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不思議話(3章) 滋賀の田舎のバス停で、かつての塾生と遭遇する~過去世からの因縁の人とは不思議と出逢う~

今回は、不思議話第9弾。
「滋賀の田舎のバス停で、かつての塾生と遭遇」という話を記します。
(※これまでのツリーはこちらから閲覧できます:随時更新)


3章.不思議話を列挙する

・滋賀の田舎のバス停で、かつての塾生と遭遇

これは2023.4.19(27歳春)の出来事である。
(※つまり、八坂神社の出来事はもちろん、大神神社での感光から2カ月後のこと)

私はその年の冬、
前にいた職場を退職し、「滋賀の山中の田舎の寺」へ「一旦隠遁する」つもりで入ることになった。

大阪生まれ京都暮らしであった私からすると、人が相当に少なく、「駅からも車で15分ほどかかる山中の静かな処」で、一度研究に集中しきろうと願い3月末から入ったものであった。

入寺して間もなくのある日。

大阪にて止むを得ない用事があったため、車も無かった私はバスで向かおうと、徒歩で25分ほどかかるバス停からバスで向かうことにして朝から支度していた。

大神神社での感光があった後でもあるが、「そのときの運に任せて生きてみよう」という実験をして、色んなことをそのときのなんとなくで進めてみるということをしていた時期でもあり、バスの時間を見ることもせず支度していた。
出る直前に次のバスの時間だけ確認して、それに合わせて徒歩の速度を変えようと時刻を検索したところ、急いで歩かねばならないタイミングとわかったので、急いでバス停へ向かった。

バス停に少し早めに到着する。
多少走りもしたので、息が少し荒い。

少し落ち着いて、スマホで検索をしたりしていたとき。
少し離れたところから、また同様に男子がやってくる。
ちらっと見たところ、
20歳ぐらいの男性で、大学生かその辺りの歳であろうと思われた。

立っていてしばらくして、どうやら彼がずっとこちらを見ているようである。

私は、入山時に自己紹介の紙が檀家さんらに配られ、また或いはYoutubeで法話の動画を早速流していたりして「顔を出して」いたので、もしかしたら「檀家さんのお子さんが私の顔を認知」しており、それで私を凝視しているのであろうか等と考えられた。
気まずい、こんなに凝視されては…。

しばらくして、ついに彼が明らかにこちらへ歩み寄って来た。
話しかけられるだろうか、こちらから挨拶しようか等と思っていたところ、彼から「あの…お名前お聞きしてもよろしいですか」と訪ねられる。

名前を聞くところから始まるのかと少し面白くも思われ、彼の顔を見上げたところ。マスクをしていてよく分からないが、やはり恐らく20歳頃の男子で見たことのない顔に思われた。

その瞬間、脳内を色んなことが駆け巡った。

私が入寺した地域は、滋賀県栗東市。
私は競馬に疎いので知らなかったが、栗東といえば「栗東トレーニングセンター(トレセン)」というものがあるところで、競走馬のトレーニング場として非常に有名な場所であった。

マスク姿の彼の顔の向こうに、
トレセンの入口に立つ競走馬の銅像が目に入る。
そして今度は彼のマスク顔にピントが戻る。

脳というのは面白いもので、記憶に引っかかるものを自動にすごい速度で検索してくれる。そこでぱっと、一つの記憶が走馬灯のように走った。

私は大学時代いくつかアルバイトをしていたが、その一つに個別指導の塾があった。
そこで働き始めてすぐの頃、ある中学一年生の男子が入塾してきた。
入塾してくる姿を見るなり、彼の霊の波長のようなものを見て、その高いことを眺め、同時に「過去世の彼の姿」が見えて、「私と縁が深かった」ことを見た。誰かまでは分からないが、「彼が馬にまたがって弓を背中に武士をしている姿」が見える。

彼とは一瞬で打ち解け、相当に心を砕いて、いつも授業をし、また話をした。
面白いのは、彼のような過去で縁ある人や、高い人は年齢など飛び越えて、まるで当時のままのように話すことができるということである。

