情報における「ジョハリの窓」
ジョハリの窓、という言葉を一度は聞いたことあると思う。
いわゆるこういう自分に関するマトリックスだ。

これを情報に置き換えたらどうだろうか?
①自分も知ってて他人も知ってること
②自分は知っているが他人は知らないこと
③自分は知らないけど他人は知ってること
④自分も知らないけど他人も知らないこと
これをNoteというか、記事を書くという視点で覗いて見ると
①自分も知ってて他人も知っていること。
これって一見、情報性もないけど「共感性」はある。
自分しか感じてないことを他人も感じているのなら知るだけで親近感が
湧くものだ。
②書く側の視点は基本、これだろう。
自分が知ってる専門的な分野を知らない他人、情報を求める人に伝える
行為だ。
③これは読者側の視点となるだろう。
自分知らない知己に対し、情報を求める行為。
④これは悩み相談や実験というジャンルになだろうか。
吐露といってもいい。答えなきものへの問いかけである。
などとつい考えてしまったのには理由があって
Facebookでたまたま大学時代の後輩の池辰彦くんの文章がおもしろくつい考えてしまった。
他にもいろいろあるのでぜひ、読んでいただきたい。
宣伝の仕事をしていることで私の仕事とも近からず、遠からず。
そこには共感もあれば、目から鱗もある。
そんな文章を楽しむツボみたいなことをつらつらと考えているとジョハリの窓を思い出したのが文章の世界はもっと奥深い。
文章の面白さの一つは
「自分は感じているけど、言葉に出来ないものを言語化されたときの快感である」
これは昔、テレビ批評で一世風靡をしたナンシー関さんの文章で何度も味わった経験だ。知識というよりも感情でうっすら気づいてるけど言語化出来てない、認識としては弱いけど、それをクリアにされた時の快感である。
それはテクニック的には視点の切り口と構成の仕方かもしれない。
でも潜在的な悩みを言語化してくれる文才があるんだと思う。
まあ、俺もがんばれよって話なんだけどw
今日もがんばるべ。
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