記述では、まるでTibboo族が用いた呼称のように読めるのだが、具体的な意味や由来について一切記載がない。下手をすると現地民ではなく同道するアラブ人などから聞いた呼称という可能性もあり、この旅行記だけから推しはかるのは正直ちょっと厳しい)

●それはそれとして

 フンガムンガについて幾つか資料を見てきたが、
・チャド湖周辺での呼称
・(地域的に)北部F字型ナイフに用いる
 といった点については、まだ信頼できそうな部分である。
 少なくとも、南部Z字型ナイフに用いるのは不適当に思える。これについては、前述のカタログのような各種資料における混乱以外の、きちんとした根拠は存在しないのではないかと、個人的には考えている。

 しかし世間ではすっかりこれがアフリカ投げナイフの総称の一つとして広まっている。海外ではこれについて「ドラマ『Buffy the Vampire Slayer』で主人公が用いたナイフの呼称として用いられたから」という意見を見かける。なお、そこに登場している投げナイフの形状は、BwambwaあるいはNgwoloと呼ばれるナイフと類似している。
 登場したシーズン3の放送は2001年頃なので、参考資料にはまだ総称としてのフンガムンガが生き残っていたのかもしれない。少なくとも視聴者の脳裏に名前と形状を紐づけた影響はあるだろう。
 このようなメディアが孫引きを続けていくかぎり、フンガムンガはアフリカ投げナイフの総称として続いていくのかもしれない。

〇おわりに

 さてグダグダ資料を見ながらグダグダ論じてきたわけだが、何度も言うように現状ではまだまだ資料が足りない。
 フンガムンガの実態としてパっと思いつくだけでも
 
・名前だけが独り歩きしている
・実は各種資料は正しいのだが時代によって呼称が変化した
・名前が指し示す特定の形状がある
・そもそもそんな呼称は存在しない
 
 など無限の可能性を思いつくことができる。
 これらの仮定を潰していくためにも、より多くの資料が必要になっていく。今ここで述べてきたことは、ほんのスタート地点にすぎないのである。
 
 また上述の考察にも実は大問題があり、自分は各種形状とその呼称について、一次資料にほとんど辿り着けていない。
 現代ではそれぞれの形状と呼称と民族がかなり紐づけられているようなのだが、それが本当に正しいのか? という確認ができていない。これは正直ちょっとどうにかしたい
 偉そうに過去の資料にツッコミを入れてきたが、その情報もまた間違っていないと言い切れないのは、かなりマズい状態だ。
 有識者からの意見を切に望む次第である。
 
 などなど今後の展望や課題を書いたが、この調査を継続するかどうかはわからない。あまりにも沼が深いことは前回で懲りたし、今回でも挫けそうだ。
 とりあえず見つけた資料と考察をここに書き、将来だれかが調査を引き継いでくれる時のガイドになればいいなぁという気持ちで記事公開しておく。
 どっかの誰かが真実に辿り着くと信じて。

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