謝らない国で、自分の本音に出会った話
メキシコに来て、不思議に感じたことがある。
「どうして、みんなあまり謝らないんだろう?」
もちろん、人による。でも、日常のちょっとした場面で「あれ?今、軽くごめんって言えば終わるのに」と思うことが、何度もあった。
ある日、タコス屋に行ったときのこと。
私は「1つください」と注文したのに、出てきたのは2つ。
「あれ?1つしか頼んでないんですけど」と言うと、店員は少しばつが悪そうな顔をしてこう言った。
「こういうものだから」
え、どういうもの?と一瞬考えたけれど、仕方なく2つ食べた。
でも会計でもちゃんと2個分。納得はいかないまま、食べてしまった手前、払うしかなかった。
帰り際、やっぱり気になって、あの店員にもう一度たずねた。
「あれ、オーダーの取り間違いだったんですよね?」
彼はさっきと同じ顔をして、「うーん、ぼくもよくわからない」とつぶやいた。
正直に、「間違えた、ごめんね」って言ってくれたら、それでよかったのに。
別の日、バスに乗っていたときのこと。
通勤ラッシュで混み合う中、前に立っていた男性のバックパックが私の顔に何度も当たった。かなり痛い。
何度かよけてみたけど、全く気にする様子がない。
ついに「すみません、リュックが当たってます」と声をかけた。
するとその人は、こちらを見て「そう?混んでるからね」とひとこと。
ああ、またか、と思った。
「ごめんね、気づかなかったよ」と言ってくれたら、それで終わる話だった。
そんな小さな「謝らない場面」が積み重なっていたある日、
メキシコ人の友人から急によそよそしくされることがあった。
「もしかして、あのときの言い方が悪かったのかな」と思い当たる節があり、勇気を出してメッセージを送った。
「あのときは、そんなつもりじゃなかった。もし傷つけていたら、ごめんね」
誠意を込めたつもりだった。
けれどその後、その友人との距離はさらに開いていった。
理由がわからず、メキシコ人の彼に相談したら、彼はこう言った。
「謝ったら、『わざとやった』ってことになるんだよ。謝罪=罪を認めたってことだから」
私は言葉を失った。
私にとって「ごめんね」は、関係を修復するための橋、「あなたの気持ちを無視していない」というサインだった。
でもここでは、それが「罪の告白」になることもある。
そのあと、彼に言われた言葉が、ほんとうに胸に刺さった。
——「その『ごめん』って、本当に相手のためだった?それとも、自分が悪者にならないため?自分がスッキリしたかったから?その場をやり過ごしたかったから?」
本質をつかれ、ハッとした。
私は、関係を戻したかった。
でもそれは、相手のためというより、「嫌われたくない」「気まずくなりたくない」という、自分の保身だったのかもしれない。
それって、本当に誠実だったんだろうか。
そして、もっと言えば——
私がメキシコ人に「謝ってほしい」と思ったとき。
それは、本当に許したかったというより、
「やっぱり私が正しかった」と確認したかっただけなのかもしれない。
謝罪がほしいんじゃなくて、勝ちたかった。
そのことに気づいたとき、自分の中の“謝罪”のイメージがガラッと変わった。
日本では、謝ることは、謙虚であることの表れとされる。
でもふと思う。
それって、本当に誠実な謝罪だっただろうか?
相手を立てるため
場の空気を乱さないため
ただ自分の立場を悪くしないため
そんな理由で、私自身「とりあえず謝る」という癖がついていた。たとえ自分に非がなかったとしても、「ごめんね」と言っておけばその場が丸くおさまるし、相手にも誠意が伝わると信じていた。
しかしそれは、本当の意味での「謝罪」ではなく、「謙虚さ」のパフォーマンスなのかもしれない。
スペイン語では、そういうのを"humildad falsa"(偽りの謙虚さ)と呼ぶことがある。
表向きは低姿勢でも、内心では「自分は悪くない」と思っていたり、むしろ自分の正しさをアピールするために謝ることもある。
謝ることで相手を落ち着かせる。謝ることで、自分の評価を守る。
その謝罪は、相手のためではなく、自分の安心のためだったかもしれない。
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文化の違いは、他人の考え方を知ることだけじゃない。
それは、自分自身の“当たり前”を揺さぶってくれる体験でもある。
「謝ること」が、いつから“安心を買うため、自分を守るための手段”になっていたんだろう
その一言の重さを、メキシコという国で初めて、本気で考えさせられた。
謝ることは、相手を思いやる行為でもあるし、
ときに、自分の不安を押しつける行為にもなりうる。
「ごめんね」の一言が、時に関係を深め、時に関係を壊す。
簡単に口にしていたその言葉を、これからは慎重に選びたい。
それが、本当に誰かを思いやるということならば。
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