見出し画像

「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」論争の争点、U字カーブって何?

ご覧の通り、「1,2冊」というライト層では加齢による減少は見られませんが、「月3-4冊読む習慣のある層」においては、労働期間中(生産年齢)に数値が底を打ち、退職後に回復するという明確な「U字カーブ」を描いています。
(略)
しかし、データの限界を差し引いてもなお、この「労働期間中にのみ、特定の読書層が凹む」という事実は、労働環境がまとまった読書習慣を構造的に阻害している可能性を強く示唆しています。

三宅香帆 「『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』はどこが間違っているのか」はどこが間違っているのか

この引用で説明されている明確な「U字カーブ」とは、「1か月に読む本の冊数(2023年)」の棒グラフの世代に対する変化を指したものです。

「労働期間中にのみ、特定の読書層が凹む」という事実(三宅香帆先生による)を示す明確な「U字カーブ」

経緯をおおざっぱに説明します。この棒グラフを用いた「『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』はどこが間違っているのか(抄)」という記事で、飯田一史先生は「働く前から読書量(1か月に読む本の冊数)はほぼ一定だと述べました。そして、ほぼ一定であるなら、三宅香帆先生の著書の根幹である「働いていると本を読めなく(読まなく)なる」とは言えないと指摘しました。

その指摘に対して、三宅先生は「『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』はどこが間違っているのか」はどこが間違っているのかにおいて、「1か月に読む本の冊数が3-4である層に限定することで、労働期間(20歳から59歳)にのみ、その層が凹むので、働いていると本が読めなくなることは事実」と反論しました。

飯田先生の述べていることは、各層での世代別で増減する割合について、最大値と最小値の幅は(いずれも全体の10%に満たないので)ほぼ一定だとみなせる、と私は理解しました。一方、1か月に読む本の冊数が3-4である層の中では最小値 (4.5%) は労働期間の中で、労働期間外である最大値 (8.4%) の6割程度まで減少しています。三宅先生の考えでは、全体では小さい変動でもその小さな層の中では大きな変動とみなせる、ということでしょう。


余談 「読書習慣のある人」の定義にかかわるグラフの部分追加

三宅先生は、「月3-4冊読む習慣のある層」を読書習慣のある人たちとして定義しています。不思議なのは、その定義で5冊以上読む習慣のある層を読書習慣のある人たちから排除していることです。この不思議さを解消するために、1か月に読む本の冊数が3以上(グラフ中では>3で示す)である割合と、1以上(>1で示す)である割合もグラフに追加しました。そうすると、読書習慣のある人たちの分母が増加するので、最大値に対する最小値の比率は7割程度と、少し比率が抑えられます。

「U字カーブ」が事実でない証拠

気になるのは、三宅先生がグラフにおける明確な「U字カーブ」を事実とみなしていることです。グラフが描くのは、限定された人数に対する調査結果ですから、偶然労働期間に入っている人たちが「月3-4冊読む習慣のある層」ではなかった可能性もあります。

そこで偶然の可能性を排除するために、AIが教えてくれた、文化庁による「国語に関する世論調査」において5年ごとに行われている同一内容の調査結果もグラフにします。

「平成30年度国語に関する世論調査」(PDFファイル
「平成25年度国語に関する世論調査」(PDFファイル

上のグラフの調査の5年前の同一内容の結果
上のグラフの調査の10年前の同一内容の結果

特に、前回の5年前の調査が行われた2018年は、『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』のまえがきに書かれているように、三宅先生が社会人1年目で本が読めなかった年です。その書籍の根幹が成り立つには、三宅先生が事実とした明確な「U字カーブ」がグラフに現れなければなりません。

しかし、明確な「U字カーブ」は5年前の調査も10年前の調査も事実として現れませんでした。これら3つの調査結果から示唆されるのは、2023年の調査における明確な「U字カーブ」は偶然の可能性が高く、事実と断定した三宅先生の反論は間違っているということです。

三宅先生の推薦書籍に基づいて、三宅先生のデータの読み解き方を批評する

そして最後に、データの読み解き方を学ぶための名著として、こちらの一冊を推薦させていただきます。
統計でウソをつく法 (ダレル・ハフ (著), 高木秀玄 (翻訳))

三宅香帆 「『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』はどこが間違っているのか」はどこが間違っているのか

では、三宅先生にならって、三宅先生のデータの読み解き方をこの名著(のネット上の解説「統計を使って人を騙す10の方法」)で検証しましょう。

A 「労働期間中にのみ、特定の読書層が凹む」という事実

三宅先生は反論の中で、「月3-4冊読む習慣のある層」においては、労働期間中(生産年齢)に数値が底を打ち、退職後に回復するという明確な「U字カーブ」の一例をもって、「データの限界を差し引いてもなお、この「労働期間中にのみ、特定の読書層が凹む」という事実」があると断言しました。

