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感情(エモーション)と論理(ロジック)の関係

最近、プライベートでそこそこ大きな決断をいくつかした。きっかけは、年初にあった国際政治上の出来事だった。

同じ出来事をきっかけに、私の周りでも、かなり多くの人が何らかの行動を起こさなくてはいけない状況に陥った。周りを見渡してみると、私と同じく比較的早めに決断、行動した人もいれば、留まることを選択した人、あるいはどうしようかと思っているうちに時間切れになってしまった人などさまざまだ。

この時に私の頭の中にあったのは、以前読んだ本の中の一つのフレーズだ。一字一句覚えていないが、確かこんな感じ。

If you don’t prioritize your life, someone else will.

『Essentialism』

時間はどんどん進み、状況は常に変わるため、自分で決断、行動せずとも、ある時点で時間切れで何らかの状況に陥る。自分で決めなければ、誰かや何かが、代わりに私の人生を決めてしまう。言い換えれば、「自分で決めない」という決断を実はしているのに、「誰かが勝手に」「なにかのせいで」と他責思考になってしまう。「自分で決めない」には「どうなっても受け入れる」がついてくるはずだが、なかなか受け入れたくない心境に陥りがちだ。

私は、自分で決めたかった。

だから、きっかけとなる出来事が起こってすぐ、考え始めた。ロジックツリーにしたり、優先度をマトリクスにしたりして可視化しながら分析したわけではないけれど、いろんな選択肢を様々な観点から評価して、判断し、決断した。最初の段階ではあらゆる選択肢を吟味し、それぞれの選択肢に対して実際に調査をし行動を通して評価し、徐々に狭めていった。

私の決断には私の身近な人たちの人生も巻き込まれていたので、私の考えを説明した。受け入れてくれる人もそうでない人もいた。私たちにはその国際政治上の出来事を基点に発生した問題が共通認識としてはあった。それに対して、それぞれ施策を考えたのだが、同じ出発点なはずなのに、結論が違っていた。

なぜ違ったのだろう、と今になって考えているが、そこに影響しているのは「感情(エモーション)」だな、ということに思い至った。

私たちは「守りたいもの」を共有していなかった。だから、同じ「課題」をたてられなかった。

もし違う感情を抱いていたら、全く別の課題を立て、ロジックも、結論も全然違っていたのだ。

何かを考え、判断する時、前提条件となる事実はとても重要だ。その前提が違えば、ロジックも、結論も変わってしまう。そして、もうひとつ、同じくらいの重要度として、感情があるのではないだろうか。

何か(人、物、コト etc.)が好きか嫌いか、気持ちいいのか不快なのか、守りたいものは何なのか、と言ったすごくプリミティブな感情が、問いを立てる時にかなり影響している。

もしその感情が荒ぶれていたり怯えていたりすると、立てる問いも不安定なものになりかねない。数年後落ち着いてから思い返して、そもそもの問いが間違っていた、そして今の結果が失敗だったと気づくことになりかねない(ただ、自分で決断したものは人は受け入れて結果的には満足しがちということが心理学の知見でも示唆されており、失敗だったと気づくからと言って不幸かというと必ずしもそうではない)。

感情的に決めてはいけない、みたいな言い方はよくされる。それはロジックをすっ飛ばしてはいけない、という点では同意する。でも、感情というのはロジックではどうにもならない、それ以前のプリミティブなものであり、人間が何かを決断するためには必要不可欠なものだ。その存在自体は認めて上手く付き合ってやるべきだ。

回り回って何が言いたかったのかというと、思考プロセスがいかにロジカルであっても、最初の「問い」には感情が大いに関係してくる。であればできるだけ落ち着いた感情を持って、そしてその感情の存在を認識した上で、問いを立てられるといいよね、という話でした。

最近、何年も前に書いた感情周りのポストにスキしてもらえるので、感情について想いを巡らせながら、書きました。

参考:

「自分の選択の結果は受け入れがち」みたいな研究に関することは多分この本にあった。

自分で決めないと誰かか何かに決められる、はこの本。

脳のダメージによって感情がなくなった人(Eliotnさん)が、ロジカルシンキングは問題なくできるのに決断ができなくなった話がこの本に紹介されている。


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