【マーケティングの心理学】女性は「ファーストガンダム」に興味を持たないのは周知の事実だが、男性も「知りすぎている」という呪いを受けている
YouTubeを見ていた。
ある女性がガンプラの自販機について話している。
「リーオー?」
「シャア専用……? ズゴック……? って書いてあります」
「シャアを知らないなんて信じられない」
正直に言うと、そう思った。
その後、私はいちど立ち止まって思考が宇宙にまでいった。
そして理解した。
ああ「知識の差」よりも、「思考の差」のほうが大きい。
私は呪われている。
心理学では、この現象に名前がある。
「知識の呪い(Curse of Knowledge)」
そして、この呪いは私だけではない。
あなたにも例外なくかかっている。
知識は、人を賢くする。
しかし同時に、人を不自由にもする。
「知識が増えることは良いこと」
誰もがそう思っている。
もちろん間違いではない。
だが心理学は、その裏側を教えてくれる。
人は、一度知ってしまったことを「知らなかった頃」の感覚で考えられなくなる。
専門家ほど初心者に説明できない。
プログラマーは専門用語で話す。
税理士は税法を前提に話す。
医師は病名から説明を始める。
そしてガンダムファンは「シャアくらい知ってるでしょ」と言う。
悪気はない。
ただ、自分の世界が「普通」になってしまっただけなのだ。
「普通」は世界で一番危険な言葉である
私は「普通」という言葉が苦手だ。
普通は知っている。
普通は分かる。
普通はこう考える。
本当にそうだろうか。
ガンダムを20年間見てきた人の普通。
ゲーム好きの普通。
投資家の普通。
プログラマーの普通。
全部違う。
つまり普通とは「自分が長くいた場所の常識」でしかない。
それを世界共通のルールだと思い始めた瞬間、人は考えることをやめる。
知識の呪いとは「知っていること」ではない。
「知っている人間にしか見えない世界を、現実そのものだと勘違いすること」なのだ。
でも動画は面白かった
この動画が伸びた理由を考えてみた。
前述通りガンダムの知識はあまりに浅い。
だから面白かった。
「リーオー?」
「シャア専用……? ズゴック……? って書いてあります」
多分この女性、ガンダムは知っているけど、連邦というのは知らない。
そのひとつひとつが新鮮だった。
古参には当たり前でも、初心者には未知の世界。
そして、その未知へのリアクションは二度と撮れない。
知ってしまえば終わりだからだ。
実はYouTubeで人気の「初見実況」「リアクション動画」は、この心理を利用している。視聴者は知識を見に来ているわけではない。
自分が失ってしまった"初めて"を見に来ている。
知識は、感動を減らす
これは少し残酷な話だ。
知識は世界を理解しやすくする。
しかし、その代償として驚きを失う。
映画の伏線が分かる。
物語の展開が読める。
キャラクターの立場が理解できる。
それは素晴らしい。
でも、初めて見たあの日の衝撃は戻らない。
初心者には知識がない。
その代わり世界に驚く力がある。
だから初心者の感想は、
ときに評論家より面白い。
実はあなたの仕事にも、同じ呪いは潜んでいる
これはガンダムだけの話ではない。
会社で新人に「そんなことも知らないの?」と言ったことはないだろうか。
親が子どもに「なんで分からないの?」と言ったことはないだろうか。
SNSで「常識だろ」と書き込んだことはないだろうか。
その瞬間、あなたは知識の呪いにかかっている。
知識は増えた。
しかし、他人の視点を失った。
それは賢くなったのではない。
想像力を一つ失ったのである。
本当に頭がいい人は「知らない」を歓迎する
本当に優秀な人ほど、初心者を笑わない。
むしろ観察する。
「そこが分からないのか」
「そこに引っかかるのか」
「その質問は思いつかなかった」
初心者は市場を教えてくれる。
顧客を教えてくれる。
未来を教えてくれる。
だからAppleも、Nintendoも、多くの成功企業も「詳しい人」だけではなく「まだ知らない人」の視点を徹底的に研究してきた。
新しい市場は、いつも初心者から生まれる。
知識は武器
でも、知識だけでは人は動かない。
人を動かすのは、共感だ。
驚きだ。
新しい視点だ。
シャアを知らない人を笑うことは簡単だ。
でも、その人の視点を面白いと思える人は少ない。
そしてコンテンツを作る人間にとって価値があるのは圧倒的に後者である。
知識はAIでも持てる時代になった。
検索すれば答えは出る。
だから最後に価値を持つのは、「知識」ではない。
知らない人の目を想像できる想像力である。
心を打たれる珠玉の一文
「人は知識を得るたびに世界を理解する。しかし、本当に賢い人は、知識を得てもなお『知らなかった頃の世界』を忘れない。」
シャアを知らない人は、何も失っていない。
失っているのは、むしろ私たちかもしれない。
「それくらい知っていて当然」という呪い。
私は自分の世界の狭さを、世界の広さだと勘違いしていた。
