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お布施の感謝(2024年のおわりに)

今年もまもなく終わります。
一年の終わりにあたって、本年の応援(およびお布施・ご喜捨)について御礼申し上げます。

財法二施 功徳無量 檀波羅蜜 具足圓満。
(訳)
在家の物質の施しと、出家の精神の施しと、
その功徳が共にはかりしれないものであり、
その施しの徳目を完全にして身に付けて、
いのちの完成が円満に果たされますように。



1.お金について

お金の話をするのが、わたしはどうも心が進みません。
お話したい・しなければならないと思っていることが色々とあるですが、結局お話しないままになっています。
そこで、ぽつぽつと必要最低限話していこうとは思っています。
そこで今日、Xにいくらかポストしたものを、少し貼ります。

今日のXでのポストより

お金のことって、言ってはいけないみたいな空気になってますけれども。
それは、そういうものもあるのであるが、それが吐き違われているだけ。
秘すものとなるから、陰を作り、汚れていくのです。

オープンな方が、世は良くなります。
秘せば秘すほど、実は汚れていく。
逆なのです。
むしろ、世をよくするには、
お金のことこそ正面から真っすぐ言うべきなんです。
透明になっていないことこそが問題なのですよ。

これを邪魔するものがあるとすれば、
その情報を元に争う勢力があるからです。
それが故に隠しておかなくてはならなくなったりする。
その割合が反転するとき、よい世となる。

お金のことがクリーンになって、
皆が真正面から真っすぐ透明に見られるようになるときにはじめて、
世はよくなります。

お金こそ、一番の問題なのです。
これは非常に逆説的ですが、
これはお金のみが大切という意味ではむしろ全くなく、
一番汚くなりうるからこそ、一番の問題だということです。

お金がもし、人々の間違った執着から離れたものとなるとき、
それは単なる恵みとしてあるだけのものとなり、
ちょうど古代の米のような扱いになるでしょう。

単なる恵みと見るとき、
それはただ純真に命の時間や労の結晶であって、
それは実は心と表裏一体のものとしてあることになるのです。
そこまで行かなくてはならない。

反対に言えば、
そうなっていないという間は、
お金に何か曇りがあるということであり、
それは逆説的に心に何か曇りがあるということである。

逆説的であるが、お金は心の鏡となるのです。
人の執着が最も簡単に現れる。

お金こそ、鏡なり。

ということがまず大事ですね。
お金の話こそ、実はもっとも純真にされなくてはならないんです。
そこにこそ綺麗な世界があるのですが、現実は到底そうなっていない。
そこでわたしは、話せないなあ…といつも思っています。
まず、この事情や、こうした事実を知ってもらえたら幸いです。
そこで、話しやすくなります。

お金とは何か、という話もどこかでしたいと思っています。
逆説的に鏡でもあったり、実は真正面から「命の大切な糧」だからであり、また実は綺麗でなくてはならないものだから、もう一歩言えば「お金についての認識」こそ実は「社会浄化の最大の鍵」となっているものだからです。
反対にいえばお金こそ世界濁悪の病巣であり、光が照らされなくてはならない部分なんです。

それが出来るためには、こころが先に私心なく清らかなものでなくてはならない。そういう心でないと、お金が綺麗なものとして出てきて、綺麗に話せないんです。
これは、表裏一体の問題で、螺旋状に行けばいいと思っています。

ところが、現状そうはなっていないから話にくいな…と思っているのですが、実はこれこそ本当に話さなくてはならない点なんですね。
それをどのタイミングで話すかというだけのことです。大事なのであるが、これは実に逆説的で、それ以上に心が大切だということでもあって、その表裏一体として大切になっているみたいな構造になっているのですね。
わたし、どうも言語化が苦手でして。伝わればよいのですが。

ご質問:お金について話してください

そう思っていたら、或るときある方から「お金について話してください」というご依頼がありました。ああ、その手があったか、ご質問であれば答えるしかないのだから自発的に話しているような感じにはならないし、とてもよい始まり方だなと思いました(それで原稿だけ書いて、実は半年ほど寝かしてあります)。
お釈迦さんも、基本的には質問ありきで説法がありました。説法の基本は自分から話すものではないんですね、あくまで基本はですけれども。なので、この話は、そのご質問者さんのご質問ということで、来年初めごろに執筆しようと思っています。
生活・命の真ん中にあるものなのだから、お金の話はむしろ大切。むしろど真ん中で大切なことなのだと、このご質問のおかげでさらにはっきり思いました。純真たる法話として、むしろしなくてはならない。