2 関係というのはいつまでも続くものではない
例え、相関関係や因果関係が確認されたとしても、現在わかっているデータの範囲を超えた部分に関しては「よくわかっていないのだ」ということを受け入れ、認識しましょう。

Kan Nishida 統計を使って人を騙す10の方法

しかし、そのデータは(三宅先生が限定したことによる)サンプルの少なさに我慢したとしても、2023年の1点で観測されただけです。三宅先生が読書できないと社会人1年目に経験したことを、2018年のデータは示していません。よって、「U字カーブ」が存在するとは限らず、「労働期間中にのみ、特定の読書層が凹む」という事実はありません。

B 1か月に読む本の冊数が3-4である層に限定したことによる明確な「U字カーブ」

三宅先生は、「令和5年度国語に関する世論調査」のデータ「1か月に読む本の冊数(2023年)」から「1か月に読む本の冊数が3-4である層に限定」し、明確な「U字カーブ」を示しました。

4 小さなサンプルからは驚くような結果を導き出すことができる
サンプルサイズが十分に大きく、より大きな母集団の分布と同じであれば問題ないのですが、研究に与えられた予算が限られていたり、アンケートに対する回答率が低かったりといった理由で、心理学、行動科学、医療科学分野の研究は少ないサンプルサイズでデータの分析を行わざるを得ないことが多いというのが現実です。しかしその結果、そうした研究の結果には疑問の余地が残るものであったり、再現できないものであったりということがよく起きています。
サイエンティスト(科学者)は、大抵の場合、正統な理由で小さいサンプルサイズを使わざるを得ない場合が多いのですが、広告業界の人たちは、自分たちに都合の良い結果を得るために、あえて少数の人達を集めたテストをたくさん行うということをよくやります。
(略)
この時あなたが、この歯ブラシを売りたいマーケターだとすれば、都合のいい調査結果だけをレポートし、他の結果は捨ててしまえばいいのです。そうすれば、「この歯ブラシは90%の歯医者に支持されている」という広告を打つことができます。

Kan Nishida 統計を使って人を騙す10の方法

つまり、その「U字カーブ」は、データ全体3339(=83+258+380+577+632+656+973)から限定された211(=(83x8.4+258x5.0+380x4.5+577x5.2+632x4.7+656x6.1+973x7.7)/100)だけから構成されています。データ全体のわずか8%です。三宅先生の勧めている書籍にある、サンプルが少ないので再現できない可能性があるという指摘の通り、5年前、10年前のデータでは再現されませんでした。

C 読書習慣のある層の平均冊数は長年3-4冊で推移している

三宅先生は、明確な「U字カーブ」を示す際に、毎日新聞社「読書世論調査」において読書習慣のある層の1か月に読む本の平均冊数は長年3-4冊で推移していることを理由に、サンプルを限定しました。つまり、読書習慣のある人とは、1か月に読む本の冊数の平均は3-4冊であって、1-2冊や5冊以上になると読書習慣のある人とはみなせない、と三宅先生は定義しました。

5 データを説明する全ての数値を見る
研究や分析の結果で一つの数値しかレポートされていないものはたいてい、何かその研究を行っている人が隠したいものがあると思ってよいでしょう。
(略)
たいていの場合、データの要約だけではなく、データの詳細というのが重要で、一つの要約された統計値(平均など)だけで全体の姿を捉えるには限界があるのです。
10 一つの統計値を信じすぎてはいけない
1つの数字を信じすぎるということは、その数字が得られたある特定の状況に対して過学習しすぎているということでもあります。
統計やデータが、純粋に客観的であるということはありません。統計とは不確実なデータの一つの解釈に過ぎないのです。
(略)
1つの値ではなく、値の範囲を見るべきです。数値だけでなく、その信頼区間を求めるべきです。

Kan Nishida 統計を使って人を騙す10の方法

1か月に読む本の冊数の平均が2冊の人を読書習慣のある層に含めたくないというのは、三宅先生の主観で仕方ないとしましょう。しかし、5冊以上も含めず、平均冊数の範囲を見ない理由は説明が見つかりません。

三宅先生のデータの読み解き方とは

三宅先生は、さすが推薦するだけあって、書籍に書かれた統計でウソをつく方法をよくご存じでいらっしゃいますね。『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』は学術論文ではないので、その主張の根幹が事実かどうかにこだわらず、そういった書籍だと認識して読めば面白く楽しめるでしょう。

最後に

『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』の批評への反論「1か月に読む本の冊数が3-4である層に限定することで、労働期間(20歳から59歳)の層のみが凹むので、働いていると本が読めなくなることは事実」が、成り立つ可能性の低い主張であることを実際のデータを使って示しました。

結局の問題は、そもそも三宅先生の反論が万が一正しく、飯田先生の指摘が間違いだったとしても、根幹である「働いていると本を読めなく(読まなく)なる」が事実かどうかはまったく明らかでないことです。

