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不思議話(3章) 梅田の喧騒で偶然出逢う、龍神と雨について~有縁の古墳到着時に虹がかかる(元伊勢籠神社など)~

今回は、不思議話シリーズ第10弾。
「梅田の喧騒で偶然の再会」「先祖?の古墳にて虹がかかる」です。
これまでに紹介済みの、「偶然出逢うシリーズ」「天との呼応シリーズ」の一部になります。

(※これまでのツリーはこちらから閲覧できます:随時更新)


「梅田の喧騒で偶然出会う」「巡拝時の虹と龍神」

今回は「人と偶然出会うシリーズ」「天と呼応するシリーズ」になります。

2022年11月(26歳)のこと。

ある知人(Mさん)

2022.12.4出雲大社にて

ある知人に「出雲大社に一緒に行きたいですね」とお互いに言っている人(Mさん)があった。

理由説明も兼ねて紹介がてら、この人との不思議なことを記しておくと。

いつしかその人を見ていると、
(妄想か真実かわかりかねるが)先祖さんが出てきて「わたしたちは出雲国から来ました」と言ってこられるので、その旨をお伝えしたことがあった。
あるとき、実家から家系図が出てきて、そこに「出雲国から出てきた」と記されていたとのことであった。
そのようなことがあって、出雲に関する何かの縁を感じていた人であった(このようなことはどうでもよいことで、本当はもっと説明すべきことがあるが、残念であるが控えることとする)。

この人は非常に遠方の人であった。
そんなMさんと、ある縁で疎遠になりかけて一ヶ月ほど連絡が絶えていた。

一カ月後、大阪駅のエスカレーターで

別件でわたしはその頃、大学時代の友人と大阪駅で食事に行く約束があったのであるが、先方の急な予定変更で一週間ずらして会うことになった。そこで彼と大阪駅で無事集合し、エスカレーターを上っているときであった。

突然、反対の下りエスカレーターから「え!円寂さん!」と呼ばれる。
ぱっと、すれ違って遠ざかっていく人を見ると、その知人Mさんであった。

Mさんは非常に遠方の人であって、一方私も京都に住んでいた頃で大阪に出てくることなどほとんどなかったので、その二人が大阪駅近くのそのエスカレーターのすれ違うという「ピンポイントで」「同時刻に」遭遇するということは、ほとんどあり得ないことだと思う。驚きすぎて、言葉にならなかった。
ましてや疎遠になったつもりであった矢先であったこともあり、なお驚いた。
そして後から考えれば、友人が急遽一週間そこで予定をずらすということも巧妙に仕組まれていることを実感するところである。

急いで戻り、対面する。
疎遠になったと思っていた矢先であったので、あまりに面白かった。
しかも以前から、Mさんが「会わせたいといっていた人」が隣にいるタイミングで、それも回収されて面白かった。

そのときはお互いに用事があったので、
また後で落ち合おうということになり、後で落ち合った。

Mさんとは以前から、「出雲大社に一緒に行きたいですね」という話をしていた訳であるが、聞けば「ちょうど翌週に出雲大社に行く予定」であったところだったとのこと。
このタイミングでお会いするということは、やはり「一緒に行く縁」なのであろうということで、Mさんと二人で出雲大社に向かうということになった。
偶然の出会いなどないと、思い知らされるものである。
※ここまでが「人と偶然出逢うシリーズ」。ここからは「天が呼応するシリーズ」に入る。

出雲大社への巡礼へ

そこでMさんと3日間の巡礼をする計画を立てた。
その計画は出雲大社を本来目的としたものであったが、せっかくそこまで行くならばと、「以前から一緒に行きたいと言っていた別件」をも同時に組み込むことになった。
そこでこの、「別件」の方を説明する。

大倉岐命(丹波国初代国造)

私の家(母方)は「大倉家」という。

「倉」の中が君になっている。

「倉」という字は、真ん中が「君」のように突き抜けた特殊な字体であり、これもまたちょうど執筆している今日「近つ飛鳥の博物館」にて、天平時代の文書にその字体を見つけてきたところである。これもまた因果の不思議である…。
この家の起源は全くわからないが、私の幼児からの直感によれば、何か複雑な因縁のある家なのではないかと思ってきたものである。

