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実家は貧乏だったけど、なんとかなった

「うちの方が貧乏だった」「いや、うちの方がすごい」と、夫婦でたまに貧乏自慢をする。

夫もわたしも、エピソードが豊富なほど実家が細い。それはそれは細い。


わたしの定番貧乏エピソードはまだ小学校の低学年のとき、お風呂のない借家に住んでいた頃の話。

海と山に囲まれた自然豊かな集落に住んでいたので、夏になると家族で川の上流へ行き、そこで頭と体を洗っていた。ついでに川海老を獲って、その場で焼いて昼食にしたりもしていた。


わたしの幼馴染の旦那さんがこのエピソードが大好きで、都会育ちの旦那さんは会うたびに「俺この話、好きなんだよね」と言ってくれる。

わたしもこの話が好き。

今思えばなかなか原始的な生活なのだけれど、思い出の中に不思議と悲壮感はない。思い出すのは、冷たい水の気持ちよさや、木々に囲まれた川の匂い、姉弟で遊んだ楽しい時間ばかり。

まだ思春期前だったので、そういうことが恥ずかしいと思うこともなく、ただ真夏の水遊びが楽しいと思っていたからかもしれない。


わたしが物心ついたころは祖父母の家で暮らしていたけれど、保育園の途中からは家族5人で小さな集落へ引っ越し、そこから借家を転々として、最終的には母が抽選で当てた県営住宅へ入居した。いまでも父がそこで暮らしている。

両親は2人とも奄美大島出身で、それぞれ東京と埼玉の大学を出たのち再び島に帰り、父が子供の頃から憧れていたという畜産と農業を夫婦で続けていた。

2人とも朝から晩まで働きづめで、収穫が忙しい時期は暗くなっても帰ってこない。鍵などかけたことも無い家だったので、放課後は友達と暗くなるまで遊んでから家に帰り、姉弟で空腹を抱えながら両親の帰りを待っていた記憶がある。

親がいない夜の家はやっぱりどこか心細く、お母さんが専業主婦の友達の家に遊びに行くたびに「学校から帰ったら家にお母さんがいるのはいいなぁ」とはうっすら思っていた。


でも大人になって思い返しても感謝していることは、自分の家を裕福だと思ったことはなかったけれども、貧しいとも思ってなかったこと。

人の輪の中にいるのが好きでお金がないわりに何かと頼られていた父と、家にお金が無いことの不満や不安が少なからずあったと思うのに、それらを子供達に一切見せないしぶつけなかった母。

お金の余裕なんてほとんどなかったはずなのに、なぜか家には「なんとかなる」という空気があった。

見せなかっただけなのか、子どものわたしが気づかなかっただけなのか。
どちらにしても、両親のあの余裕感はすごい。

お金のない家で育ったおかげか、わたし自身もお金の使い方が非常に下手で、1人暮らしをしていたころは毎月リボ払いに追われ必死に生活していた。

「来月のカードの引き落としどうしよう」という絶望感を何度も味わっていたので、あの人たちなんであんなにケセラセラと暮らせていたのかと不思議でならない。


でも40代になったいま、わたしなりに両親があんなに余裕があった理由もなんとなく分かってきた気がする。

父の実家も母の実家も、どちらも公務員の家だった。

父の実家は祖父が郵便局員(もちろん民営化前)、母の実家は祖父母ともに定年まで高校教師をしていて、定年後は自宅で大人向けの書道教室もやっていた。

そう。

あの2人の「人生なんとかなる」余裕感は、実家の太さ(安定感)からくるものなのかも知れない…!と、40代にして思う。いや、たぶん絶対そう。

実家が太いって、「人生なんとかなる」の土台が最初から心の中にあるのだろうか。


実は母が天国に行ってしまった直後、いろいろ整理していたら消費者金融からの借金がけっこう残っていたことが発覚し、いやなんか大丈夫かなと思ってたけどやっぱりか!となった。足りない生活費をそこで工面していたらしい。

しかし母の生前、家に借金があることは姉弟3名とも知らされてもいなかったし、感じたこともなかった。毎月借金と返済を繰り返しながらもあの「なんとかなるでしょ」感はすごいと、やっぱり今でも思う。

そしてその借金は相当長い期間借りていたようで、発覚したと同時に過払金請求で整理して、結果的に家族に戻るお金まであった。

すごい、本当になんとかなっている。


夫もわたしも、細い実家しかない。

だからか、あの2人のような持って生まれた余裕感は出せない。貧乏にならないようにと、川の上流でお風呂は入れないと、毎日せっせと働いている。

でも、あの頃を恥ずかしく思うこともなくお互いに貧乏自慢できること自体が、なによりも自慢かもしれない。

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