しゃべくり007 「英語ができない英語の先生」論を、データと研究で検証する
1. 何が言われたのか
河野太郎氏がテレビ番組で、日本の英語教育について次のような趣旨の発言をしました。数学ができない数学教師はいないが、英語ができない英語教師はまだ結構いる。だから文科省を動かして教員に英語の試験を受けさせ、毎年公表して成績の悪い都道府県は「たたく」ようにした。さいたま市や福井県のように、早期開始やALT配置に力を入れている自治体は成果が出ている、という内容です。

この「英語教師の英語力」批判は、少なくとも20年以上繰り返されてきた定番の論点です。感情的に反論することもできますが、ここでは違うことをします。研究は何を明らかにしていて、何を明らかにしていないのか。それを確認したうえで、この議論が政策論として成立しているかを考えます。
先に結論を書きます。教員の英語力が生徒の英語力をどれだけ伸ばすのかを直接検証した研究は、国際的にもほとんど存在しません。つまりこの議論は、エビデンスがある側とない側の対立ではなく、双方にエビデンスがない状態で行われています。
2. まず数字を正確に押さえる
文部科学省「令和7年度 英語教育実施状況調査」(2026年6月18日公表)の数値です。

生徒側
中学3年生でCEFR A1レベル(英検3級)相当以上:54.6%(平成25年度は32.2%)
高校3年生でCEFR A2レベル(英検準2級)相当以上:52.4%(平成25年度は31.0%)
高校3年生でCEFR B1レベル相当以上:23.9%
教員側
中学校でCEFR B2レベル(英検準1級)相当以上を取得:58.5%(平成25年度は27.9%、令和6年度は46.2%)
高等学校でB2レベル相当以上を取得:84.4%(平成25年度は52.7%)
高等学校でC1レベル(英検1級)相当以上を取得:25.6%
中学校でC1レベル相当以上を取得:11.1%(令和7年度から調査項目に追加)

ここで押さえておきたい点が三つあります。
第一に、教員の英語力は一貫して上昇しています。中学校では13年で約2倍、高校では8割を超えました。ここ数年の高校教員の「準1級すら持っていない人が多数派」という描写は、少なくとも高校については現状と合いません。中学校の令和6年度から令和7年度への大幅な伸び(46.2%から58.5%)については、調査基準日が12月1日から翌年2月1日に変更され、特別支援学級・特別支援学校中学部が対象に加わるなどの変更があるため、単純な前年比較には注意が必要です。
第二に、これは「試験を受けさせた結果」ではありません。調査項目は一貫して「取得している教師の割合」であり、英検・TOEFL・TOEICなどの資格やスコアを保有しているかを尋ねるものです。全教員に一律の試験を課す制度ではありません。自治体独自にTOEIC等を実施している例はありますが、国の調査そのものは保有状況の把握です。ここは番組での説明とずれる部分だと思います。
第三に、生徒側の数値の中身です。文科省の定義では、A1相当以上には「実際には外部検定を取得していないが、2技能または3技能の試験のスコア、公式記録にならない試験のスコア、CAN-DOリストに基づく自校のパフォーマンステストの結果などから、それに相当する英語力を有していると英語担当教師が判断する生徒」が含まれます。令和7年度の中学校では、判断根拠として自校のパフォーマンステストの結果を挙げた割合が49.6%あります。つまり自治体間の比較には、測定方法の差という無視できないノイズが含まれています。
3. 「数学の先生」との比較はなぜ成立しにくいのか
「数学ができない数学教師はいない」という対比は直感的に強いのですが、教科の構造が違います。
数学教師にとって、数学は教える内容です。英語教師にとって、英語は教える内容であると同時に、教える媒体でもあります。この二重性が、英語教師の「能力」の議論を難しくしています。Faez & Karas(2017, RELC Journal)も、まさにこの二重性、教授のための言語能力を定義する難しさ、そして社会文脈によって有効な指導技能が異なることを挙げて、教師の言語能力と指導力の関係の検証は一筋縄ではいかないと述べています。