大倉は母方の家であって、わたしは24歳までは父方の姓を名乗っていたが、大倉家には「子供が私しかいなかった」ので幼児期から「継がなくてはならない」という思いがあり申し出て、そのときに改姓したものである。

このとき仏壇に向かって、「先祖供養を勤めなくてはと思っておりますが、先祖さんらが何者であるか分からないとそれも難しいように思いますのでお教えください」と念じたところ、即時に「国造、舎人、秦氏、和邇」の四語を見せられる。あまりの即時、その想定外の回答に驚く。
どの語句を取って来ても、それがどのように関係するのかは想像がつかず、妄想の可能性も高いと思っているので、話半分で受け止めていた(これは今も全くそうである)。

そこで、すぐにこれらの語句と大倉とを結びつけて色々と検索するなどしてみた。直感的には、大昔に舎人をしていた人があるのではないかと思い調べてみたのであるが、特にヒットしない。舎人のようなもの、名前が残っていないとか、主たる名前としては挙がってこないかなどと思い諦める。

次に「国造」と組合せて検索する。
すると「大倉岐命」なる人物名がすぐにヒットした。
調べれば「丹波国」の”初代国造”だということである。「岐(き)」とは、イザナギ(伊邪那岐)にも使用されるように古代語では単に「男」という意味であるから、「大倉岐命」とは「大倉の男」という名前と思われる。
これがすぐさま大倉家と関係があるとは一切思わないが、これを縁にこの話を知ることに何かの意味があるという可能性もあるし、それから彼について調べていった。

丹波国とは現代では、京都兵庫などを跨ぐ古代の巨大国家であり、大和朝廷にとっても重要な地であった。第13代成務天皇(西暦350年頃)の時代に、全国の首長を「国造」として命じ派遣して統治するということをしていたのであるが、「丹波国」にはニギハヤヒの子孫である「大倉岐命」を初代国造として命じたそうである。
そして彼の子孫はその後分散し、当地に残った家系は「海部氏」となって、天橋立付近にある「籠神社」の宮司家として存続しているものである。一例として、舞鶴市の小倉は、この「大倉」の訛りであるらしい。
ちなみに京都の巨椋池(おぐらいけ)も「大倉」の訛りである。

さらに調べていると、旧丹波国にはこの大倉岐命にまつわる地がいくらか残っていたから、以前からこれを訪ねたいと思っていた。
ここでMさんが「丹波出身」であったので、この話を以前からして一緒に回ってみたいという話をしていたため、これを機会にそちらを回りつつ、出雲大社の方へ行こうということになった。

そこで、行くことになった地はこのようである。
①「天照玉命神社」(福知山市):大倉岐命の先祖がニギハヤヒであったため、大倉岐命が祀ったことに始まるという。
②「布留山神社」(舞鶴市):大倉岐命の古墳があるとされる地域にある神社。「大倉木社」なる記録があったりして、関係が伺われる。
③「嶋満神社」「長谷山」:大倉岐命の古墳の候補地。大倉岐命も、大国主などと同様世襲していた名前である可能性があり、何箇所か候補地がある。
④「籠神社」(天橋立付近):初代を大倉岐命とし、その子孫が宮司家を務める有名な神社。伊勢神宮が今の地に鎮まるまでに移動した地の一つであり、重要な神社として名がよく挙がる。


①「天照玉命神社」(福知山市):大倉岐命が祖神ニギハヤヒを祀ったところ

まずは①「天照玉命神社」(福知山市)に向かう。非常によい土地で、清らかな空気があった。日がよく差し、心地もよく、想いを馳せてみた。
実は恵子さんの「絶対に晴れる」(2章2参照)という言葉以来、重要と思う地にいくときには「雲一つなく晴れる」ことばかりであったので本当にそうなのかといつも驚いていた時期であった。ところが、この日は「雲が一定出て」おり、ここではないのだろうかなどとも考えていた。

そしていよいよ本題の、大倉岐命の魂魄こもれる地を探して「②③=古墳候補地」に向かう。

②「布留山神社」(舞鶴市)

ちょうど到着する頃であった。空模様がどんどん怪しくなり、にわかに雨が降り始めた。恵子さんの話以来初めてのことであったので、雨が降ることに驚き、ここではないのかと考えるなどした。
降りてみると小雨となり、一応②「布留山神社」(舞鶴市)に参拝する。いまいちピンと来ない。雨もにわかに降っており、ここではないのかと、③に移動することにした。

