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ひゃく・てん! ~その捌~

ゆう・じん!

~憂鬱な気分のまま転移したら人畜無害そうな男の邸でまたまた急展開な件!~



 異変は何の前触れもなくやってきた。
「あれ」
 リビングで、ふと、和雲は違和感に気づく。
「母さん、アニキの持ち物、片づけたの?」
 棚の上のがらんとした空間を見ながら、和雲はキッチンに向かって訊いた。いつもなら、そこには兄・大和の輝かしい成績の結晶が飾られていたのだ。サッカーチームの優勝トロフィー、書道金賞の賞状、英語のスピーチ大会の何たら賞のガラス盾。
 結婚する大和の新居にでも送るのだろうかと、軽い気持ちでたずねた和雲に、「はあ?」と呆れたような声が返ってくる。
「アニキ? あなた、何言ってるの?」
「え?」
「そこにはいつも花瓶を置いてるじゃない。今はたまたまお花を切らしちゃっただけよ。そのうちまた飾るわ」
「な、なに言ってんの、母さん? ここにはいつも、トロフィーとか賞状とか、そういうの置いてただろ?」
「誰がもらってくるのよ、そんなもの」
 やあねぇ、と母がいたってのんきに笑う。
 ひやりと、和雲の背筋に寒いものが走った。
 ――タチの悪い冗談……?
 和雲は自室に戻り、思い立ってアルバムを引っ張り出す。
 ――マジかよ……。
 背筋を駆け抜けたうすら寒い予感は当たってしまった。
 めくってもめくっても、アルバムの中の和雲は一人っ子。どのページのどの写真にも、兄の存在が影すらも見当たらないのだ。
「どういうこと……これもなんかの呪いだってのか……?」
 その後一晩中、和雲はありとあらゆる思い出の品をあさってみた。結果、やはり大和の存在はきれいさっぱり消えてしまっていたのだ。
 翌朝、足取りも重く、登校する。結局一睡もできなくて、朝の景色がぼうっとかすむ。おかげでなおさら頭が混乱した。
 どうしてこんなことに?
 今すぐあの隙間の時空に行ってたぬきつねコンビに問いただしてやりたい。だけど、こちらからあちらへの転移はいつどこで起こるかわからない。このまま、もしもこのまま、アニキが戻らなかったら……。
 ぐるぐると考えを巡らせていたその時、朝陽にまぶしい白いブラウスが目に映った。
 ――そうだ、祈子先生なら……っ!
 和雲は大慌てで細身の後ろ姿を追いかける。
「せ、先生っ!」
「川水くん。おはよう」
「先生! あの、大和のことなんですけど……っ」
「やまと?」
 こてん、と祈子は首をかしげた。
「って、誰かな?」
 びしゃんっ、と脳天に雷が落ちた。心臓を貫いて、背筋がしんと凍る。
 何もいえないまま、逃げ出すようにその場から離れて和雲は校舎の陰に転がり込んだ。
 ――っ! そうだ、SNS!
 昨夜はスマホから電話番号やメールドレスなど、大和の名前がすべて消えていることに気づき、肝を冷やした。こちらからの連絡手段はないとあきらめていたのだが、大和もFacenoteやトラクターなどのSNSに登録しているはずだ。 
 スマホを取り出し、大和の名前やアカウント名を検索にかけてみる。だがかすかな期待もむなしく、ヒットはゼロ件。
 ――アニキ…………っ!
 いてもたってもいられなくなって、和雲はそのままトラック画面を開いた。
『なんなんだこれ、シャレになんない!』
『わっけわかんない! あーーだれか、だれか助けてーーー!!!』
 乱れた心のまま、ほとんどおたけびのようなつぶやきを打ち込むと、ちょうど予鈴が鳴った。やむなく、スマホの画面をオフにする。
 真っ暗になった画面に和雲の顔が一瞬、映る。見飽きるほど見慣れた男子高校生の顔。兄の存在を失くして途方に暮れている、迷子のような顔……。
 じっと暗がりのなかの目がこちらを見つめ続けている。そこから目が離せないまま、和雲はいつしか意識を手放していた。

