子どもの幸せと親ができること
受験をして有名な高校へ行き、有名な大学をでることが幸せとは限らないよねと思う反面、でもできればレベルの高い学校に入ったら、よりよい人生になるかもしれないという矛盾した思いも親として捨てきれないんですよね。
親って子どもの幸せを願う気持ちが強いのか、子どもに対して「できないよりはできた方がいい」って思ってしまうんです。
社会に出る時に持てる武器は多い方が強いのではないか?みたいな。
勉強できないよりはできた方がいいし、
泳げないよりは泳げた方がいいし、
英語が喋れないよりは喋れた方がいいよね
みたいに。
親だって苦手はあるし完璧じゃないのにね。
子どもを幼稚園へ通わせていた頃、教育に関してかなり熱心な方々がいて、週のほとんどを習い事に充てているおうちもありました。
お母さん同士で話していて流されて(張り合って?)同じように習い事を増やしてしまう方もいました。
どんどん足し算をしてしまう発想。
これが木下さんのいうオーバースペックを招く発想と同じだなと感じます。
他の家の話を聞いているとやっぱり英語くらいやった方がいいのではないか?勉強は大切だから中学受験はさせた方がいいのではないか?と気持ちが揺らいで迷ったことも多々あります。
そんな中、ちきりんさんの本に出会い、ブログをみているうちに、何かを選ぶということは、別の何かを選ばないことなんだと意識できるようになりました。
たとえば中学受験の選択をすれば、学力は上がるし、受験を通した様々な経験は手に入るけれど、放課後にみんなで遊び倒したり、近所で悪さをして怒られたり、自転車で遠くまで冒険に行くという偏差値では測れない経験は手に入らないみたいな。
どちらがいいかどうかではなく、正解のない問題だからこそ、小さくても子どもの意思で選んでいかないといけないよねと思うようになりました。親の喜ぶことを察知してしまう子もいるので、選ばせるときにも注意が必要ですよね。
我が家は3人とも友達が受験をしていたとしても、自分は塾に行きたくないし、近所の中学に行きたいとのことで、公立にしました。その後の高校選びも本人の希望を聞き出し、その条件にあった高校を探す手伝いや提案をする程度にしました。
私は、子育てのゴールは子どもが自分で様々な選択をして生活も含めて自立できることだと考えています。とはいえ、「最後は自立を目指している」と時々ゴールを確認しないと周りに流されてしまいそうになるし、徐々に手を離していかねばならないことを忘れ、つい余計な干渉をしてしまいます。
そして自立と同時に大切なことは子ども本人が幸せであること。本人がやりたいことを選んでいく方が面白くて幸せな人生かもなと子どもをみていて感じます。
長男は中学生の時に、有名大学進学率の高い普通高校を塾の先生にすすめられていました。
私は「大学に行くための高校を選ぶより、自分が面白そう行きたいと思える高校を選択したらいいのでは?」と考えを伝えました。
最終的に工業系の高校を選びました。
そこは進学率は高くないけれど、実験とレポートの多い高校で、普通科ではできないことがたくさんできると言っていました。高3の時はグループで宇宙に関する卒業研究をし、チームメンバーとJAXAへ行ったり、どこで見つけてきたのかスタートアップの宇宙系企業の社員さんに話を聞きに行ったりして、それなりに楽しそうに過ごしていました。
その後、その卒業研究をつかい自己推薦で工業大学へ行き、何故かボランティア活動をしたり、モデルロケットプロジェクトに参加したりしてます。
高校で得た知識を活かし、パソコンで設計図を作って、これから先輩達と1メートル超えのモデルロケットの打ち上げの申請をするそうです。これといった夢がない、やりたい仕事もないといいつつ、やってみたいことに少しずつ挑戦していて楽しそうです。
そんな兄を見て、単純な高3次男が兄と同じ大学を目指してます。
今後どう成長するのかもわからないけれど、やりたい気持ちは生きる原動力だよなとあらためて子どもから学びました。私の関わり方が正解かもわからないけれど、親も試行錯誤して成長していくしかないですね。
今、私ができることは、学費の準備とみんなが帰ってくる家をホッとできる場所にすることくらいなのかもしれないです。

家族旅行が懐かしく、貴重な時間だったなと振り返り。1番最後の家族旅行は2020年(高1、中2、小5)でした。