もうひとつ。数学教師に求められるのは、高校数学ができることではなく、高校数学を教えられることです。同様に、英語教師に求められる英語力とは何なのかを定義しないまま「英検準1級」という単一の指標で議論すると、測っているものが本当に必要な能力なのかが検証されないまま進んでしまいます。
4. 研究はどこまで分かっているのか
出発点はRichards(2017)
この論点を整理した最も参照される文献は、Jack C. Richards の "Teaching English through English: Proficiency, Pedagogy and Performance"(RELC Journal, 48(1), 7–30, 2017)です。世界の英語教師の多くは英語を第一言語としておらず、雇用者の設定する基準に届かないことも多い。ではそもそも、効果的な英語教師であるためにどのような英語力が必要なのか。この問いを正面から立て、英語で英語を教えるために必要な特化した言語技能を記述し、言語能力と指導力の関係、言語能力が指導の各側面に及ぼす影響を検討しています。
この論文が示す最も重要な区別は、一般的な英語運用能力と、教室で英語を教えるための英語力は別物だということです。後者はFreeman らが English-for-Teaching と呼び、香港では Classroom Language Assessment という形で実際の評価枠組みになっています。日本でも、日本と香港の英語教員英語力指標を比較検討した研究や、中高英語科教員を対象に108項目を収集して「教師の英語力」を操作化しようとした研究(関東甲信越英語教育学会誌 31号)があります。
Richards の枠組みを踏まえて整理すると、少なくとも次の四つを分けて考える必要があります。
一般英語運用能力(英検・TOEIC等が測っているもの)
教室英語力(生徒の理解度に合わせて英語を調整し、指示・説明・やりとりを行う能力)
言語についての知識と気づき(なぜその表現が不自然なのかを説明できる能力)
教科教育学的知識(どう教えれば学習が起きるかについての知識)
「英検準1級保有率」が測っているのは、このうち一つ目だけです。
量的な統合はメタ分析が一本
数量的に統合された知見としては、Faez, Karas, & Uchihara(2021, Language Teaching Research, 25(5), 754–777)があります。19研究を統合し、教師の言語能力と教授自己効力感の間に r = .37 の中程度の相関を見出しました。ただし著者ら自身が、自己効力感の分散のうち言語能力で説明できるのはごく一部にすぎず、言語能力は重要だが自己効力感には他の要因が多く関わると述べています。
ここが決定的に重要なのですが、このメタ分析の従属変数は「生徒の英語力」ではなく、教師自身の自己効力感、つまり自己報告です。生徒の学力ではありません。
閾値仮説
Richards, Conway, Roskvist, & Harvey(2013, Language Learning Journal, 41(2), 231–246)は、ニュージーランドの外国語教員7名を、言語能力レベルの異なる事例として、面接と授業観察から分析しました。ここで示唆されたのは、教師の言語能力が特に効いてくる領域が限定的だということです。たとえば、生徒が授業中に産出した言語の質をその場で評価する、次の授業で扱う言語項目を特定する、テストや評価を設計する、といった場面です。
つまり、一定の水準を超えると、英語力のさらなる上積みが授業の質に与える影響は逓減していく可能性があります。Le Van Canh & Renandya(2017, RELC Journal)が会話分析の手法で示したのも、高い英語力が必ずしも効果的な教室英語使用に結びつくわけではないということでした。
他教科の研究からの類推
英語教育の外に目を向けると、もう少し確かなことが分かっています。
ドイツのCOACTIVプロジェクト(Baumert et al., 2010, American Educational Research Journal)は、10年生の代表標本を用いて、数学教師の教科内容知識と教科教育学的知識を区別して測定しました。結果は、教科教育学的知識が認知的活性化と個別の学習支援を媒介して生徒の学習の伸びに実質的な正の効果を持つ一方、両者が高相関であるにもかかわらず、教科内容知識の予測力は教科教育学的知識より低いというものでした。ただし、Fauth et al.(2019)や Förtsch et al.(2018)のように、教科教育学的知識と生徒の成績の間に有意な相関を見出していない研究もあります。