 ◇

 気がつけば目のくらむような閃光に包まれていて、その後に浮遊感がくる。浮遊感の後、今度は無造作に落下。
「ふぎゃっ」
 衝撃の後に再び目を開けると、今度は呑み込まれそうな暗闇に目がくらんだ。見渡すかぎり、一面が漆黒の闇。
「おや」
 すぐ近くで、しわがれた男の声が聞こえた。和雲はくらんだ眼のまま、辺りの様子を手さぐりに探る。
 何も見えないが、身につけたものの動きにくさで、それが制服ではなく例の和装であることがわかった。
「こんな雲の多い夜更けに、どちらの娘さんがお越しかな?」
 げこげことさんざめく蛙の鳴き声と、さわさわと水のせせらぐような音の合間。おだやかな紳士然とした声が問いかけてくる。
 振り返ると、真っ暗ななかに種火のような灯りがぽつりとともっていることに気がついた。
 そのすぐ横に、初老の男の顔がぼんやり浮かんでいる。薄明かりを起点として少しずつ目を慣らし、やっと辺りの景色を知ることができた。
 ――ここは……縁側かな。そっか、平安時代って電気とかないから、夜は真っ暗なんだよな。
 その場にいるのは老人が一人。突如として現れた和雲に驚きもせず、にこにこと間延びしたような笑みを浮かべている。
「ここにはこの老いぼれしかおりませんが……道にでも迷われましたかな?」
「あ……いえ。突然お邪魔してしまってすみません。失礼ですがあの、あなたは……?」
 転移はこれで六回目。この場には一人しかいないようだし、もしかしたらこの男が百人のうちの一人なのかもしれない。
清原深養父きよはらのふかやぶと申す」
 期待を込めて問うた和雲だったが、案の定、名前を聞いてもそれが誰だかわからない。
 ――小野小町レベルの有名人ならいざ知らず、百人一首の歌人なんてそんなあれこれ覚えてるわけないんだよなぁ……。
「あー、俺って残念すぎる。……ほんと、先生がここにいてくれたらなぁ」
「おやおや」
 一方的に現れて一方的に問いかけて一方的に落ち込んでいる和雲に、少しも困惑したふうもなく、深養父は髭を撫でた。
「ご友人とお別れでもなされましたかな?」
「えっ……。あ、あの、友人というかお別れというか……ええ、まぁそんなところで」
「そうですか。大切なご友人なのですかな」
「大切な……」
 和雲は言葉に詰まった。にこにこと、深養父は人好きのする微笑みをたたえたまま。
「……そうですね。大切な、人でした」
「そうですか」
 そより、夏の夜風が吹き抜ける。すっかり夜闇に慣れた目が、縁側の先に庭園の風景を捕らえ始めていた。どうやら季節は夏らしいが、平安魔鏡はいつでも少し涼しげな空気に包まれている。夜であればなおさらだった。
「――『雲井にも かよふ心の おくれねば
 わかると人に 見ゆばかりなり』」
 聞き覚えのない和歌に、和雲は深養父を振り返った。
「私も以前に大切な友を見送ったことがありましてな。その時に詠んだものですが――友を思う心は空さえも往き来する。人目には別れるように見えるだけで、心というものは常に心を追いかけ、離ればなれにならんものです」
「空さえも」
「さよう」
「……そう、でしょうか」
「いかにも」
 先だってからずっと、にこにこと微笑んでいる男。その様子に和雲がいよいよ肩の力を抜きかけた、その矢先のこと。
「ぎゃんっ」
 すぐ近くから、また別の声がした。
 深養父の背中の向こう側に何かがどすんと出現して、そして勢いよくひっくり返ったのである。
「おやおや、また客人かな?」
 深養父はなおも動じずにそちらを見やる。和雲もおそるおそる、彼の肩越しにそちらの方をのぞき込んだ。
 そこには、現在の和雲と同じような単装束に身を包んだ、同じような年格好の少女の姿が。
「えっ……」
 その顔を見て、思わず驚嘆の声を落とす。
「いたたぁ……。あ、あれ、ここって……?」
 少女の方も辺りをふるふると見回した。何が起こったかわからない、というように、ぱたぱたと忙しなく手を動かして自分のまわりや服装をチェックしている。
「まさか……」
 和雲は立ち上がって、まじまじと出現者を見つめた。
 黒いストレートヘアに白い肌。大きな瞳をぱちぱちと瞬かせながら、身にまとった薄紅の表着をつまんでしげしげと眺めているその姿。
 白妙のぶらうすの君――兄の婚約者である古典教諭の彼女に瓜二つの、年若い少女の姿がそこにあったのだ。
「せ……っ」
 言いかけて、和雲は先の言葉を飲み込んだ。