すると今度は、雨が降りながら日が差し始めた。珍しい天気である。
②から③はそれほど離れていないので、しばらくすると到着した。


③「嶋満神社」と「長谷山古墳」

そのとき、空に大きく虹がかかり、雲が急に去っていった。
ああ綺麗だ。日差しも綺麗、雨に濡れたばかりの地面も綺麗、海には虹がかかっている。
そういえば伊勢神宮に僧侶となって意味をもって初めて参ったときにも、前夜に雨が激しく降っておきながら当日は雲一つなく晴れて、濡れた地面と日差しで綺麗であったな…と思うと、これが正しいような感じもした。

③「長谷山古墳」に向かうとき、先程までの雨は嘘のように、日光がますます強く差していた。「ああ、多分ここなのだな…」という感想を抱いた。これが先祖なのかどうかは分からない、ただここが何かある所なのだろうということだけは空気感から思うところがあった。
大倭式の祭祀をして去った。嬉しい心地であった。


④「籠神社」(天橋立付近)

そして④「籠神社」(天橋立付近)へ向かった。
再び雨が降り始める。
日が差しながら、雨が降っており奇妙な天候であった。そういえば、道場に入る日もそのような天気で、空が雲と晴れとで二つに割れていたことがあったななどと回顧したりもした。

到着するとき、不思議と雨は止む。
濡れた地面に、清らかな山際、天橋立。差し込む日の光。
濡れた砂利を踏みしめて、籠神社を参拝する。あまりに心地が良い。歓迎されているような感じがものすごくある。
今回の天気は何なのであろうかと思いながら、出雲大社へと切り替わっていった。

龍神に関する記事

この巡礼から帰宅してすぐのこと。(うろ覚え)
とある男性のSNSでの投稿が流れてくる。

大倭関連の過去の記事の引用であった。
「籠神社」などに巡礼されたときの話などが掲載されていた。
読んでいると、日聖法主の執筆にこのようなことが記されてあった。
以下、要約である。

龍神というものがいる。
神とされるものは本来ただ「過去=上代」にいた存在、すなわち実在した生命の霊である。
龍神とは、恐竜のうち水中にいた水竜の一種で、化石として発掘されていないだけである。

ちょうどクジラが水上を跳んだり、トビウオが飛んだりするように、この水竜は水中を主に暮らしながら、ときどき遊んで水上を跳んだりしていた。中でも竜巻のようなものが起こるときには、この中で跳び乗って、巻かれて上に飛翔して、水中に飛び込んで遊んだりしていた。

これが、ちょうど哺乳類の中で人類が最も霊格が高い存在であるように、恐竜のなかで最も霊格が高い存在として当時の最高霊格としてあって、古代人がこれを霊感で見て「龍神」と呼んだものである。この飛び乗って遊んでいた風は「竜巻」というのもこれによる。

この龍神は水を使って生き、水で遊んでいたので、その死後においても水に対して神通力がよく機能し、霊体として空中に遊んで暮らしており、水分を操作することを得意としている。そこで、水分を神通力で機能させて雨を降らせることも出来たり、すでにある雲に作用して晴らすことも出来たりする。

日聖師の龍神に関する説明の要約。

そこで、日聖法主が各地の神域に赴く際に、「はじめての目的地」であれば特にこの龍神が挨拶に出てきて、必ず雨を降らせて挨拶があるのだという。このとき、単に降るばかりでなく、参拝のときには晴らして、「雨が降って、晴れる」ということが清めともなっていて、このようなことが起こるのが常なのだという。
また物理的に雨雲がどうしてもある場合には反対に、これを食い止めて晴らして待機してくれたりするらしい。

ちょうど天気の不思議を思っていたところ、図ったように流れてきた記事であったから、実に面白かったものであった。

確かに振り返ってみれば、「道場に入る日」も雨が降りながら晴れていたし、「加行に入る日」も雨が降ったあとで虹がかかっていたし、恵子さんに言われて本当に晴れるのだろうかと向かった伊勢神宮も前夜に雨が降って当日は濡れた参道と雲一つない晴天の中を行ったものであったし、今回の丹後巡礼もそうであったので、合点が行った。

