初老クライシスと、甘い光
最近、少し考え込んでしまう話を聞きました。
ひとつは、推し活に夢中になった同年代の女性の話。
もうひとつは、退職後に投資の勉強を始めた男性の話です。
どちらも、はじめに聞いたときは、悪い話ではないように思えました。
好きな人を応援すること。
新しい勉強を始めること。
これからの暮らしを少しでもよくしたいと思うこと。
どれも、前向きなことです。
年を重ねてから、何かに夢中になれる。
それはとてもすてきなことだと思います。
けれど、話を聞いているうちに、私は少しだけ胸がざわざわしました。
そのざわざわが何なのか、しばらく自分でもわかりませんでした。
友人から聞いた話です。
その友人の知り合いに、同年代の女性がいるそうです。
その人は、ある若いタレントさんを応援するようになってから、とても元気になったそうです。

それまで少し沈んでいたのに、急に表情が明るくなった。
出かける場所ができた。
話す相手も増えた。
新しい服を買い、遠くの会場にも足を運ぶようになった。
友人ははじめ、
「楽しみができてよかったね」
と思っていたそうです。
私も、それだけ聞けば、そう思います。
家にひとりでいるより、好きなものがあるほうがいい。
同じ話で笑える人がいるのも、ありがたいことです。
でも、そのうち少しずつ、お金の使い方が大きくなっていったそうです。
遠くまで何度も出かける。
グッズをたくさん買う。
贈り物もする。
周りの人よりも、もっと応援している自分でいたい。
そんな空気が、少しずつ出てきたそうです。
そして、その女性は言ったそうです。
「これは、ほかの人には言えないの。嫉妬されるから」
それを聞いた友人は、少し驚いたと言っていました。
応援しているはずなのに、いつのまにか比べている。
楽しんでいるはずなのに、どこか競争になっている。
そういうことも、あるのかもしれません。
もうひとりは、退職後の男性の話です。
年金だけでは心もとない。
物価も上がる。
この先、どうやって暮らしていけばいいのか。
そんなことを、ぽつぽつ話していた人でした。
ある日、その人が急に明るい顔で言いました。
「投資の勉強を始めることにしたんだ」

これからは、自分でお金を増やす時代だ。
いい先生に出会った。
ちゃんと学べば、まだ間に合う。
そんなふうに、とても張り切っていたそうです。
それもまた、表だけ見れば前向きな話です。
退職してからも勉強する。
新しいことに挑戦する。
それは立派なことです。
けれど私は、その話にも少し胸がざわざわしました。
なぜでしょう。
たぶん、その明るさが少し急だったからです。
昨日まで不安そうだった人が、急に、
「これで大丈夫」
という顔になる。
その変わり方が、まぶしすぎたのです。
人は、弱っているときほど、まぶしいものに吸い寄せられるのかもしれません。
「あなたは特別です」
「今からでも変われます」
「まだ間に合います」
「これを知っている人だけが、うまくいきます」
そんな言葉は、心細いときには、とてもあたたかく聞こえます。
まるで、寒い日に差し出された毛布のようです。
ああ、助かった。
これで私は大丈夫。
まだ終わっていない。
そう思えるものが、急に目の前に現れる。
それは、どれほど嬉しいことでしょう。
でも、その毛布に高い値札がついていることもあります。
しかも、その値札は、最初は小さく見えるのです。
少しだけなら。
これくらいなら。
最初に得をしたから。
みんなもやっているから。
ここでやめたら、もったいないから。
そう思っているうちに、気がつくと、ずいぶん遠くまで歩いてしまうことがあるのかもしれません。
推し活と投資の話。
まったく違うようで、どこか似ている気がしました。
どちらも、はじめは明るい顔を連れてきます。
新しい世界。
新しい仲間。
新しい自分。
「私はまだ大丈夫」
そう思わせてくれるものです。
でも、そこに、
「もっと認められたい」
「ほかの人より上に立ちたい」
「一気に取り戻したい」
という気持ちが混ざってくると、少し危うくなるのかもしれません。
好きな人を応援しているはずが、いつのまにか自分の存在を証明する場所になる。
お金を学んでいるはずが、いつのまにか一発逆転の夢にすがる場所になる。
どちらも、入口はやさしい顔をしています。
だからこそ、こわいのだと思います。
私は今、六十歳前後の人が感じる不安について、よく考えます。
若いころのようには働けない。
体力も気力も、少しずつ変わっていく。
家族も、それぞれの生活に入っていく。
年金だけで大丈夫かしら、とふと思う。
病気になったらどうしよう、と夜中に考える。
そんな気持ちは、誰にでもあるのではないでしょうか。
私にもあります。
だから、誰かがまぶしいものに走っていくのを見たとき、
ただ「危ないわね」と思うだけではすまないのです。
もしかしたら、私の中にも同じ不安がある。
同じさみしさがある。
同じように、何かにすがりたくなる日がある。
そう思うと、人ごとではなくなります。
中年クライシスという言葉があります。
でも私は最近、もしかしたら、初老クライシスというものもあるのではないかと思うようになりました。
人生の後半に入り、これまでの役割が少しずつほどけていく時期。
母であること。
妻であること。
会社の人であること。
誰かに頼られること。
忙しくしていること。
そういうものが、少しずつ手から離れていく。
そのとき、人はふと心細くなるのだと思います。
そして、そこに強い光が差してくる。
「こちらへどうぞ」
と言われる。
その光が本物の太陽ならいいのです。
でも、ときどき、舞台の照明みたいな光もあります。
明るくて、きれいで、胸が高鳴る。
けれど、そこに立ち続けるには、お金も体力も必要になる。
そして照明が消えたあと、前よりも深い夜が残ることもあるのかもしれません。
では、どうしたらいいのでしょう。
私にも、はっきりした答えはありません。
ただ、まぶしい話に出会ったときは、少しだけ立ち止まりたいと思います。
すぐに飛び込まない。
すぐに申し込まない。
すぐにお金を出さない。
まずは、お茶を一杯いれる。
湯のみを両手で持って、少し冷ます。
そして、自分に聞いてみるのです。
「これは、本当に私を幸せにするものかしら」
「私は今、さみしいだけではないかしら」
「不安を消したくて、急いでいないかしら」
そんなふうに。
たぶん、人生の後半に必要なのは、劇的な逆転ではなく、静かな確認なのだと思います。
今日のごはん。
眠れる夜。
無理のない仕事。
少し話せる人。
散歩できる足。
笑えるテレビ。
あたたかいお茶。
そういうものを、ばかにしないこと。
地味だけれど、足元にあるものを、ひとつずつ確かめること。
まぶしい光に飛び込む前に、
自分の小さな灯りを消さないこと。
推し活も、勉強も、投資も、悪いものではないと思います。
人を元気にすることもあります。
世界を広げてくれることもあります。
でも、それが自分を苦しくしていないか。
お金を使うほど、心細くなっていないか。
仲間が増えたはずなのに、どこか孤独になっていないか。
ときどき、そっと確かめたいものです。
私も、もう人ごとではない年齢になりました。
だから、まぶしい話には、少し日傘をさして。
あわてず、ゆっくり。
自分の足元を見ながら歩いていきたいと思います。

