縁歩5歩目|「器用貧乏」だって財産
こんばんは、よっしーです。
人との縁(えん)に導かれて、小さな一歩(ぽ)を踏み出す。
今日もどうぞ、お付き合いください。
「あの頃、冷めた目で見ていた大人に、僕はなっていた」
教員になりたての頃、職員室には“窓際の先生”がいました。
担任も持たず、部活も持たず、校務分掌も軽め。
空き時間には、静かに新聞や本を読んでいる──。
当時の僕は、その姿を「何もしない大人たち」と冷ややかに見ていました。
「こっちは時間に追われて必死なのに……」
若さゆえの正義感だったのかもしれません。
気づけば、自分がその“年齢”になっていた
今の50代は、そんな“窓際”ではいられません。
担任、部活、学校運営の中核──ベテランも若手並みにフル稼働。
「年齢に関係なく、働き続けなければ回らない」
それが今の学校です。
一度、立ち止まって考えてみた
これまでの自分を振り返ったとき、こんな姿が見えてきました。
目立たないけど、だいたいの仕事はそつなくこなす
頼まれると断れず、空いたポジションに自然と“はめられる”
自分の得意分野が分からず、気づけば“なんでも屋”に
よく言えば「器用」、悪く言えば「器用貧乏」。
人に感謝されることも多いけれど、“自分で選んでやっている感覚”が薄れていたのも事実です。
「自分が行きたい場所に行く」なんて思ってもいなかった
ある日、異動の辞令が突然届きました。
希望を出していたわけでも、選んだわけでもない異動先。
「やれと言われたからやる」
「行けと言われたから行く」
僕はただ、与えられた役割をこなすコマだったのかもしれない。
そんな思いが、胸の奥に沈んでいました。
そんな時、ある“ご縁”がやってきた
起業家として活躍している同世代の方と話す機会がありました。
その方の言葉が、僕の心を突き動かしました。
「自分の“好きなこと”だけに全集中してますよ」
「でも、全部“自己責任”です。だからこそ生きてる実感があるんです」
僕は、言葉を失いました。
「生きている実感」──その言葉が胸に残った
教員という仕事に誇りはあります。
でもそれは、本当に“自分で選んだ道”だったのか?
決められたカリキュラム、定められたルールの中で動く毎日。
そこには確かに安心感はあるけれど、
「自分で選び、切り拓く人生」ではなかった気がします。
年齢を重ねたからこそ、できることがある
僕ら50代は、長年の経験で多くのスキルを自然と身につけてきました。
年間計画や指導案を通した「プランニング力」
生徒指導で培った「根気強さ」
委員会や部活の人員配置に必要な「経営力」
学級通信で磨いた「ライティング力」
修学旅行やイベントで求められる「企画運営力」
なんでも屋だったからこそ、広く深く学んでこれたこともある。
だったら──これからは、“自分の好き”に全集中してみたい
全部はできなくていい。
すべてを器用にこなす必要もない。
だからこそ、これまでの経験の中から
「本当にやりたいこと」を一つだけ選んでみたい。
そして、それにとことん向き合う人生を、
これからの後半戦に据えてみたいと思ったんです。
なんでも屋を卒業して、“自分”という専門家になる。
最後に
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
あなたは今、誰かに「はめられた」場所で生きていませんか?
もしそうなら、一度立ち止まってみてもいいかもしれません。
人生の後半戦、ここからが「本番」かもしれません。
あなたが「財産」と言える強みは何ですか?
よかったらコメント欄で教えていただけると幸いです。