母がいつも「あんた、ほんま雨男やな」というのであるが、私は逆に晴れている印象ばかりがあったのであるが、これらが二つとも同時に起こっているから、このようになるのであろう。

虹との遭遇率は非常に高いと感じている。
※「にじ」とは、そもそも「なが」に由来する。「なが」とは龍神や巳神などの長い神霊を言ったものであるから、「にじ」にはそもそもそのような語源・音素があるものである。

あの長谷山古墳周辺は、確かに古代からの霊地であって、
大倉岐命との天的感応か、龍神の感応であったのであろうと思われた。
「そう言っている今日」も、久しぶりに巡礼中であり不安定な天気と予報されるなか晴れとなり、巡礼を終えたと同時に大風と雨模様となっているものである(明日は伊勢神宮)。

この日以来、龍神なるものの存在を素直に「実在した恐竜の一種の霊体」として理解し、理解したからには素直にご挨拶するようになって、明らかに呼応するようになって天候に現れるようになったものである。
これについては引き続き、いくらか執筆することになる。

(註)また、物的と考えられる天的事象と、霊的なこうしたこととの関係については、既にこちらで述べた通りである。



まとめ

いかがでしたでしょうか。

今回は、前回の「滋賀バス停での出会い」に引き続き、「偶然出会うシリーズ」でした。
(本当はもっと色々とあるのですが、表に今は出せないことなので残念)
それから同時に「天との呼応シリーズ」でした。
今回はさらに、龍神や雨晴れについて、一部解説しました。
これから、こうしたことを何件か記していきます。


【編集後記】

今回の記事は2024.12.21冬至の日に記した。
冬至は古代、本来一年の終わりの日であり、その翌日が元旦である。
(※また冬至は年によって前後するが、日聖師はその年の当時の翌日12.23に誕生しており大倭にて元旦を祝う祭典がある)

そこで12/21~12/23にかけて、思う所を巡礼してきた。
日本世界皆ともに浄化されゆくことを祈るため、霊地を清めるため、霊界のことを勉強するためなどのものであり、これも必要な仕事と思っている(ただし私が資格者かは不明)。

一日目は、大阪は近つ飛鳥。「聖徳太子御廟」を目標に、「推古天皇陵」「二子塚古墳」「小野妹子墓」を巡り、最後に「聖徳太子御廟」へ伺う。
二日目は、桜井(三輪出雲)を通り抜けて、伊勢神宮へ。
三日目は、「大倭神宮」へ参拝ののち、大倭の元旦祭典へ。


一日目、聖徳太子御廟の参拝を終えると同時に日没する。

一日目、聖徳太子御廟まで晴れており、夕日もこのように綺麗であったが、聖徳太子御廟を離れ一日の巡礼を終えて夕食に向かうと天候が一変。大風と共に、雨が降りはじめた。

二日目、三輪山が雲に包まれ、雪となる

二日目、天気予報では伊勢は晴れとあるが、宿を出ると曇り空。三輪出雲を抜けて、伊勢神宮へ向かうルートで行く。三輪山が見え始めると、出雲の名に相応しく空は一面の雲模様。雲に霞む、なだらかな三輪山が実に美しい。

そのまま宇陀の方へ抜けていこうとすると、突然の雪。
計算外の天気に安全面に不安にもなるが、こちらから行くようにという感じでこちらを予定して来たので、雪を通っていくことになっているのであろうと、運転に気を付けながら雪道へ。どこ辺りであったか、一転して晴れ空となり、雨がパラパラしながら、綺麗な日差しとなる。


鳥居をくぐると再び雨となり、降ったり止んだりを繰り返す

そのまま伊勢神宮へ到着。
鳥居をくぐると、一転して雨が降り始める。伊勢神宮で雨になったのは初めてのことで少し驚いた。

正宮に到着、正面の御帳が向こうへばっと上がり、ほとんど天井に至ってずっと向こうが見えている(風があったか無かったか、よくわからなかったが)。日聖師が若い頃に参拝したときに、全くの無風で御帳があがりきってしまい、近くにいた警備隊に何者かと質問されたというエピソードを読んでから初めての参拝であった。

おかげ横丁に出てくると再び、雨が止み、昼食を取ろうと伊勢うどんの店に並んでいると、また日が差してきた。その後はずっと、降ったり止んだり日が差していたりの繰り返しの一日となった。

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