経済学からは、Hanushek, Piopiunik, & Wiederhold(2019, Journal of Human Resources)が31か国のPIAACデータを用い、国レベルの教師の認知能力が生徒の学力と強く関連することを示しました。一方、同論文が引く Grönqvist & Vlachos(2016)は、IQテストのような非教科特異的な一般認知能力指標では、教師の認知能力が生徒の学力に及ぼす影響はごくわずかだったと報告しています。
この対比は示唆的です。効くのは教科に特異的な知識であって、一般的な能力の高さではない。英語教育に翻訳すれば、汎用の英語試験のスコアよりも、教室で英語を運用する力や英語についての知識のほうが効いている可能性が高いということになります。
そして、直接的証拠はない
ここまで見てきて、正直に書かなければならないことがあります。
日本の教員の英語力が、日本の生徒の英語力をどれだけ伸ばしているのか。この因果関係を推定した研究を、私は見つけられませんでした。国際的にも、教師の言語能力と生徒の学習成果を直接結んだ研究はごく限られています。数少ない例外として、Butler(2007, TESOL Quarterly)が韓国の小学校教員のアクセントが児童のリスニング理解に与える効果を検証していますが、これは「英語力の高低」ではなく「アクセント」を扱った研究です。
日本国内にあるのは、教員に必要な英語力の水準を尋ねた認識調査(Butler, 2004, TESOL Quarterly)、指標開発の研究、そして都道府県単位の集計データを使った相関分析です。因果推論として設計された研究は、管見の限り存在しません。
これは決定的に重要な点です。「教員の英語力が低いから日本人は英語ができない」という命題は、支持する証拠も反証する証拠もない状態で、20年以上主張され続けてきました。
5. 文科省自身の分析をどう読むか
令和7年度調査には「生徒の英語力と諸要素の関係」という分析が載っています。高校について、学校単位で相関係数を算出したものです。
生徒の英語による言語活動との相関:0.59
教師の英語力(C1相当以上取得率)との相関:0.16〜0.21
ALTの授業内外の活動やICT活用との相関:0.18〜0.38


すべて5%水準で有意です。文科省はここから、生徒の英語力には言語活動、教師の英語使用・英語力、ALTとの授業外活動などが影響しており、ICTやALTの活用が重要だと結論づけています。
この分析の読み方には、いくつか注意が必要です。
まず、相関の大きさです。教師の英語力と生徒の英語力の相関は0.2前後です。分散説明率にすれば4%程度です。同じ表の中で、生徒の言語活動との相関0.59のほうがはるかに大きい。文科省の分析結果自体が、「教員の英語力」より「授業で生徒が英語を使っているか」のほうが強く関連していることを示しています。
次に、単位の問題です。参考として掲載されている令和6年度の分析では、中学校の数値は都道府県単位で算出されており、生徒の英語力と言語活動の相関が0.90と極めて高くなっています。一方、高校の学校単位の数値は0.59です。同じ関係を、47のデータ点に集約して見るか、数千校のデータ点で見るかで、相関はこれだけ変わります。集計単位を粗くすると相関が誇張されるのは統計学の基本で、生態学的誤謬と呼ばれる問題です。都道府県別のランキングを見て「あの県は教育委員会が頑張っているから成果が出ている」と読むとき、私たちはこの罠に踏み込んでいます。
そして最大の問題は、これがすべて相関だということです。英語力の高い教員は、学力の高い学校に配置されやすい。進学校には英語力の高い教員が集まり、そこには家庭環境に恵まれ塾にも通う生徒が集まります。この交絡を統制しない限り、相関から因果は読み取れません。
なお、教員の英語力の指標として、高校の分析ではB2ではなくC1相当以上の取得率が使われています。高校教員の84.4%が既にB2相当以上に達しているため、B2では学校間の差がほとんど出ないからだと考えられます。裏を返せば、準1級というラインは高校についてはすでに識別力を失いつつあるということです。
