ひゃく・てん! ~その弐~
しろ・ぶら!
~白妙の衣はためく緑の夏山に君の真っ白なブラウスを思い出した件!~
先ほどとは違い、今回は落下しながらも遊び翔んでいるような浮遊感。ぐるんぐるんと、思考も身体も好き勝手に回転し続けている。
「またぁ!?」
叫び声をあげる間もあればこそ。どすんっと、今度は土の上に投げ出された。二回目の着地もまた尻から。和雲は木札を握りしめたまま、強打した部分をさすりつつ顔をあげた。
青々とした空の下、周囲に大勢の人がいるなかに落下したらしい。突如として土煙をあげて引っくり返った和雲を取り囲み、さざ波のようなざわめきが巻き起こっている。先ほどと同じように、そろって昔の時代の装束を身にまとった男や女たち。
「なにごと?」
さざめくばかりで埒のあかない集団の上から――文字通り天から降ってきたかのような声がした。
声の主を探して和雲は辺りの様子をうかがう。
そうしてざわつく人々の群れの向こう、野路の一際盛り上がったその先に牛車が停まっているのを見つけた。今度は先ほどの大王の時とは違い、内側ではなく外側から、華やかな車を眺める立ち位置だ。
車の物見の小窓が半分開いている。そこからこちらへ、声を投げかけた女がいるらしかった。
牛車の側近く、剣をたずさえた武官らしき男が、その声にこたえて深々と頭を下げる。
「お騒がせをいたしまして申し訳ありません、皇后さま。供の女童が一人、足を滑らせたようで」
「まあ。大事はありませぬのか」
「もったいないお気遣いでございます。――こらお前、皇后さまにお答え申し上げぬか。名は何と申す?」
「あ……は、はい。ええと、和雲、です」
従者にせっつかれるまま和雲が返答すると、車の中からするり、衣擦れの音が聞こえてきた。
「和雲、か。あれ、まだ稚い様子だこと。大事はありませんか? ――こちらへ。近う寄れ」
彼女の言葉に、従者たちがそそと道を開け、和雲に早く行けとうながしてくる。有無を言わさぬ、その場の圧力。和雲は牛車のそばまで寄り、職員室に入るときの気持ちで「失礼します」と声をかけた。
車の後方に垂れかかっていた薄布がちらりと開き、なかにいる女と和雲の目が、はたとかち合った。
女は雛人形の最上段、内裏雛の女雛のような恰好をしていた。だがやはり、どこか中華風の印象だ。釵子と呼ばれる金の飾りを豊かな黒髪の上にいただき、藤紫の衣を身にまとっている。白い面、薄い唇に紅を引いた顔は、現代なら“アラサー”とでも呼ばれるのだろう女盛りの雰囲気だった。
女は和雲の目を見返し、「お前か」とかすかに笑んだ。
「今日は遠くまで来ましたものね。お前をはじめ、同行の者たちは皆さぞ疲れたであろ」
「あ、いえ……」
「でも我はね、香具山のこの景色を、是非とも見たかったのですよ」
ごらん、と女は和雲に外の景色の方を示した。言われるがまま、ひょこりと首を動かしてみる。あたたかな風の吹いてくるほうへ視線を流した。
車が停められた野路からのぞむ、緑の山野。丘を描く青々とした稜線に、清らかに洗われた白い衣が何枚も何枚もつり下げられて、はたはたとはためいて泳いでいる。まるで純白のブラウスのような、目に目映い白い輝き。
胸に去来する影とその映像が重なり合って、和雲は息を止めて見惚れた。いつのまにか浮かんでいた額の汗に風が届いて、ひやりと心地よい。
すっかり意識を奪われたままでいると、女がくすり、笑む気配がした。
『春過ぎて 夏来にけらし 白たへの
衣ほすてふ 天の香具山』
(いつの間にか春は過ぎていたらしい。夏になると天女たちが衣を干すと言い伝えのある天の香具山の麓に、目にも鮮やかに真っ白な衣が干してあるのが見える。ああ、輝く夏の日よ……!)