私にとって彼は最大のお気に入りの生徒であったし、彼にとってもまた私はそのような塾講師であっただろう。そしてそうした不思議なことも、彼には話し、彼もまたそれを普通に受け止めていた。
恐らく、彼との過去世の縁も話していたはずである(うろ覚え)。

私は指導方針として、「その生徒が何のために勉強するのか」、「どこへ向かっているのか」を考えることが大切であると考え、またこちらの指導においても参考にしたいという思いから、生徒には「将来何をしたいのか」をいつも問うていた。
彼にも問うたところ、彼は「競馬の選手になりたい」と回答したので驚いた。幼い頃にテレビでたまたま競走馬を見たところ、心が惹かれてしまい、ギャンブル等とは一切関係なく馬が好きでならないという。

「珍しいね」といいながらよく考えてみると、彼はやはり一目見た瞬間から「馬にまたがって警護にあたっている何かしらの武士」であって、その癖が現れているだけなのであり、非常に面白いのである。

彼は中学二年生か三年生のころに塾をやめていったが、
何故か彼とはその後も定期的に遭遇する関係で「不思議な縁」であった。

しかし、最後に遭遇してから少し時間が経っていたのであるが。
その記憶が走馬灯のように走り、目の前のマスク姿の男性と重なってくる。

次の瞬間、脳が完全に認識し、彼が目の前の彼だということを理解した。
本当に競馬の選手になったのか…と感動し、普通に名前を回答しても、捻りがなく面白くなかろうと思い「トレセンか!」という回答を以て、久々の再会を果たしたのである。

彼は言葉を失い、私も言葉を失っていた。

これが大阪の地元であれば、まだ偶然ということも有り得ようが、このような「わざわざ一時隠遁しようとして」入ったような滋賀の山際の田舎のバス停で、しかも「同時刻」に鉢合わせ遭遇している。
しかも彼とは、定期的に突然遭遇する縁でもあったので、そうしたこともあって不思議でならなかった。

私からすれば、わざわざ喧騒を離れて人の少ない地域へ隠遁しに来ていたものであるから、人から離れに来たにも関わらず彼と遭遇していることが、偶然の域をゆうに超えていた。

「先生、なんでこんなとこにおるん」と驚きを以て問われる。
「かくかくしかじかで」と回答する。

二人して、言葉を失い、沈黙の時間が流れる。
人間本当に驚いたときには、停止したりするものである。
しばらくしてバスが到着し、隣に坐って談笑する。

「競馬の選手なったん!」と聞くと。
少し笑いながら、
「いや、そうではないねん。競馬の選手はなろうとしたけど、学校を見に行ったときになんか違うなと思って、競馬の選手の学校には行かずに、普通の学校に行って、競馬ラジオのディレクターになって取材でしょっちゅう来てるねん」とのこと。
「えー!めっちゃいいやん。夢叶っててめちゃくちゃ嬉しいわ」と答える。

やはりしばし絶句。
彼が「いや…言葉にできへんわ...」と噛みしめていた。

もう少し面白いことは続く。
どこへ向かっているのかと聞くと、本社のある大阪梅田の茶屋町とのこと。私もまた、その日は茶屋町に向かっていた。

偶然ではなく、こういうのはもはや神遊びだと私は思っている。
この出来事は大神神社からも後のことで、もはや疑ではなかったから、素直にある程度仕組みも理解しながら、また不思議なことを起こされたものだ。道標として有難い、と受け止めていた。

しかも、彼とその後何故か法華経の話になり、法華経の話で盛り上がった。これもまた二人がともに平安時代に生きていたことの延長と思われる。
こうして茶屋町まで談笑しながら帰ったものであった。


まとめ

いかがでしたでしょうか。

人から離れるために、あまり人のいないところに来たつもりが、大阪の地元の彼と遭遇してしまったので、そもそも彼とは定期的に遭遇することもあってなおさら、本当に不思議な経験でした。

皆さまも、ときどきばったり、有り得ないような場所で誰かに出会ったりすることがあるかもしれませんが、
それは恐らく良縁悪縁は問わず、過去世の縁などがある人なのであろうと思います。

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圓寂が、社会の精神性に寄与することを願って、さまざま深い思慮を発信し、活動することを楽しみにしながら…

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