6. 学校種によって、求められる能力の配分は変わる
ここが議論から抜け落ちやすいところです。
仮に英語教師に必要な力を、一般英語力、教室英語力、言語知識、教科教育学的知識、学習者理解、学級運営、といった複数の軸で表すとします。この配分は、学校種や生徒層によって大きく変わります。
小学校では、担任が英語を教える場面が多く、そもそも英語を専門としない教員が担当します。Butler(2004)が韓国・台湾・日本の小学校教員を対象に行った調査では、教員は自身の英語力を、自分たちが必要だと考える最低水準よりも低く評価しており、特に話す・書くという産出技能を受容技能より弱いと認識していました。ここで効いてくるのは、高度な読解力や語彙力ではなく、簡単な英語でやりとりを続けられる教室英語力と、児童を安心させる学級運営の力でしょう。
中学校では、初学者に体系を導入する場面が中心になります。なぜその語順なのか、なぜその時制なのかを生徒の理解度に合わせて説明する言語知識と、間違いを恐れさせない教室づくりの比重が高くなります。
高校、特に上位層を扱う場合は様相が変わります。生徒が書いた英語のどこが不自然なのか、なぜ不自然なのかを説明する。生徒が読む素材が抽象的になり、教師自身の読解力が問われる。生徒の産出をその場で評価してフィードバックする。Richards らが「英語力が特に効く領域」として挙げたのは、まさにこうした場面でした。ここでは一般英語力の比重が相対的に高くなります。
一律の「準1級」という基準は、この配分の違いを一切考慮していません。小学校教員に準1級を求めることと、高校の上級クラス担当者に求めることは、意味がまったく違います。
7. ALTと早期英語教育は検証されているのか
番組ではALT配置と早期開始が成功要因として語られました。ここも確認しておきます。
ALTについて。令和7年度調査によれば、高校でALTが英語の授業の半分以上に参画している学科は12.2%で、約1割にとどまります。参画内容としては、やりとりのモデル提示(95.5%)、生徒のやりとりの相手(95.6%)、発音指導(93.8%)、発言や作文へのフィードバック(93.9%)などが挙げられています。

では、ALT配置が生徒の英語力を伸ばすという因果的な証拠はあるか。私が調べた範囲では、日本のALT配置効果を因果推論の枠組みで推定した研究は見当たりませんでした。文科省の分析にあるのは、先に見た学校単位の相関(0.18〜0.38)です。ALTを多く配置できる自治体はそもそも予算が潤沢で、教育投資全般に積極的である可能性が高く、この交絡を除去した推定は行われていません。
ネイティブスピーカーであることが常に有利かという点についても、慎重であるべきです。Butler(2007)が示したのは、韓国の児童にとって教師のアクセントがリスニング理解に影響するということでしたが、その方向性は単純ではありません。「生の英語」という表現が持つ直感的な説得力と、実証的な裏づけは別のものです。
早期英語教育について。こちらは日本に良質な研究があります。豊永耕平・須藤康介(2017)「小学校英語教育の効果に関する研究:先行研究の問題点と実証分析の可能性」(教育学研究 84巻2号, 215–227)は、先行研究では交絡要因を統制して代表性のあるサンプルを分析するという統計的因果推論の過程が軽視されてきたと指摘したうえで、大規模調査データの二次分析を行いました。結果は、小学校英語教育は1・2年生から始めた場合にのみ中学生の英語学力に正の効果をもたらす可能性があるが、外国への親しみやグローバル人材意識などには統計的に有意な効果をもたらさない、というものでした。
この研究に対しては、寺沢拓敬(関東甲信越英語教育学会誌 32号, 57–70)が、政策アウトカムとの適合が不十分であること、共変量だけでなく中間変数と見なせるものまで統制しているため効果を過小評価している恐れがあることなどを指摘しています。つまり、早期開始の効果についても、決着はついていません。「早く始めれば伸びる」も、少なくとも現行の週数コマ規模の外国語活動については、自明ではないのです。(政策研究はまったくの素人なので、補足してくださったり、指摘があると大変ありがたいです!)