ささやくように聞こえてきたその和歌に、和雲ははっとする。
またしても、それは有名な一首だった。和雲もよく親しんでいる古歌の一つ――。
――やっぱり、そうなんだ。
さっきのがあれなら、この人はきっとあれだ。そうだ、あのカルタの絵札。几帳の向こう側、鮮やかな繧繝縁の畳の上に座るあの女帝。
「……この夏日のような、輝く陽の光」
ふと、女が呟いた。和雲に語りかけたというよりは心の声が漏れ出たような、夢うつつにつむがれる言葉たち。
「我が子を、帝に奉るわ。我が背子の言い分に背くことには心苦しい思いもあるけれど。――我が父・天智の流れをくみ、我が夫・天武の血をひく私の子。草壁皇子こそが、次なる帝……!」
――夏が来た。吾子も、春の宮を過ぎきてまさにいま、熱き夏の陽のごとく輝き始めるのですわ。
あなたもそう思わないこと? 和雲――――。
ぽんっ、と。
またぞろ、どこかから飛び出した木札。目の前に現れたそれを、和雲はあわててつかみ取った。
と、同時にまたしても視界停止。
和雲に微笑みかけた皇后の顔も、そばに控えた従者も、豪奢な牛車も、すべてが形をなくして乳白色の景色の中へと薄れていく――。
◇
次はいよいよ落下ではなく浮遊だった。ぐるぐると旋回しながら、糸の切れた凧のように飛ばされていく。
――あぁ~、も~いやっ! 早くもとの世界に戻してぇぇぇっ!
投げやりに祈ってみる和雲だったが、残念ながら次なる着地点もやはり、見慣れた教室ではなかった。
乳白色の何もないもやのなか。もはやおさだまりのように、尻から無造作に落っことされた。
「うう、痛い……もーなんなの、いったい」
――夢って痛くないんじゃなかったの? さっきからめちゃくちゃイタイ思いばっかしてるし!
不貞腐れながら身を起こした時。
「やぁやぁ、おかえり!」
そこには二人の――いや二匹の、というべきか、狸人間と狐人間が立っていた。ちーんと。お行儀よく。二本足で。
日本の昔話の絵本から抜け出してきたような着物姿の、どこぞのゆるキャラのごとき珍妙な小動物たち。
――あ~…………なるほどなるほど、そういうファンタジーな感じ? なぁんだ、やっぱ夢じゃん……
和雲が引きつった顔のまま固まっていると、狐がおもむろに片手をあげた。
「よくぞきた、よくぞきた。待っておったぞ!」
「待ってたって……ここはどこで、あんたらだれよ」
初対面なのにトゲのある物言いになってしまったことは許してほしい。なにせ訳もわからぬまま、謎衣裳に着替えさせられた挙げ句、あちらこちらへと好き勝手に飛ばされまくっているのだから。
口をヘの字に結び、腕組みをしながら、和雲は両名を交互に見やる。どうせ夢だ。もうやけっぱちだ。
ふぉっふぉと陽気に笑ったのは狸人間だった。
「わしは大宅世継なり」
「夏山繁樹じゃ」
狐人間が尻尾をふわりと揺らしながら狸に続いた。
「大宅と夏山……んんん……どこかで聞いたことがあるような……」
「ここは摩訶大円鏡と呼ばれる異境ぞ」
「まかだいえんきょう? 異境? どゆこと? 待って待って……って、あーっ! そうだ、それより……」
一度にいろいろな情報が出てきて、和雲は頭を抱えてしまう。ずいぶんディテールの凝った夢だ、などと妙な納得をしつつも、まずは何よりも、ずっと気になっていた疑問を叩きつけることにした。
「いろいろと説明してほしいことはあるんだけど、とりあえず! 何よりもまず! なんで、俺が女の子になってんのっ!?」
そうなのだ。川水和雲はれっきとした男子高校生なのだ。
訳のわからないドリーム空間にすっとばされたことよりも、訳のわからない生物たちが話しかけてきていることよりも、何よりも、健全なる青少年の彼としてはそこが一番、重大で不可解なポイントだった。
生まれてこのかた一度もないほどのロングヘアー。ぴらぴらした帯びやらなんやら。ピンクの花模様の艶やかなお仕着せ。
手も足もあきらかに小さいし、背もかなり縮んでいる。
――セクハラ大王にも“つるぺた”とか言われたし。
それに……見なくても感覚でわかる。体の中心にあるべきはずの大事なものが、あるべきところに、ない!