 狸の世継と狐の繁樹が“白妙の衣の君”と称した彼女の名は、萩野祈子はぎののりこという。
 和雲の通う高校の国語科、古典教諭であり、和雲の実の兄・大和の婚約者。そして和雲が、人知れず淡い憧憬を抱いていたその相手……。
 あらためて、突如として現れた少女をまじまじと観察してみる。
 目もとや口もと、それに控えめながら容貌のまとまりを引き立てている鼻筋。顔立ちは祈子先生にほんとうによく似ている。
 でも実際の先生と比較して考えると、この少女は一回り……少なく見積もっても七、八歳以上は若く見える。高校生くらい……いや、もう少し下、中学生くらいか?
 ――先生も俺みたいに見た目設定を変えられて飛ばされてきたのか。それとも似ているだけの別人なのか……いやでも、他人の空似にしては、あまりにも……。
 和雲は悶々と考え込む。まじまじと凝視しているうちに、彼女のほうは彼女のほうで状況を確認するべく恐る恐る深養父に切り出した。
「あ、あの……」
「はいはい?」
「失礼ですが……こちらは、一体……?」
「おやおや、あなたも迷い人であられますかな」
 まことに千客万来な夜ですなぁ、と、いたって涼しい顔のまま深養父がくつくつと笑う。
「こちらの娘さんも、さきほどお見えになられたところなのですよ。どうですかな、お二人とも。お茶でもいかがですかな。菓子でもお持ちしましょう」
「あ……い、いいえ。どうぞお気遣いなく!」
「そうですか? ではまぁ、各々ご事情はございましょうが、これも何かのえにしとて。このおもしろかりける月の夜を、ともに楽しむといたしましょうぞ」
「おもしろかりける月……ですか?」
「さよう」
 小首を傾げる彼女に「ご覧なさいな」と深養父は夜空を示した。
「眠れぬ夜には眠れぬままに、縁側で琴でも奏でていようかと起き出してきたのですが、あまりにも趣のある月夜でしたのでな。かようにして一人、雲間からの月見を楽しんでおったところなのですよ」
 確かに見事な月だった。白く丸い月が、濃紺の空高くに燦々と照り輝いている。和雲はこれまでにも何度か平安魔鏡の月を見たが、その明るい円形は現代のそれよりもよほどクリアに見える気がする。まるで胎児を抱いている母体のようなその模様図さえ、ありありと縁取られて照らし出されているのだ。
 しばらく眺めていると、ふいと辺りが暗くなる。いたずらに千切ちぎられたような雲が、いくつもいくつもまばらに浮かんでいて、風に運ばれたそれらが月の姿を見え隠れさせているからだった。
「夏は日暮れから夜明けまでが近うございますからな。お月さんも、やっと天へとお登りになって山の向こうへ沈んでいる暇もありますまい。はて、それではもはや明け方も近いこの時分に、月はどちらにお隠れになるんでしょうな」
 へぇぇ、と和雲は思わず嘆息を漏らす。そんなふうに、月や夜の時間を堪能するようなことを今まで考えたこともなかった。なんともゆったりとした、現代人の和雲からすれば贅沢にすら感じる時間の流れ。
 祈子先生似の少女は、生真面目そうに黒髪を揺らして考え込んでいる。ややあって、「ええと」とおもむろに口を開いた。
「……雲の陰に、でしょうか。この夜空には、それ以外に身を隠す場所もない」
「なるほど」
 ほっほと、さも愉快そうに深養父は一際大きな声をたてて破顔した。

『――夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを
 雲の何処いずくに 月宿るらむ』
(夏の夜は短くてすぐに明けてしまう。月も西の山かげに沈むヒマがなくて、雲のいづこかに宿をとって隠れているのだろう)

 はっと音がするほど勢いよく、黒髪の彼女が深養父を振り返った。
「それは……」
「いやはや、いとおかし。まだ宵のうちに明けてしまうような短い夏の夜に、月は雲陰に宿をとって一休みでもしておられるのでしょうな。そうして明日の夜にまた、ひょっこりとお姿をお出しになる。神出鬼没で、まるで今宵のあなたがた二人のようではありませんか」
 彼女が再び口を開くその前に、視界がぐずりと溶解した。深養父の詠んだものが百首のうちの一つだったのだと和雲が認識するよりも早く、辺りの風景は一面もやのなかに沈み落ちていったのだった。




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