三宅先生は次のように書いています。

拙著で統計データを多用することは本題からそれてしまうため(何度も書きますが、私の書いた『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』はマクロデータで語ろうとした本ではありません)必要最低限にとどめていました。
(略)
だからこそ、データを扱う際には、自説に有利な数字の切り取りを行うのではなく、データの背景にある定義や構造的な違いまで踏み込んだ、誠実な解釈が求められるのではないでしょうか。

三宅香帆 「『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』はどこが間違っているのか」はどこが間違っているのか

当初の主張である「働いていると本を読めなく(読まなく)なる」ことを示す統計データはまったく示されていない、三宅先生が誠実な解釈の必要性を述べられることに誠実さを感じません。

※2025年12月14日追記
本稿の目的は「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」の統計的裏付けをとることではなく、タイトル通り「『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』はどこが間違っているのか」はどこが間違っているのか、です。そのため、私は文中で述べたように「あえて飯田さんと同じデータソース・分析手法」を用いることで、その論理の不十分さを主張しています。使用しているデータセットや定義そのものへの疑義は本稿での検証では行っていません。

ならば、なぜ三宅先生は「働いていると本を読めなく(読まなく)なる」ことを実証されないのでしょうか?されているなら使用したデータセットや定義をなぜ示されないのでしょうか?『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』の根幹である「働いていると本を読めなく(読まなく)なる」という(相関関係ではなく)因果関係に納得していない方々が、今回の論争で顕在化されたにもかかわらず。

三宅先生と以前に対談をされた、武蔵大学人文学部教授の北村紗衣先生は次のように、納得できない主張をするなら証拠をたくさん示さなければならないと述べています。

同じ批評家として考えを共有されているのであれば、納得していない方々は北村先生のようにたぶん急ぎはしないので、『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』の根幹である「働いていると本を読めなく(読まなく)なる」因果関係を示す統計データをいつか拝見できることを楽しみにしています。

付録 文化庁調査による「1か月に読む本の冊数」 (2013, 2018, 2023) の CSV データ

グラフを作成するときにひとつずつ書き写すのが大変だったので、準備したcsvファイルを次に添付しました。使うときは、正しさを自分で確認した上で(一部の合計が99.9%や100.1%になるところは確認ずみです)元データ「文化庁「国語に関する世論調査」」を適切に引用してください。自己責任でご利用ください。

2013,1か月に読む冊数,www.bunka.go.jp/tokei_hakusho_shuppan/tokeichosa/kokugo_yoronchosa/pdf/92701201_06.pdf,,,,,,
年齢,0,1-2,3-4,5-6,>7,無回答,>=1,>=3
16-19歳,42.7,29.3,19.5,3.7,4.9,0,57.4,28.1
20-29歳,40.5,36.8,12.9,5.5,4.3,0,59.5,22.7
30-39歳,45.5,37,11.3,3.9,2.3,0,54.5,17.5
40-49歳,40.7,39,12.3,3.1,4.7,0.3,59.1,20.1
50-59歳,44.3,37.5,11.3,3.4,3.1,0.3,55.3,17.8
60-69歳,47.8,34.2,10.9,3.2,3.5,0.5,51.8,17.6
>70歳,59.6,27.8,7,2.5,3.2,0,40.5,12.7
,,,,,,,,
2018,1か月に読む冊数,www.bunka.go.jp/tokei_hakusho_shuppan/tokeichosa/kokugo_yoronchosa/pdf/92701201_01.pdf,,,,,,
年齢,0,1-2,3-4,5-6,>7,無回答,>=1,>=3
16-19歳,40.7,40.7,15.3,3.4,0,0,59.3,18.7
20-29歳,46.6,44,6.9,0.9,1.7,0,53.4,9.5
30-39歳,48.1,37.7,9.5,3.5,0.9,0.4,51.5,13.9
40-49歳,45.4,35.9,10.8,4.6,3.3,0,54.6,18.7
50-59歳,41.6,43.2,9.2,2.3,3.6,0,58.4,15.1
60-69歳,43.7,39.1,8.7,4.4,4.1,0,56.3,17.2
>70歳,54.1,33,6.4,2.4,3.8,0.3,45.6,12.6
,,,,,,,,
2023,1か月に読む冊数,bunka.go.jp/tokei_hakusho_shuppan/tokeichosa/kokugo_yoronchosa/pdf/94111701_03.pdf,,,,,,
年齢,0,1-2,3-4,5-6,>7,無回答,>=1,>=3
16-19歳,66.3,22.9,8.4,1.2,1.2,0,33.7,10.8
20-29歳,65.1,26,5,1.6,2.3,0,34.9,8.9
30-39歳,65,27.4,4.5,0.5,2.6,0,35,7.6
40-49歳,61.5,29.6,5.2,1.4,2.1,0.2,38.3,8.7
50-59歳,62.7,28.6,4.7,1.9,1.7,0.3,36.9,8.3
60-69歳,60.1,30,6.1,2.1,1.4,0.3,39.6,9.6
>70歳,63,24.9,7.7,1.4,1.6,1.3,35.6,10.7