小学生――五、六年生くらい? の、女子の姿になっているのだ! いくら夢でも、この設定は解せない。
え〜だって〜と、狸の世継はさも意外そうに口を尖らせた。
「お前は貫之と同類かと」
「つらゆき?」
「貫之。紀貫之じゃ」
「って……あの、土佐日記とか書いた人?」
「そうそう。いわゆる、女装男子」
「お前もそうなんじゃろ?」
「しかもロリータ設定」
狐の繁樹にもたたみかけられ、和雲は血相を変えた。
「ち、ちげーし! 別に俺は女の子のフリしてるわけじゃねぇし。ただアカウント名が中性的でアイコンがちょっと女の子っぽいかもなやつに設定してるだけで、聞かれないから男だって答えてないだけでっ、それに男なのに一人称あたしとかトラクターとかネット上じゃ普通だし……」
「いや普通ではないじゃろ」
「うん普通ではないの」
「う、うっさいよ! なんだよ、人のアカウント設定に詳しすぎだろ! と、とにかく俺はネカマじゃないからっ」
「そうなのかの? でもここはいわゆる言霊の呪力で成り立っている世界。呼子鳥がつぶやいた言霊も呪となってこの魔鏡に染み渡っておるのだ」
「ほれ。こんな感じ」
ひょいと、どこから取り出したのか、狸の世継が鏡を掲げた。そこに映る少女の胸像。まるで和雲がアイコンに使用している女の子アバターのような、ぱっちりお目めの愛くるしい少女だった。和雲はごくりと唾を飲み込む。
「こ、これが、俺……」
「あいこんはお前さんの顔。まあつまり、お前さんはここではずーっと女の子のままだと思うぞ」
「そんなアホな……ってか、ちょっと待ってよ。ずーっとって……俺もしかしてもう帰れないとか言うんじゃ……」
ようやくその事にまで考えがいたって、ぞっと青ざめる和雲。
まさかまさか……俺、死んだの? 死因は頭にぶっ刺さった白羽の矢!?
だが二匹はあっさり口をそろえて言った。
「帰れるよ」
「え……っ」
肩透かしをくらって和雲は目を瞬いた。
「か、帰れる……の?」
「うん」
またしてもこともなげに、二匹は頭を縦に振る。
「ここはさきほども言うたように言葉が呪力を持つ魔鏡。さきほどの転移でお前さんは和歌を聞いたはず。古の和歌を」
古の和歌――たしかに、和雲は二首の和歌が詠み上げられる場面に立ち会った。
――そうだ。そんでそのすぐあとに視界が停止して変化して……。
「つ、つまり和歌を聞く度に世界を移動するってこと?」
「ご名答ーっ!」
わぁわぁと二匹が手を打ち合って囃し立てる。
「えええ……なにそれ、どんなシステムなの……?」
ぐるぐると考え込む和雲の前で、狸の世継はこほんと一つ咳払いをした。それからあらたまった調子でこう切り出した。
「――じつは、古の和歌群のなか、“小倉百人一首”と呼ばれる藤原定家卿編纂の歌集が、このほど、呪いにかかってしまったのだ」
「の、呪い……?」
「そう。いずれかの怨霊のものと思わしき強大な呪い。――これを解くにはこの大円鏡に潜り来て、いま一度、歌人たちに和歌を詠唱させて言霊を込めてやるしかない」
「詠唱させて、言霊を……」
「そう」
「まさか……それを俺が……?」
「いかにも」
「ひゃ、ひゃくにん、ぜんぶ……?」
「あ! いやいや! そこは鍵となる和歌があるようでの。その何首かの和歌さえ呪いから解かれればすべてが連鎖して元に戻るはずなのじゃ」
「そうそう。早い話がそういうこと! 大円鏡のうちにて詠唱された和歌はほれ。そのとおり、和歌札と成る」
びしぃっと、狐の繁樹が和雲の懐を指さした。
手で探り出すと、そこには先ほどの二枚の木札。鮮やかに縁取られた畳の上に鎮座する天皇と女帝の絵姿と、その上部にそれぞれ一首ずつ書き記された和歌。
言われてみれば、それは和雲にも馴染みの深い、百人一首カルタの読み札そのものだった。
