【ジョンハン編】名前のない関係④
バスルームのドアが、静かに開く。
ふわり、と湯気が部屋にこぼれてくる。
エリは少しだけ顔を出して、部屋の様子を確認してから、そっと外に出た。
ハニのシャツを借りている。
少し大きめのサイズが、肩からゆるく落ちて。
ボタンは適当に留めただけで、鎖骨が少しだけ見える。
袖は長くて、手の甲にかかるくらい。
「……これ、落ち着くな」
ぽつりと呟く。
自分の服じゃないのに、妙にしっくりくる。
ベッドの方に視線を向けると、
「……似合ってる」
すぐに声が返ってくる。
「っ、びっくりした」
エリは少し肩を揺らして、軽く睨む。
「寝てると思った」
「起きてるよ」
ジョンハンはベッドに軽く寄りかかりながら、エリをじっと見ている。
その視線が、やけにまっすぐで。
エリは一瞬だけ視線を逸らす。
「……勝手に借りた」
「いいよ」
即答。
「むしろ、そのままでいてほしいくらい」
さらっと言う。
エリは小さくため息をつく。
「そういうの、ずるい」
「何が?」
「分かってて言ってるでしょ」
ジョンハンはくすっと笑う。
「分かってるよ」
否定しない。
その余裕が、余計にずるい。
エリはキッチンの方に向かいながら、話を切り替えるみたいに言う。
「朝ごはん、何かある?」
「冷蔵庫、適当に使っていい」
「じゃあ……簡単なものでいい?」
「エリが作るなら何でもいい」
その言い方に、少しだけ手が止まる。
振り返らないまま、
「……あんまり期待しないで」
って返す。
でも声は、少しだけ柔らかい。
冷蔵庫を開けると、思ったよりちゃんとしてる。
「……ちゃんと生活してるんだ」
「どういう意味?」
少し笑いを含んだ声。
「もっと適当かと思った」
「ひどくない?」
「だって、ハニだし」
言いながら、卵を取り出す。
フライパンに火をつけて、音が小さく弾ける。
その間も、視線は感じる。
背中に触れない距離で、ずっと見られてる。
「……そんな見られるとやりにくいんだけど」
エリが少しだけ振り返ると、
ジョンハンは変わらず、ゆるく笑ってる。
「見ちゃダメ?」
「ダメじゃないけど……」
言葉が続かない。
そのまま視線を外して、フライパンに戻る。
卵を割る音。
じゅわっと広がる白と黄。
その何気ない音が、やけに心地いい。
静かな朝。
でも、完全に静かじゃない。
ちゃんと、隣に誰かがいる。
それが不思議なくらい、自然で。
「……ねぇハニ」
エリがぽつりと呼ぶ。
「なに」
「昨日さ」
少しだけ間が空く。
「……後悔してる?」
背中越しの問い。
少しだけ空気が変わる。
でもジョンハンは、迷わない。
「全然」
即答。
その一言が、やけにまっすぐで。
エリは一瞬だけ目を閉じて、
「……そっか」
って小さく返す。
フライパンの上で、卵がゆっくり形を整えていく。
その間に、
胸の中の曖昧なものも、少しだけ輪郭を持ちはじめていた。
