いつの間にか、戦争が「正義」の話になっている・・・

戦争の話が正義の話になっている。

なになに、ロシアは「国際法を破って」ウクライナに「侵攻した」から正義はウクライナ側にあると。これだけでもかなりのツッコミどころがあるけど、それはここでは書かない。ここではウクライナとロシアの間の歴史的軋轢やら、2022年2月になって俄かにかつ一斉にメディアが報じ始めた「ウクライナ戦争」が本当に戦端であったのか、などなどについての歴史とか、本論の単純化のためにあえて問わない。これはこれで大いに論じられることがあると思うが、この文章の本旨とはしない。

しかるに、ウクライナ側に正義があると一旦仮定しよう。不正義は罰せられ、正義は勝たねばならない。よって、どんな理由があっても侵攻された被害者が勝たなければならない。そういうことらしい。つまり戦争を「正義の問題」だと考えているわけだ。それを知ってか知らずか分からぬが、立派に「正義の論理」に絡め取られている。ここには戦争をする双方に堅固な正義の論理があるということについての想像力の欠如がある。どうも一方に非があるという単純化に与しようとする傾向にあるが、それもここではあえて問わないことにしようか。そう、この戦争に関してはどういうわけか一方にだけ正義があるらしい。これは実にタチの悪い信仰だが、仕方がない。一旦それを信じる人々の論理を肯定しようではないか。それで、どんどん武器やらお金やらを送って戦争を支援するのだという。しかし正義を語り金品で戦争を支えることを主張するその口が、自分の命をその正義のために使ってもいいとか義勇兵になるとかいう言葉を吐くのを聞いたことがない。当事国の国民の命は犠牲になってもいいが、それを支援する自分は生きなければならない。つまり「銃後」の安全な場所で「戦う自由」とか「防衛する側の正義」を語っているのである。そして悲劇的な戦争の継続を結局肯定している。

彼らの主張のひとつは、戦おう、抵抗しようという人々の気持ちを尊重しろということみたいだ。だが・・・待てよ。戦争が一人対一人の、個人と個人の肉弾としての戦いならそれでいいかもしれない。自分の正義や尊厳を賭けて好きなだけ戦えばいい、あなた一人なら。個々人に正義や尊厳のために戦って死ぬ自由はあるが、同胞や家族を道連れにしていい自由などない。戦争は一人では戦えないし、一人の戦いは喧嘩ではあっても戦争とは呼ばない。だから戦争を肯定するその正義は、同胞の道連れの死、という不正義を肯定したり、肯定せずとも平気で無視する。一人の死を嘆くその心で、何十万という戦死に対して、正義の心は無感動になれる。だから、どんな犠牲を払うことも厭わない権力者や正義の支持者が貧しい人々を前線に送る。これは結局権力者や戦争で得する利権者にとって都合のいい戦争ではないか。

「正義の戦争もある」と主張した連中に、戦争そのものを不正義だと私が主張したい理由のひとつは、戦争が戦いたい人、戦いが是であると考える人だけで行われることはまずなく、そうではない多くの人々を広範に巻き込むからである。このような不条理、不正義があるだろうか。だが、正義のために死んで一方の国家が他方の国家に敗れたとしても、正義のために一方の国家の国民が全員が等しく死ぬわけではなく、生きる者と死ぬ者とに分つ。勝利する方も同じだ。勝利する側が全員生き延びるのではなく数限りない同胞の犠牲によって成し遂げるのである。そのような不平等があっていいのだろうか。なぜそのようなエゴを主張した人が生き残り、そうでない人が死ぬのか? 戦争はかくも不正や不平等の問題なのである。戦争の理由も正義も理解できない子供や戦う意思もすべも持たない老人や女性も関係なく、無差別に誰もがその犠牲者となる。だが、戦争の遂行を決められる階層や戦争当事国外の「支持者」たちはまず犠牲者とならない。ありとあらゆる不正義、暴力などの不条理を含むものが戦争ではないか。それが周囲に大いなる迷惑をかける行為であった場合でも、その戦いに正義があるというのが主戦論者の主張となるのである。

これらの不条理な死、無数の死が、一体未来にどんな禍根を残すのか、想像できないのか? そうした不条理の「死の規模」が大きくなればなるほど、未来により大きな戦いの種を残すことになるとどうして主戦論者は理解できないのであろうか? 戦争を長引かせることが死の規模を拡大することであると、わからないのであろうか? 

私が恐れるのは、今進行しつつある争いが、見た目ほど単純なものでないこと; メディアが報じ始めた時点が闘争の始まりではないこと; 一国の行為やその国の支配者に、我々が到底理解できないような事情や背景があること; だが、そうした一切を無かったことにするような事態の理解の単純化を疑問も持たずに支持すること; などなどを許すその正義の心である。その心が戦争を可能にし、戦争の継続を可能にするのだ。そしてその正義の論理を振りかざす人間が、その当事者の国の国民でないことだ。

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