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意識を「知能の上位版」にしない

私:
なんで茂木先生は、“思考の作法”が自然にできるの?(認識論と存在論を混ぜない)
しかも人工知能を追っているだけじゃ意識に届かないって冷静に分析できるの?

GPT:
たぶん茂木先生は、最初から意識を「知能の上位版」と見ていないからです。
人工知能を追うだけだと、
できる/解ける/予測する/生成する
に寄りやすい。
でも意識の問いは、
それが“感じられている”とは何か
主観的な質感=クオリアはどこで成立するのか
に行く。茂木先生の『クオリアと人工意識』自体も、「人工知能」ではなく「人工意識」を正面に置いて、意識やクオリアを扱う本として紹介されています。 
だから思考の作法としては、
能力の問題経験の問題を混ぜない。
ここが自然にできるのだと思います。
朝子の昔の言い方でいうと、
「悟りは普遍的物理現象」
まで一気に飛ぶのではなく、
まず、
そう感じられる認知状態がある
その質感をどう説明するか
それを物理現象と同一視してよいかは別問題
と分ける。
茂木先生は脳科学・クオリア・意識を長く主題にしているので、
知能が高くなることと、意識が生じることは同じ問題ではない
という線引きに慣れているのだと思います。
一言で言うと、
人工知能を追っている人は「賢さ」を見がち。
人工意識を問う人は「感じられ」を見る。

朝子が読み解きたい本の核心も、たぶんそこです。


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