8. では、どこにお金を使うべきなのか
ここまでの整理から、現時点で擁護できる立場を書きます。
一定の水準までは、教員の英語力に投資する合理性があります。教室で目標言語を使った授業を成立させるには、最低限の運用能力が要ります。文科省自身の分析でも、教師の英語使用の割合が高いほど生徒の言語活動が充実するという関連が示されています。
ただし、その水準を超えた後の追加投資の効果は、おそらく他の要素より小さくなります。高校教員の84.4%がすでにB2相当以上に達している現状で、この指標をさらに押し上げることに教育予算を集中させる根拠は、研究にはありません。COACTIVの知見と、教科特異的知識は効くが一般認知能力は効かないという経済学の対比を踏まえれば、限界的な収益率が高いのは教科教育学的知識と教室英語力への投資である可能性が高い。文科省の相関分析が示す「言語活動0.59 対 教師の英語力0.2前後」という数値も、同じ方向を指しています。
そして、単一指標をKPIにすることの弊害を指摘しておきたいと思います。「英検準1級保有率」を公表して低い自治体を「たたく」という運用は、その指標が本当に指導力を代理しているかが検証されていない以上、測定妥当性の点で問題があります。目標が指標になると、指標が目標にすり替わります。教員が休日を使って英検準1級の対策をすることが、生徒の英語力向上に最も効率的な時間の使い方かどうかは、誰も検証していません。
9. おわりに
誤解されたくないので明記しますが、私は「教員の英語力はどうでもいい」と言いたいのではありません。それもまた、エビデンスのない主張だからです。
正しい言明は「分かっていない」です。そして、分かっていないことを分かっていないと認めることが、研究への投資と、まともな政策設計の出発点になります。
日本の英語教育について、私たちは生徒の英語力を毎年測っています。教員の資格保有状況も毎年測っています。しかし、その二つを個人レベルで結びつけ、学校の選抜性や家庭背景を統制したうえで、教員のどの能力が生徒のどの伸びに寄与するのかを推定した研究は、ありません。データはあるのに、問いに答える設計になっていないのです。
「英語ができない英語教師」という物語は、分かりやすく、犯人が特定でき、そして20年間、何も解決してきませんでした。次に必要なのは、たたく相手を探すことではなく、何が効くのかを測る仕組みを作ることだと思います。
参考文献(主要なもの)
文部科学省(2026)令和7年度「英語教育実施状況調査」結果
Richards, J. C. (2017). Teaching English through English: Proficiency, pedagogy and performance. RELC Journal, 48(1), 7–30.
Faez, F., Karas, M., & Uchihara, T. (2021). Connecting language proficiency to teaching ability: A meta-analysis. Language Teaching Research, 25(5), 754–777.
Faez, F., & Karas, M. (2017). Connecting language proficiency to (self-reported) teaching ability. RELC Journal, 48(1), 135–151.
Richards, H., Conway, C., Roskvist, A., & Harvey, S. (2013). Foreign language teachers' language proficiency and their language teaching practice. Language Learning Journal, 41(2), 231–246.
Butler, Y. G. (2004). What level of English proficiency do elementary school teachers need to attain to teach EFL? TESOL Quarterly, 38(2), 245–278.
Butler, Y. G. (2007). How are nonnative-English-speaking teachers perceived by young learners? TESOL Quarterly, 41(4), 731–755.
Baumert, J. et al. (2010). Teachers' mathematical knowledge, cognitive activation in the classroom, and student progress. American Educational Research Journal, 47(1), 133–180.
Hanushek, E. A., Piopiunik, M., & Wiederhold, S. (2019). The value of smarter teachers. Journal of Human Resources, 54(4), 857–899.
豊永耕平・須藤康介(2017)「小学校英語教育の効果に関する研究」教育学研究, 84(2), 215–227.
亘理陽一・草薙邦広・寺沢拓敬・浦野研・工藤洋路・酒井英樹(2021)『英語教育のエビデンス』研究社