「これをお前さんに集めてほしいのじゃ」
「な! んな勝手な! なんで俺が!? 別に立候補したわけでもないのに……他をあたってよ、こんな美少女の姿に変えられて、俺のほうがとんだ呪いをかけられてるよ!」
「いや美少女かどうかは知らんが」
「うむ。そこは好みの問題もあるしな」
「二人してツッコんでこないでよ! なんか傷つくわっ!」
「まぁそうじゃなぁ……そうは言ってもなぁ」
「お前さん、もう矢が刺さっちゃったでしょ?」
「矢……?」
狐の繁樹に言われ、和雲は思い出した。
午後の教室、頭に無礼千万なていでぶっささっていた白羽の矢のことを。
「つむいだ言霊に導かれ、白羽の矢が立った。お前さんはすでに選ばれし者なのだ」
「これもまた呪い。呪いが解かれぬかぎり、お前はまた何度でも、魔鏡に呼ばれるであろう」
「よっ、勇者!」
「救世主!」
「どこが勇者だよ、ほとんど奴隷じゃん! 迷惑でしかないわっ! なんだよ、いくら夢だからってなんでも受け入れると思ったら大間違いだぞ!」
「夢?」
二匹がそろって小首をかしげた。
「夢……じゃないの?」
和雲も同じように首をかしげながら訊き返した。
「夢……」
「あー……うん、そうそう! これは夢、夢じゃ、和雲!」
「そ、そうそう! 夢だから、ね、ここは一つ、ちゃちゃっと頼む、和雲!」
「急に二人して夢説にのってこないで! 逆に怖いわ!」
「いや~さすが和雲! 選ばれしもの!」
「太っ腹!」
「そ、そんなおだてにはのらーんっ!」
「いやいやお前さん、素質あるぞよ。夢か現かと言いながら、もう二枚も札を回収した。連続した“潜り”で、百人一首一番と二番、天智天皇と持統天皇の親子二人分! なかなかどうして、たいしたもんだ」
「まっこと、まっこと」
「そんなん誉められてもぜんぜん、嬉しくない……」
はぁ~、と和雲はため息を落とした。
――でも、やっぱりそうだったんだ。
さっきのセクハラ大王はやっぱり、“秋の田の”の天智天皇だった。
たしか、“春過ぎて”の持統天皇はその娘だ。天智の弟である天武に嫁ぎ、息子・草壁皇子を立太子させたものの、愛息は早世してしまう。それで結局は、自分がかわりに即位したんだったはず。
――いや、でもまさか本気で、こんな歴史上の歌人たちにこのあとまだまだ何人も会いに行けってーの?!
ってか、これってマジのマジで夢じゃないの? ガチのガチなの??
あああ……と、また和雲は頭を抱えた。
のほほんと害もなく、日本の片隅でひっそり生きていたいだけだったのに、何だってこんなことに巻き込まれちまったんだ。
女の子の身体になって、動きにくい着物を着せられて、男には襲われそうになるし、狸や狐には無理難題を押し付けられようとしてるし。
――もうやだ。白羽の矢だかなんだか知らないけど、俺のことはほっといてよ……。
「……白妙の衣の君」
狸の世継の言葉に、和雲はうなだれていた顔をばっと上げる。
「お前さんの、その大切な女性のためにも」
「古歌を深く愛するあまり、教師にまでなった彼女のためにも、なぁ」
途端、まばゆいばかりの白いブラウスをまとって教壇に立つ彼女の姿が目に浮かんだ。
――萩野祈子先生……。
穏やかな口調ながら、熱を込めて古典文芸を語る彼女。なかでも百人一首が一番好きなのだと、いつでも楽しそうに語っていた。好きが高じて競技カルタのサークルにも通っていることも、和雲は知っている。
その縁で出会った男と恋仲になって、もうすぐ結婚するってことも。
「……ほんと、設定に詳しいね。そんな情報まで握ってるの。狸と狐のくせに」
「すまんなぁ。脅しのつもりはないんだけどさ、でも彼女のためなのは、間違いではないじゃろ?」
「先生のためかぁ」
彼女の大好きな和歌たちの命運が、何の因果かいま、和雲の双肩にたくされているらしい。