こういう絶妙な位置にあるのが、お金なんですね。触れるのが難しい、しかし反対に一番重要なポイントになっている。そう思って、聞いていただけると話がしやすくなります。

幼児からのお金の認識

全くのこれは余談ですが、わたしは小さい頃からお金の話が苦手でした。初めから宗教者としての意識がありましたから、こういう絶妙なものとしての認識がはじめからありました。
大切で綺麗なものではあるが、執着となってはならないものであり、故にオープンに話されるべきである一方で、それほど話されるべきものでもない(話すということは執着と近いところにある)。大切だが、大切ではない。

幼児の初めから今と変わらない理解がありましたので、小さい時から私は無欲でした。これは子供として浮いていましたし、自分でもそれに自覚的でした。
反面逆説的になる訳ですが、親や家自体のお金の総量や出入りが常に念頭にありました。私から言わせれば、古代で言えばお米のようなものであり、家や命が綺麗にあるために綺麗にあるべきものとして、米の収穫量を意識するような感じで意識していました。

はじめからそういうまま来ていまして、この幼少から知っていることは真実として伝えなくてはならないこと、世が備えていくべき理解なのだと思っています。

お金の勉強をしてきた(公認会計士試験など)

そこで、ノート5000枚の果てに一旦完結して、これから歩んでいく道を考えたときに、「これから宗教者として立っていくにあたって、自分にもっとも縁が無いのはお金についての理解である。」「それでは社会の人々に、お金のこともわからない者に、何がわかるかと思われて、人々が真理に触れる機会を奪ってしまうであろう。ゆえに私は宗教者になる前に、お金のことこそ理解しておいた方がよい」と思って、敢えて商学部に進み、経営学・経済学・会計学を大学生の間に学んだという過去が実はあります。公認会計士の試験範囲は全て一通り終えましたし、経営学も理論の範囲では学部生レベルですが学び、経済学はミクロマクロ共に院試程度のものは学びました。
そういう背景がわたしにはあります。

そこで、そのような点からもお金についてある程度理解し、宗教的・哲学的にもこれを理解しているものであり、お金というものについて理解をもっているものですので、そのうち記します。


2.お布施について

お布施については、現代非常に話がややこしくなっています

もはやその理解はこじれきっていて、見ていて絶望を感じてきました。
何より、そのこじれをほどこうとしてお布施について話しはじめたら、それに執着しているように見えてしまって、正しいものは結局伝わらなくなるという負のスパイラルを感じてきました。

そこで、お布施とはということを単に説明したいのですが、これも今まで出来て来ませんでした。実はほとんど執筆出来ているので、これもそのうち発表します。

心苦しいですね。
心苦しくならない世になることを願うばかりです。

お布施の御礼について

そこで、よく言われる問題として、
「お布施にお礼をしてはならない」という話があります。

ご存知でしたでしょうか。
これは、お布施とは何かということを理解して、本当にそう実践されているならば、言わんとしていることはわかるかと思います。
しかし、わたしはこれにすごく違和感があるのですね。

そこで少し、これも今日のポストを貼っておきます。

お布施にお礼をしてはならないというのも、おかしいと思う。

商売的、対価的なお礼は大論外として。
欲しいからお礼を言っているパターンも論外として。

お互いに役立ちあっているのだから、お互いにお礼を言えばいいのですよ。
私は、皆さまの労とお気遣いと縁に、真っ直ぐお礼をいいます。

それを商売的、対価的なお礼と取られたら、
それは誤解になるので誠によろしくないが、
そんなものは、こちらの念や雰囲気で伝わるはずであるし、
長く接していれば基本的には染み出していくであろうと思うから、
私は、徹底して、相互扶助やそうした天地の仕組みに対して礼をいいます。
有難うございます。

仏教でも、
後の時代に仏の意図を理解せずに勝手に変形しているものもあるし、
時代や場面に応じて異なることを自在に理解できずに
どれか一つに固着化してしまっているものもあるし、

常に問うべきは、真理がどうか。
経典すらもその前では参考資料に過ぎない。
ただし、最良無上の参考資料に違いない。

これで伝わっているかはわかりませんが、
私は皆様のお施しやご喜捨にお礼の言葉を述べます。
衆生はみな、互いに助け合って存在するのですから。

私は、皆様のお施しに、感謝の気持ちでいます。
お互いに、相助けて、相助かる。そこに道あり。

今年一年、皆さま、有難うございました。

圓満 拝



【ご喜捨のお願い】

社会の精神的な向上を願って、宗教者の道を歩んでいます。
本物の宗教を徹底して示すべく、厳しくともご喜捨のみで歩んでいます。

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