闇夜の一燈としてあり続ける(呟き24.12.7)
昨日、今日、明後日と外出が続き、
執筆が止まっているので、
少しだけ移動がてら記していたところ、
結局あまりに長文化したので、
それは別執筆とすることにした。
4月から、本州近畿圏に住むことにし、
どこに住もうかと、あちこち巡っている。
今日は、昔の摂津国をあちこち巡った。
昔からやたらと茨木高槻辺りに住むと
頻繁に両親に言っており我が家では有名であるが
先祖の霊がそこに多くあることを私は知っていて
そのように言うものである。
それが一体どこなのだろうかと、
この機会にゆっくり地図を探知してみた。
摂津富田がやたらと目に入る。
今まで気がつかなかったが富田とは、トミから来ているのかと直感。
よく見ていると、案の定、
登美の里町という町名や、
三輪神社の名が目に付く。
古代に登美邑から移住した人達が暮らしたらしく
三輪山から大物主を勧請したらしい。
当地を訪れ、お祀りして、
御霊と遊ぶ心地で歌を歌ってきた。
あぁ、執筆せねばならぬことは多い。
最近わたしはようやく本当に腹を括る境地に入ることができている。今までも十分そのつもりであったが、まださらに奥があることを認識するようになった。
生活の不安など、持ってはならない。
全てを捨てるような心地で、全てを投げ打っていくのが、わたしの仕事であると思う。
それが出来るまでに、
この現代のノイズの蔓延している中で、
役目として育てられてきたということだ。
これを確信できるようになった。
かくなるうえは、
もはや崖から飛び込むが、
しかし必ず助かるというような確信をもって
飛び込まんが心地、覚悟である。
わたしは不安を捨てゆく。
社会の現実こそ、
顚倒せる衆生の界である。
社会をやがて反転させるために
私は意図をもって、これを傍目に、
真理そのものに徹して歩み続ける。
それをわかっていたとしても
出来ないような人は、
死後をはっきり認識できていないからなのだと
我が身をもって分かるに至った。
一時に力んで成果を高く出しても
それは実は無理があり後に身体を壊せば
長期では成果は少ないように、
衆生とは輪廻をはっきり知らず
目先のみを真実として
力んでいるものである。
それが、衆生の妄想する、
社会、現実というものの正体である。
それがいつかはっきりする日がくる。
それに飲まれては、わたしの意味がない。
大衆が間違った道を行っているときに、
正しい道を一人でも示すのが、
天啓人の役目である。
釈尊も、
道は、衆生に逆流すると述べている。
わたしは、慈悲の道につとめて、
たとえ一人の燈明であろうとも、
正しい道を照らし、示しつづけよう。
まだ未完成であるものの中から、
完成のものは新たに現れる。
哺乳類から人類が生まれるが如し。
それが法であり、カミである。
そして、それを法は必ず援助する。
私は、闇夜の一燈として、あり続ける。
一燈の火が、他の燈明を生んでいくことを願いながら。
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