行方知れずの想いとはいえ、ここで引き受けねば男としてあまりにも格好がつかないだろうか……いや、いまは少女の身体をしているのだけれども。
くぅんとか細い声で鳴き、狸と狐が和雲の様子をじっとうかがっている。そのしょぼくれた眼と視線が絡んで、はぁっと盛大に和雲は溜め息をついた。
「あー、あー、わかったよ。わかりましたよ。やればいいんでしょ、やれば」
「! 和雲!」
「やってくれるのか!」
有難やーっと、二匹は揃って和雲の足元にまとわりついてきた。じゃれるなじゃれるな、と袴の裾を直していた和雲の指を、世継が小さな手でぎゅうっとつかんだ。
「良いか。いつどの拍子で転移が起こるかは、わしらにもわからんのだ。ただ確かなのは、和歌の詠唱さえ叶えば別の境界へも元の世界へも行けるということ。いまはこの隙間の時空に呼び止めたのだが、ここにはそう長くはおれまい。隙間はあくまでも隙間なのだ。もうじき、元の世界へと戻ることになるだろう」
「鍵と成る和歌だが……わしらが睨んでおるのは十七の歌人」
「まずは選者の定家卿。それから十人の皇族。そして六歌仙の五人」
「五人? 六歌仙なのに?」
「――僧正遍昭、在原業平、小野小町、文屋康秀、喜撰法師」
「六歌仙のあと一人って、たしか……」
「しっ。……その名を言ってはいけない」
「え、なんでよ。闇の魔法使いかなんかなの? ええと、たしか、大なんとか……」
「くっ……やむを得ん。一度しか言わぬぞ。――大友黒主だ」
「あ、そうだ、それそれ。なんで黒ぬ……」
「以上の十六人に加えて、さきほども名前の出た紀貫之」
「いやだからなんで黒……」
「それら十七人の歌人たちの札はもともと特に強い呪力を秘めている。彼らの札を優先的に集めることが叶えば、先々の展開も好転していくはずじゃ」
「わかったけど……なんで、く……」
「――それには触れないでたも」
「なんじゃそら。ええ〜、逆に気になるんですけど」
「まあ大伴の何某のことはともかく、そんな感じで頑張ってほしいのだ、和雲!」
「頼んだぞ、和雲!」
「えええ……」
かくして二匹の丸投げもはなはだしい応援を背に、和雲の身体がぶわりと浮遊感に包まれた。竜巻のように、ぐるぐると巻き上げられ、その後に突然落下が始まる感覚。
「ああ、あー…………」
加速に任せて落ちていきながら、和雲はぼんやりと、狸と狐が遠くのほうで手を振っているのを見た。手を振り返すかわりに大きく息を吸い、「あのさぁっ!」と声を張り上げる。
「転移の仕方って、毎回これなのーっ!?」
「だいたい、そんな感じかとーっ!」
「ぶっちゃけ、いちいち気持ち悪いんだけど! 身体のなかからでんぐり返るような感じするぅーっ!!」
「うーん、そっかぁ! ――ま、でも仕方ないよねっ! 慣れてーっ!」
「鬼かぁーーっ!」
毒づいている間にも二匹の姿は乳白色のもやのなかへとかすみ、だんだん消え去っていった。
ひゅるひゅると空を切り裂き勢いをつけ、そこから和雲の身体はいよいよ下降する。ぎゅっと目をつむって数分後、やはり尻からどずんっと着地した。
ちゅんちゅん、と窓から鳥の声が聞こえる。和雲はおそるおそる、目を開いた。
のどかな日差しが降りそそぐ午後。そこは休み時間に入ったばかりの、見慣れた教室の席だった。
身に馴染んだ男子学生服。握りしめたままのスマホの画面には、産まれてこのかたずっと掲げていた可もなく不可もない顔が写し出されている。白羽の矢の影は、もはやない。まわりのクラスメイトの誰もかれも、和雲の様子を気にとめるふうでもない。
――やっぱり、あれは夢幻の出来事だったのだろうか。
後日、またしても唐突に転移に巻き込まれ、和雲はこれが夢ではなかったとあらためて思い知る。
和雲の百人一首魔鏡転移譚は、こうして始まったのだった。
