「歌詞派であること」25'1028の日記
・音楽について、「曲派」か「歌詞派」かみたいな分類がある。
・このふたつで言えば、僕は歌詞派になる。曲ももちろん好きだけど、アーティストを好きになるきっかけは「歌詞」であることが多い。
・有名すぎるけど、バルーン氏の「シャルル」という曲がある。馴染みのない方のために例えを出すと、ボカロシーンではBUMP OF CHICKENの「天体観測」くらい聞かれてる楽曲だ。
・現時点で5800万再生されている。すごすぎ。
・この曲についてはあらゆる人が言葉を尽くして絶賛しているし、もちろん僕もその一人なのだが、特に粒立てて言いたいのは「歌詞の良さ」なのだ。それも短いフレーズに詰め込まれた情報量が凄まじい。例えば下記。
「此処には誰もいない」「ええ、そうね」
・不道徳な逢瀬を現す言葉として、これ以上美しいものを僕は他に知らない。ふたりのために、ふたりのことを、ふたりの今を、「無かったこと」にする。もちろん、その「無い」は「在る」ことを前提にしている。そこに在る罪悪感や諦念、焦がれるものを全て飲み込んで、共犯関係を結ぶ。その先に何も無いのに。何故なら、ふたりが「無く」しているから。セリフ形式であることも感動する。これは「独白」ではないのだ。「対話」であることが悲恋をより際立たせる。
・10年くらい前のボカロの感想をいま書くのって何なんだ。まぁいいか。
・僕の美学で言うと、フレーズは「誰も思いつかなかった表現を」「誰にでも分かる言葉で」語ることが美しいと思っている。これは個人的な価値観なので誰かに押し付けるつもりは毛頭ない。難解な言葉に宿る情緒というのもあるし、それはそれで好きだ。
・ボカロではない、普通のアーティストで言うと、悒うつぼ氏が好きだ。こちらは曲によって多少難しい語彙はあるが、その使い方が抜群に上手い。ナンセンスでありながら切実な何かが滲んでいる。言葉のテンポも素晴らしい。直感に訴えかけるものがありながら、深く読み解くこともできる。シンプルなのに凄く複雑な構造を持つ歌詞を書く人だ。
・僕はとにかく「言葉」が好きなのだなと思った。誰にでも伝えられるからこそ扱い方が難しい。例え「誰もが知っていること」でも、違う角度から照明を当てれば瑞々しい表現になる。
・MVを作るときも言葉を意識している。その歌詞が意味していることを一度抽象化して、再翻訳して演出に落とし込む。意識しているだけなので上手くやれているかは分からないけど。
・語りだすと止まらなくなりそうなので本日は以上。言葉って不思議!

シャルルのMVが好きすぎて、再現したものをどうぶつの森で作っていた。
